630. 集中が切れてしまった


 勝ち越しに成功し俄然勢いを取り戻したブラオヴィーゼだったが、終盤へ向かうに連れて疲労も溜まり少しずつ綻びが出て来る。


 後半30分。なんてことない自陣でのパスを失敗してしまい、そのまま京都のFWが掻っ攫いキーパーとの一対一を制する。これで同点。


 次々と交代カードを切る京都に着々とペースを握られ、守り切るのが精いっぱい。失点に絡んだ二人も見違えるように動きが良くなった。そして。



「えーー!? 今のファール!?」

「微妙やな」


 終了間際に京都がPKを得る。位置はギリギリ、足も引っ掛かっていないように見えたが判定は覆らず。ゴール裏は激しいブーイングに包まれる。


 キッカーは……なんだ、黒川か。あらかじめ指名されていたのか、それとも志願したのか。どっちでも良いけど、これ外したらもうおしまいだな。



「チッ、普通に決めやがって」

「うわー……この時間でこれは……」


 黒川の癖にちゃっかり決めてみせる。

 2-3、京都が逆転だ。つまんね。


 これで集中が切れてしまったのか、アディショナルタイムにも交代で出て来た選手にサイドをブッ千切られ、更に追加点。2-4。


 タイムアップの笛が鳴り響く。ゴール裏に充満するため息と僅かばかりの拍手。昇格候補筆頭の京都相手によく食い下がったというところか。


 しかし三部でも戦力的に劣るブラオヴィーゼ相手にこの出だしは……あの二人がいたとしても、今年も京都は苦労するだろうな。

 精々足を引っ張らなければ良いが。今日のヒーローたちになんとも嫌味な言い草だ。反省などせぬ。



「さーてと……賭けの内容は覚えてるな?」

「うぐっ……わ、分かってるっての。アンタの言うこと一つ聞けばいいんでしょ? 今更なんだって良いわよ……で、なにさせるの?」

「まっ、楽しみは後に取っとけよ。行こうぜ」

「ちょっと、やめてそういうの! 気になるからっ! 絶対ロクなこと考えてないでしょっ!? 待ちなさいってば!」


 大慌てで荷物を纏める愛莉を置いて出入り口へ。


 どうせヒーローインタビューは逆転ゴールを決めた黒川だし。別にアイツの声とか聞きたくないし。気合い入れ直してやったんだから、むしろ感謝して欲しいくらいだ。なんてな。



 昼間のキックオフなので試合が終わってもまだまだ夕暮れ前。ここから本番だ。一旦ターミナル駅まで戻って、暫く時間を潰してから自宅へ戻る算段。


 正直に打ち明けると、試合終盤はあまり集中して観ていられなかった。

 これからの予定がどうしても頭を過ぎって、軽口でも叩かなければ平常心を保つのでいっぱいっぱいだった節はある。


 せっかく緊張も解けていつも通りの俺たちに戻れたのだから、可能な限りこの雰囲気を維持したまま最後まで突っ走りたい。


 駆け足で追い掛けて来た愛莉の表情を見るに、向こうもすっかり忘れているようだ。順調、順調。



「まだ夜ご飯って時間でもないけど、どうするの?」

「逆に行きたいところとかは?」

「そうね……普通に駅の近くで遊んでも良いけど、こんな格好だし……大声出して疲れちゃったから、落ち着いたところが良いわ」

「そういうふんわりした回答は求めてねえ。具体的にどこへ行きたいか聞いとんねんこっちは」

「んなこと言われても……私だって詳しくないし、分からないわよ。男のアンタがリードする場面じゃないの?」

「女みてえなこと言いやがって」

「普段のわたしを何だと思ってるわけ……!?」


 そりゃ勿論、愛しき彼女ですよ。或いは怪獣。



 今にも咲き出しそうな桜の蕾を背に遊歩道を抜け出し、スタジアムの最寄り駅を目指す。

 無駄に高い地下鉄の運賃に頭を抱える愛莉を茶化したり、試合の感想を言い合っているうちにターミナル駅へ到着。


 この辺りは比奈としょっちゅう来ているけれど、愛莉と二人で訪れたのは初めてだ。いつの間にか工事が終わっていた。日本のサグラダ・ファミリアもこれで見納めとは少しもの悲しさも。



 ふむ。しかしどうしよう。落ち着いた場所と言っても、俺もこの辺りは特別詳しくないんだよな。比奈か瑞希のアドバイスでも欲しいところ。


 カラオケにド〇キ、ゲーセン、ファッションビル。無縁の居酒屋。静かに過ごせそうにないな……お洒落なカフェの一つでもあれば良いのだが。



「あら……雨?」

「ホンマや」


 予報では一言もそのようなことは言っていなかったが、分厚い薄グレーが少しずつ空を覆い始めている。差し出した掌に米粒ほどの雨が浸り染み渡る。



「どうしよ……傘も持ってないし」

「ビニール傘でも買えばええやん」

「その度にいちいち買ってたら勿体ないでしょ? それに……この服買っちゃったせいで、あんまりお金無いし……っ」


 厳しい懐事情故、無駄な買い物は出来るだけ避けたい倹約家の彼女である。今日のために私財を惜しんでわざわざ新しい服を……。


 と、ひっそり喜んでいる場合でもなさそうだ。雨脚は強まる一方。仕方ない、どこでも良いから早く行先を決めよう。



「そういや向かいのビルに映画館入っとるらしいな。こないだ瑞希に教えて貰ったんやけど」

「……映画って結構高くない?」

「俺が出す。宵越しの銭は持たない主義やからな」

「無駄遣いはダメよ」

「心配すんなって。明後日バイトの給料日やし」


 悩んだ割りに目的地もサクッと決まり、あとは建物を目指すだけだが……うわ、急に本格的に降り出したな。もう傘無しで歩くのは辛い。


 手を引いて駆け足でビルを目指す。数十秒と経たず到着したが、ここで追い打ちを掛けるようなアクシデントが。



「あれ、開かねえ」

「ハルト、今日休業日だって」

「なんやと」


 自動ドアの前で立ち呆けていると、愛莉が張り紙を発見する。月曜はビル自体が開いていないとのこと。タイミングが悪い。


 映画じゃなくても飯屋が沢山入ってるし暇潰しにはちょうど良いと思っていたのに。行止まりだ。


 悪態を付く暇も無く、雨脚は更に激しさを増して行く。って、もう土砂降りじゃねえか。こんなに降るなんて聞いてねえぞ……。



「立ち往生やな……」

「ど、どうしよっか……」


 自慢の一張羅も肩まですっかり濡れている。栗色の髪の毛から雫が零れ落ち、くちゅんと可愛らしいくしゃみを弾ませた。まぁまぁ薄っぺらい恰好で随分と寒そうだ。


 せっかく良い雰囲気で進んでいたというのに、風邪を引いてしまってはあまりに浮かばれない。せめて室内に入りたいが、どうしたものか。



「……この辺り、雰囲気が違うわよね」

「な。俺も思っとった」


 駅構内やその周辺は若者が溢れ華やかな街並みだが、少し離れただけで空気も景色もガラッと変わってしまったような印象を受ける。


 狭い小道や古臭い建物がそう思わせるのだろうか。上手く言えないけど、大人の街っていうか、そんな感じもする。



「そこら中に空き缶とか転がってるし、あんまり治安良くないのかしら」

「……さっさと離れねえとな。愛莉を連れて歩くのはちと怖いわ」

「そこまで変な人だらけでもないでしょ。だいたい、今のハルトのほうがよっぽど半グレみたいで怖く見え……あら?」


 周囲を見渡しなにか発見したのか、愛莉は雨よけから足を伸ばしてそちらの様子を窺い見る。ちょうど良い場所でも見つけたのだろうか。



「あそこで良くない? すぐ目の前だし」

「は? どこの話してる?」

「だから、あれ」


 渡りに船と言わんばかりのホッとした顔で指を指す。御所望の『落ち着いた場所』がそう簡単に見つかるとも思えないが。



「ほらっ、休憩って書いてあるわ」

「……えっ」


 昼間から暑苦しいネオンを放つ、馬鹿に悪目立ちした派手な装飾の建物。

 値段がハッキリ書いてあるのは分かりやすくて助かるが、いくらなんでも露骨過ぎる。


 いや、あの。愛莉さん。

 休憩は休憩でも、ちょっとそこは。


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