631. まだ開けちゃだめ
「うわー、なんか趣味悪ぅ」
「愛莉、ちょっと静かに……」
「誰もいないんだし、別に良いじゃない。ここで待ってれば良いのかしら。でもなんで仕切りが……」
初めて足を踏み入れた未知の領域に、愛莉は普段に増して落ち着かず興味津々だった。メッキで出来た謎の巨大なオブジェを眺め『ノノが好きそうねああいうの』なんて暢気に呟いている。
(本当に知らないのかよコイツ……)
馬鹿正直に中身を打ち明けるのも気が引け『ネカフェみたいなもんだろ』と適当にはぐらかそうとしたのだが、行ったこと無いからむしろ興味あると逆に引き金を引いてしまった。失敗した。
平日の昼間なだけあって、俺たち以外に利用客は見当たらない。二人とも高校生にしては身体も大きいし、今日に限っては余所行きの大人っぽい恰好。追い出されるようなことは無いだろうが、それ故に仇となった感はある。
さっさと種明かしするべきだ。
でも、何故だ。口が上手く回らない。
「休憩するためだけのお店なんてあるのね。全然知らなかった。こういうのどこにでもあるものなの?」
「さ、さあ……詳しくないんで……」
そんなのただの建前です。
どう考えてもラブをメイクするホテルです。
ありがとうございました。
どうやら冗談で言っているわけでもなく、愛莉は本当にこの類のホテルの存在を知らないらしい。
ちょうど宿泊のランプが消えて休憩のマークが点いていたから、ホテルとさえも思っていないようだ。
(逆に何故……!?)
ここに来て長瀬愛莉という人間を見失いつつある。俺の知る限り彼女は結構な耳年増というかムッツリというか、その手の知識はしっかり持っている筈で。
わざわざ約束までして予定を立てて、修学旅行でもギリギリのところで踏み止まって今日を迎えているわけだ。なにもかも俺の勘違いという線は極めて薄い。
ここから導き出される答えは……ただただシンプルに『ラ〇ホの存在を知らない』という単純明快な知識の欠落である。
いやしかし、愛莉だって仮にも思春期真っ只中のの女子高生だろ。今の今までまったく目に触れず生きて来たなんてあり得るのか……?
「で、どうすれば良いの?」
「……ちょっと目ェ瞑ってろ。開けるなよ」
「えっ、な、なんで?」
「ええから!」
タッチパネルの存在は目に入らなかったらしい。俺とて知識経験共に皆無ではあるが、なんとなくやり方は分かる。空いてるとこ選べば良いんだろ。
……ちょっと待て。どうしたヒロセハルト。なぜ愛莉にバレないように事を進めているんだ。素直にエロいことするためのホテルですって説明しろよ。そんな声もどこからか聞こえて来る。
(言えねえっつうか、言いたくねえ……ッ!)
元々のプランでは家に帰ってからが本番。もっと時間を掛ける予定だったのだ。要するに、心の準備がまったく出来ていない。
ついさっきまで俺たちらしい普通のデートで落ち着いていたのに、いきなりこんな状況に陥ってみろ。冷静でいられるか。
愛莉にしたって夜に起こる出来事をなるべく意識しないようにしているからこそ、ここへ至るまでのいつも通りな態度なわけで。
この場所がソレ目的のホテルだと知った途端、愛莉は平静を失い羞恥に悶え死ぬこととなるだろう。知らずに俺を連れ込んでしまったという罪悪感にもきっと耐えられない筈だ。
本来の目的を考慮すれば最適な環境下なのかもしれない。が、あれだけタイミングに拘って来た俺たち二人だ。
ちょっとしたことで軋轢が生まれて、結果的になにも進まず終わってしまう可能性も否定できない。
決めた。貫こう。
ここがラ〇ホだって一切言わない。
本当に休憩だけして帰ろう。
絶対に無理とか言うな。
俺がやると言ったらやるんだよ。クソめ。
「ねー、まだ開けちゃだめー?」
「……ええよ。こっち着いて来な」
「ったく、なによいきなり。ていうか、ハルトもここ来るの初めてなんでしょ? 随分詳しいのね」
「男が現代社会を生き抜く上で必要不可欠な知識や」
「さっき詳しくないって言ってたじゃない」
納得行かない様子の愛莉をやや強引に引っ張って、すぐ近くのエレベーターへと向かう。無料サービスの戸棚には目もくれない。余計な情報を与えない。
部屋は一つしか空いていなかった。フロントの従業員を含め誰とも顔を合わせなかったのは僥倖だ。僥倖か? 分からんわ。もうなんとも言えんわ。
「お金とか払わなくて良いの?」
「場所ごとに精算機があるらしい」
「ふーん……変わったところね。最近プライバシーがどうとか煩いし、色々気を遣っているのかしら」
なんの気なしに呟く愛莉。どうしてここまで察しが悪いんだ。確かにお前頭悪いけど常識は比較的あるだろ。琴音に負けず劣らずのポンコツぶりだぞ。
部屋は二階。一度入ったら勝手にロックされるらしいので、邪魔者が入る心配は万に一つも不要だ。
いやもう、逆に邪魔して欲しい。願わくば有希辺りに乱入して欲しい。カラオケあるらしいから、それでお茶濁して欲しい。
「…………えっ。なんか、ちゃんとホテルじゃない。ベッドもあるし、ていうかベッドでか。半分スペース取ってるし」
「休憩する場所だからな」
「へぇー、お風呂まであるんだ……修学旅行で泊まった部屋より広いわね」
「休憩する場所だからな」
「テレビも大きいし。ウチの何倍かしら」
「休憩する場所だからな」
「……適当に返してない?」
「休憩する場所だからな」
「脳ミソ壊れちゃったの?」
グレードとか一切気にしてなかったけど、結構いい部屋を選んでしまったようだ。天井にぶら下がるシャンデリア擬きを眺め『幾らするのかしら……』と野暮ったいことを呟いている。
流石にホテルであることまでは隠し通せなかったが、あくまでもそれはブラフ。目的さえバレなければやり過ごせる筈。たぶん。
……しかし、ショートステイってやつでもあれだけ値段が嵩むのか。二人分の映画チケットどころじゃない大出費だ……春休みは午前中も働こう。修学旅行前後から無駄なお金使い過ぎ。
「せっかくだしシャワー浴びちゃお。この服、すっごい生地薄くてさ。雨でベタベタ張り付いて気持ち悪いのよ」
「お、おう。ご自由にどうぞ」
「……さっきからぎこちなくない? なんか隠し事でもしてるの?」
「ま、まさか。雨に濡れて色っぽいなって」
「ちょっ、やめなさいってばそういうの……ッ!? ……わ、忘れてるわけじゃないけどさ、こっちも……でも、まだ我慢してっ!」
多少は夜のことを意識はしているそうで、それっぽいフレーズとツンデレムーブを置き去りにその足でバスルームへ。
いや、あれはツンデレのうちに入るのだろうか。微妙だ。そんな丸みを帯びたツンは認められない。
本格的に不味いことになった……どうにかしてラ〇ホであることだけは隠し通さないと、パニックになるどころの話じゃないぞアイツ。
(まずは痕跡を消そう……)
要は普通のビジネスホテルだと思い込ませればいいわけだ。特有のアイテムや仕掛けを徹底的に排除すれば、鈍感な愛莉じゃ気付かない。
「まぁこれはあるよな……」
ベッド脇の台座に配置されている二つの袋。クリスマスパーティーで瑞希のプレゼントに狼狽していた愛莉ならこれの正体も知っている筈。
まだだ。まだ使わない。ちゃんと瑞希のプレゼントを然るべきタイミングで使うんだ。お前はお呼びじゃない。なにがジャストフィット0.01じゃ。薄過ぎてすぐ破れるからダメなんだよ。昨日何回練習したと思ってやがる。
あとは……照明も普通のモードに切り替えておくか。音楽も鳴らないように。ビジネスホテルにこんなサービスは無いからな。知らんけど。分からんけど。
多少手間取ったがセッティングを完了させ、改めて部屋全体を確認。他になにか匂わせるような仕掛けは……。
「なんこのスイッチ」
見たことの無い形だ。二段階式になっている。どこに繋がっているのだろう。部屋の照明……ではないよな。さっき違うところで操作したし。
あとで愛莉が触って変なことが起きても困るし、あらかじめ確認しておこう。つってもどうせ洗面台の明かりとかそんなところだろ。
「えっ」
壁越しに聞こえていたシャワーの音が、より鮮明に鼓膜へ伝う。ような気がする。無くなったのは壁そのものではない。遮りだ。
一つスイッチを落とす。壁の中断を覆うように靄が掛かっている。二つ目のスイッチを落とす。モザイクがすべて消える。
愛莉がいる。
シャワーを浴びている。
全裸で。
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