592. 整いました


「いやぁ整った。見事に整いました……!」

「そりゃ良かったな……」

「宙に浮くような何とも言えないフワッとした感覚がさ、堪らないんだよ。廣瀬くんも続ければ必ずこの領域に達するから! 明日も入ろう!」

「機会があれば……」

「住んでるところって銭湯の近くでしょ? オレもあの辺りだからさ、今度一緒に行こうよ。みんなどうしてか、あんまりサウナ好きじゃないからさ。仲間が欲しかったんだよね……!」


 並んでドライヤーを鳴らす間も谷口のお喋りは一向に止まらない。


 百歩譲って恋愛相談に乗ったところまでは許容範囲だったが、趣味の一つであるというサウナに付き合わされてからがまぁ長いこと長いこと。


 トータル一時間近くに及んだ長風呂の間に、この数日積み立てていた谷口のイメージはガラリと変わってしまった。というか、崩れ落ちた。


 当初の印象よりもよほどマシなのかもしれないが、これはこれでやり辛い相手である。内海の一本気と大場の天然ぶりをミックスさせたみたいな男だ。他に説明が必要だろうか。



「……んやねん、ジロジロ見んな」

「良い化粧水使ってるね。やっぱりこういうところもモテる秘訣?」

「肌荒れしやすいだけや」

「そう? メチャクチャ肌綺麗じゃない」

「だからやめろや気色悪い」


 化粧水をパシャパシャ塗りたくっている様を谷口が隣でジッと観察している。

 どんだけ見るんだよ。スキンケア一つ取ったところでモテたら世話無いわ。



「真奈美が文化祭に書いた本、オレも読ませて貰ったんだ。挿絵まで入っててすっごい本格的でさ。どうだった?」

「自分がモチーフの夢小説なんて誰が好き好んで読むんだよ……」

「流石に美化し過ぎじゃないかって思ってたけど、全然そんなこと無いよな。前髪上げた方が良いんじゃない? そっちのほうがカッコいいかもよ」

「いよいよ話聞かんな貴様」


 そろそろ鬱陶しさにも拍車が掛かって来たので、ここらで隙を見て距離を置くとしよう。どうせ部屋にいる間は捕まりっぱなしなんだ。


 ……気兼ねなく話が出来る程度の男友達も、そりゃまぁ欲しかったけど。

 なんでこう、俺に好意的な野郎共はどいつもコイツも極端な奴ばかりなんだろう。


 内海も大場も、南雲も堀もそうだ。テツオミはまだまともな部類だろうが、過去の遍歴で若干フィルター掛けられてるし。

 もしかして一番気が合うの藤村かもしれん。でも俺はそこまで好きじゃないんだよな。これ一生出来ねえな。男友達。



「揃ってこんな奴ばっかりだから女だらけでも困らないのかね」

『なに? 日本語じゃ分からないわ』

『なんでもねーよ』


 暖簾を潜ると目前のマッサージチェアで気持ちよさそうに身体を揺らすルビーの姿があった。

 髪の毛が淑やかに濡れている。俺より先に出て来たのか。


 日本語を話せない金髪碧眼の美少女。それらしい要素と言えば着慣れないぴっちりとした浴衣程度のものだというのに。

 どうしてこんなにも和の心意気を感じるのだろう。侘び寂びの定義を再構築して辞書を書き直したい気分だ。



『アイツらとはどうなった? なんか死にそうな顔で風呂入って来たんだけど』

『それなりに上手くやったわ。ミズキが出て来たから間に入って貰ってね。二人に勝負させて、勝った方と明日デートするって約束したの』

『……結果は?』

『制限時間でドローゲーム。ミズキが日本語でなにか言ったら、二人ともこの世の終わりみたいな顔して行っちゃったわ』


 いったいなにを言ったのかしら、と不思議そうに首を捻り、次の瞬間にはマッサージチェアに顔ごと持ってかれる。

 シンプルに絵面が面白い。真面目に考える気無くなっちゃう。


 おおよその見当は付く。恐らく『コイツもハルのお手つきだから』みたいなことを言ったのだろう。根拠は無いが、あとで怒る。絶対に。



『……前髪が伸び過ぎよ。こないだも言ったけど、世界が霞んで見えちゃうわ。せめて結ぶくらいしなさい』

『ええねんこれで。人と目ェ合わせたら俺も相手も石になっから』

『どこのメデューサよ。ちょっと待って、予備の分があるから。こっち来て』


 ひょいひょいと呼び寄せられ、ルビーはチェアから飛び降りる。胸元にスッと手を伸ばすと、どこからともなく黒のヘアゴムが現れた。


 胸に挟んでるのかよ。確かにそれくらいなんてことないサイズ感だけど、出来るのかよ。ノノに仕込まれたな間違いなく。



『ほら、座って』


 代わりにマッサージチェアへ腰を下ろし、ルビーは俺の前髪を、というか髪の毛ほぼほぼ全部を無造作に掴み取り、器用にゴムで束ねていく。


 彼女なりの気遣いなのは分かっているが、あまり気乗りしない。ヘアピンとかで前髪留めている男、世界で一番嫌い。キモい。


 女子に可愛いって言って貰いたいだけだろ。可愛くないから。ただ生え際を誇張しているだけだから。中学時代のお前に言っているんだ南雲亮介。



 痛みにも足りぬこそばゆい感覚が暫し続き、ルビーは満足げに手を離し自信タップリに頷いた。



『完成っ! ほらやっぱり。こっちのほうがスッキリして見えるわ!』


 対面の壁が光沢で反射していて鏡のようになっており、どんな種を仕込まれたのかはなんとなく分かる。こりゃまたガッツリ上げたな。サムライかよ。


 これ確か、堀が中学上がり立ての頃に一時期やってたマンバンヘアってやつだよな。ガレス・ベイルの真似だとかなんとか言って。

 ベッカムとイブラヒモビッチも一時こんなナリでプレーしていた記憶がある。日本人には絶対に出来ない髪型だと思っていたが。



『……ホンマにええんかこれ』

『伸ばしっぱなしよりずっとお洒落だし、男らしいわ。ヒロは鼻も高いし目元もスッとしてるから、サイドを刈り上げればもっと良くなるわよ』

『そんなもんかね』


 なんだか久しぶりに自分の顔をちゃんと見た気がする。というか、こんな顔だったっけな。彼女たちに囲まれ過ごす日々で自信が付いたのだろうか。


 特に比奈から容姿やファッションについて細かく言われるようになって、それなりに気は遣って来たけど。髪型はノータッチだったな。


 これを機に多少は女受けって奴を目指しても良いかもしれん。

 谷口に嫉妬していたのも容姿で負けている気がしていたからという理由は否定し切れないし。


 雑に媚びるのは御免被りたいけど。

 皆の趣味趣向に染まるのは、嫌じゃないな。



『さっ、ご飯食べに行きましょ。みんなきっとビックリするわ。アイリなんて鼻血流して倒れちゃうかも?』

『出来の悪い少女漫画でもあるまいし、んなわけあるか。まぁでも、そろそろええ頃合いやな』


 夕食の集合時間が迫っていた。旅行中のスケジューリングは峯岸もハンチョウが無駄に気を張っていたから、一秒でも遅れると余計な反感を買いそうで怖い。



『フフッ。夜が楽しみね♪』

『……夜? なにが?』

meti la pataいっけない! まだ秘密だったわ! まぁ楽しみにしてなさい、そのためにわざわざ来てあげたんだから!』

『お、おん……?』

『あと、デートなんて嘘っぱち。ヒロ以外の男に靡く予定は今のところ無いから、安心することね!』


 スキップと鼻歌を織り交ぜ、軽快な足取りで食事処へと向かうルビー。


 が、慣れない浴衣とスリッパに足を取られ、躓いて壁に直撃する。ドジっ子か。肝心なところで締まらない。転じて重なる安心感。



 でも、そうだ。すっかり忘れていた。


 ゴンドラ内でも四人で何やら密談を交わしていたが、俺にサプライズでも用意してあるのだろうか。修学旅行初日の夜になにを見せようってんだ?


 ルビーの言う通り、いくら思い出を共有したいからって日にちを合わせて旅行しに来るのも大掛かりな話だ。やはり何らかの目的があるのだろうが。


 ちっとも身に覚えが無い。

 なんか忘れてたっけ……?


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