591. いつもの流れ


 修学旅行の前々日に交わされた陽翔と愛莉の約束、合わせてノノの起こした行動についても、一から十まで白日の下となる。



「市川がハルのペットで……」

「姉さんは月曜日にがある?」

「……なに言ってんのコイツら?」

「瑞希先輩でも追い付かないって相当ですね」

「言うようになったなコーハイ」

「鍛えられてるんで。色々」

「この調子でツッコミ担当としてがんばれ」

「それは本業じゃないんですケド」


 その一部始終を語り尽くすと、愛莉は居た堪れなさ故に湯船へ頭ごと突っ込み姿を消した。


 或いは皆からのネガティブなリアクションへ耳を傾けるのを恐れていたのかもしれない。

 誘って来たのは陽翔の方からであったとはいえ、抜け駆けや裏切りという言葉でもって受け入れられてもおかしくはないからだ。


 だが、斜め上の反応を見せた瑞希と同様。比奈も怒りを露わにするどころか、むしろ憑き物の取れたように軽く微笑み、穏やかな吐息を漏らす。



「愛莉ちゃん。怒ったりしないから出て来て」

「…………うそ」

「本当にホント。もう、可愛いんだから」


 ブクブクと泡を立て浮かび上がって来た愛莉の頭を比奈は優しく撫で、続けてこのように話した。



「陽翔くんに言われたんだ。これからわたしたちがどういう関係になるのか、改めて考えて欲しいって。みんなもそうじゃない? ノノちゃんも」

「まぁ、そんな感じですね」

「じゃあ、陽翔くんも覚悟を決めたってことなんだね。あー、でもどうなんだろう。単に我慢出来ないだけかな?」

「ゆーて両方だと思いますけどね」

「そうかも。でも悪いことじゃないのかなって」

 

 どこか挑発的なノノの応答に、比奈はおどけた口振りでそう返した。


 きっかけこそ偶然の産物だったのかもしれないが、比奈にとってはどうでもいいことだ。彼が望む以上に、自身も更なる進展を望んでいる。



「え。あたしなんもねーんだけど」

「瑞希ちゃんは良いんじゃない? ちゃんと分かってるって、陽翔くんも思ったんじゃないかな」

「……一歩リード?」

「じゃない?」

「うむ。なら良いだろう」


 試験前に瑞希と三人で起こしてしまったも。二人きりで完結してしまった愛莉との約束も。谷口に過剰な警戒心を寄せていたのも。


 ノノとの一件を引き金に、彼なりに思い悩み結論付けたアクションであれば、比奈にしてみれば僥倖でしかないのだ。



「時間の問題だったんだよ。偶々きっかけがノノちゃんで、今だっただけ。だから愛莉ちゃんを責めるのは違うし、全然意味の無いことだから。気にしなくて良いの。最初は愛莉ちゃんが良いって、陽翔くんが言ったんでしょ?」

「それは……そう、だけど……」

「誇って良いんだよ。わたしたちの誰かじゃなくて、愛莉ちゃんなの。ちょっとだけ悔しい気持ちもあるけど……でも、陽翔くんが決めたんだから」

「……本当に、良いの?」

「順番を気にしてたって仕方ないもの。愛莉ちゃんはそうかもしれないけど、わたしはそうじゃない。欲しいものはみんな一緒だけど、なにが重要なのかは一人ひとり違うから。陽翔くんもそれを求めていると思う」


 彼の口にした言葉の真の意味に、こうして愛莉を諭す過程で比奈も窺い知る。


 一人ひとり対応が違っていたとしても、優劣があるわけではない。勿論すべてが合理的に片付くことは無いだろうが、彼なりにフットサル部という歪で複雑な関係性の落し処を探っている。


 一纏めに単純化するのではなく、それぞれのディティールを妥協無く縫い合わせ、隙間なく埋める。そうして初めて、誰もが幸せで、望むべき未来へ転がり出す。


 まだまだ言葉だけの細い糸で繋がっていた関係が、彼にとって、そして彼女たちにとっても本物になる。



「愛莉センパイが何かと優遇されているのは、普段のセンパイの言動を見ていればすぐ分かります。全員それを理解したうえで「問題無い」と言っているのです」

「……ノノ……っ」

「ノノ的には、センパイをお腹いっぱい堪能出来ればそれで良いわけですよ。お零れを預かるともまたちょっと違いますが。少なくとも愛莉センパイの欲しいところは誰も求めていません。恐らく」

「……私だけ?」

「ケーキですよケーキ。嫌いな人なんて甘いもの苦手でもなければ早々いないじゃないですか。生クリームが好きか、イチゴが好きか、それともチョコのプレートが好きなのかって、そういう話です」

「その例えは遠すぎて分かんない……」


 手玉に取られる愛莉だが、早い話、この一件を重く捉えているのは彼女だけであった。

 偶々今回のケースが特殊なだけで、それぞれ自身が陽翔にとって何らかのである自信は不動のもの。


 結果的に、フットサル部の強固な結束が目に見えて明らかになったという、それだけのことなのだ。愛莉の煮え切らない態度にしたっていつもの流れ。



「チキってないで早いとこやることやってください。少なくとも愛莉センパイにはそれが必要です。恥ずかしい気持ちも分かりますけど、こうも欲望垂れ流しにされちゃノノたちも対応に困ります」

「たっ、垂れ流し……っ!?」

「甘えたい、イチャイチャしたいって顔に書いてあるんすよ。それ以上を求めるなら、やるこたもう一つしかないんです。どうしたって」

「えっ……わ、わたしって、そんなに分かりやすいの……ッ!?」


 慌てて周囲を見渡すと、誰も彼も似たように呆れた様子でスッと視線を外してしまう。もはや論ずるまでも無いと、似たような答え合わせが続いた。



「まぁな。あれで隠してるつもりなら大物だわ」

「教室でもずーっとくっ付いてるもんねえ」

「人に指摘できる立場でないのは重々承知ですが、あまりにも意識が向き過ぎと言いますか……例えるのなら、餌を待つ大型犬のようです」

「うええぇぇっ!?」


 こればかりは想定外の指摘だったのか、泡を食ったように慌てふためく愛莉。

 そんな彼女を見て、間近でその変貌ぶりを目の当たりにしてきた真琴もトドメを刺さんとばかりに。



「……姉妹と言えどプライバシーもあるからさ。流石に言わなかったケド……声、大きすぎ。リビングまで届いてるから」

「…………ヴぇええっ!?」

「受験前とか酷かったよ。こっちは真面目に勉強してるのに夜遅くまで……まっ、良いんじゃない。お似合いだよ二人とも。利害の一致ってやつ?」

「う、うそぉ……っ!?」


 ひた隠しにして来たはずの衝動もすべて明け透けとなり、長風呂の弊害もあったのか、ふらふらと石垣の隅まで後退り。


 流石にこの惨状を前に冷静になってしまったのか、瑞希は泳ぐように湯船を移動し、彼女を肩をポンと叩いた。



「ハァー……そーゆーことならしゃーねえな。ゆーてあたしもバカにできねえけど、長瀬ほど飢えてるわけじゃないし。先はゆずっから。感謝しろよ」

「瑞希センパイに同情されるとは、いよいよ地の底まで落ちましたね」

「市川もあとで尋問すっからな覚えとけよ」

「はて、なにをお話すれば?」

「ペットがどうとか。あとハルの性癖うんぬんについて詳しく」

「うわあ、全員に共有されるんだ……センパイかわいそー……」

「ツルツルの件は自分で言い出したっしょ」

「あっ。そうでした」


 悪戯に舌を伸ばし、ノノも愛莉のもとへと近付く。とにかく、愛莉センパイ。そんな言葉と共に一連の会議をこう結論付けた。



「お膳立てならとっくに済んでますから。そもそもセンパイだって合意はしているわけですし、ハードルもなにもありませんよね?」

「う、うん……まぁそれは……っ」

「まずは進んでみましょう。そしたら分かります。なにかが変わります。前か後ろかはともかく、動き出しますから」

「そう、ね……分かってる、分かってるけど……」

「けど?」

「……この状況だけは納得いかない……っ!」

「センパイの下半身事情は非常に興味があるのでもっと聞きたいです」

「言うわけないでしょっ、ばかぁ!!」


 今日一の絶叫が響き渡り、露天風呂で繰り広げるには生々し過ぎる密談にもオチが付いたところで。


 すっかり取り残されてしまった二人の様子を鑑みて、比奈は湯船をすいすいと泳ぎ肩を寄せる。



「こんな感じになったけど……有希ちゃんはどうするの?」

「……え、えーっと……わ、わたしにはちょっと早いと言いますか、皆さんがなにを言っているのかサッパリと言いますか……っ!?」

「へー? ホントかなあ? 」

「わたし、さっ、さ、先に失礼しますっ! マコくん、一緒に行こうっ!?」

「えっ。うん。走ると危ないよ」


 慌てて立ち上がり真琴を連れて中へと戻っていった有希。

 幼い肉付きの残る二人の後ろ姿を微笑ましげに眺め、比奈の仕事もあと少しで終わりそうだ。



「お似合い、かぁ……真琴ちゃんも身に覚えがあるのかな? あの二人にも先を越されちゃったら大変だねえ……琴音ちゃん?」

「……なにを言いたいのですか」

「んふふっ。なんだろうね♪」


 一人ひとり、ペースや歩幅は異なれど。


 然るべく訪れる瞬間。何かが変わるときが。今こうしているうちにも、足音を立て近付いている。


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