589. 結構なお点前で


 普通に泊まればそこそこという比奈の情報通り、大浴場は広さも設備、露天風呂からの景観ともに結構なお点前である。


 夏合宿で泊まった宿より心なしか豪華なような。まぁゆっくり浸かれればなんだって良い。


 シーズンから若干外れているせいか、利用客はあまり多くない。まったく絡みの無い男子生徒が何人かいるが、わざわざ話し掛ける必要も無いか。


 何故かは知らんが妙に怖がられている気がするし。素行が原因か、顔が怖いのか。それこそどうでもええわ。



「お疲れ廣瀬くん。怪我は大丈夫だった?」

「……おー。なんともねえ」

「良かった良かった。写真撮るときに聞こうと思ってたんだけどさ、タイミング見失っちゃって」


 露天風呂へ顔を出すと景色より先に谷口の顔を見つけてしまった。暫く部屋に戻って来ないと思ったら長風呂でもしていたのか。


 意識したわけではないが、温泉は普通の透明なお湯なので多少距離があっても奥まで覗けてしまう。


 なるほど。なるほどな。そっちに関しては俺の勝ちだ。圧倒的に。顔面偏差値と性格はボロ負けだが、機能面なら劣りはせぬ。



「良い眺めだね。照明のおかげで昼間より綺麗だ」

「ずっとここにおったのか」

「なんか好きなんだよね。風流ってやつ?」

「オッサン趣味やな」

「ははっ。よく言われる」


 別に話し込むつもりは無かったのだが、向こうから絡んで来る手前無視することも出来ず、結果的に肩を並べる羽目になる。


 少なくとも谷口相手にこういうのは求めてないんだけど。まぁでも、偶には良いか。女が絡んでないうちは真っ当な奴だと信じたい。



「懐かしいなぁ……オレの実家、札幌は札幌でも結構山奥でさ。風呂の窓を開けるとこんな感じの景色がよく見えたんだよね」

「ほーん……」

「興味無い?」

「一昨日の天気くらい興味ある」

「ほぼゼロでしょそれ」


 ほぼじゃない。紛うことなきゼロだ。

 貴様の思い出話なんぞなんの足しにもならん。



「ところでフットサル部ってさ。女子のチームじゃなくて、男女混合の大会に出るんでしょ? 峯岸先生から聞いたよ」

「……せやけど、それが?」

「だって、男子廣瀬くんしかいないんでしょ? いくらなんでも不利なんじゃないかなって……悪口じゃないからね?」


 慌てて取り繕う谷口だが、取り立てて構いはしない。誰でも抱く疑念ではあるし、俺だって似たようなことを考えている。


 わざわざコイツに説明する義理も必要性も無い。ただ、勘違いはされたくないな。



「……男子も女子も関係ねえよ。今のメンバー、関係性が俺たちのアイデンティティーで、唯一無二の強みや。悪いけど、サッカー部より先に全国行かせて貰うから。そこんとこヨロシク」

「強気だね……まぁでも、廣瀬くんがいるならあり得ない話でもないか。良いよなぁそういうの。個人技でチームを勝たせる選手って、やっぱ憧れるよ。俺も一回くらいFW志願すれば良かったな」


 微妙に噛み合っていない。俺の実力がどうとか、そういうつもりで話したんじゃないんだけど。まぁいい。訂正するのも面倒だ。



「言うて根っからのディフェンダーやろお前」

「昔から身長だけは一番だったからさ。チーム事情的にどうしてもね」

「……ボランチの方が向いとるんちゃう。県予選の決勝観たけど、ようハマっとったやないけ」

「観に来てくれてたの? そうそう、林先輩の提案でさ。あの一試合だけだったけど……春から俺がキャプテンだし、思い切ってコンバートしちゃおっかな。それくらいのワガママは許されるよね」


 なんだ、新キャプテンは谷口なのか。まぁコイツの人柄と実力なら山嵜レベルのチームを従えるにはちょうど良いかもな。


 褒められて気分が乗って来たのか、加えて谷口は聞いてもいないのにこんな話を切り出す。



「……正直さ、キャプテンなんて柄じゃないんだよね。前の代で過去最高成績出しちゃったから、色んなところから期待されてるし」

「グチグチ言われるのが嫌なら結果で黙らせろよ。全責任を負って、それを楽しむくらいのメンタルがねえとな」

「楽しむかぁ……苦手なんだよね、そういうの。流石に世代別代表のエースの言葉は重みが違うな」

「元を付けろ。あんなん過去の栄光や」

「経験しているのとそうじゃないとでは大した違いだよ……じゃあ質問。廣瀬くんはそういうプレッシャーをどうやって乗り切ったの?」


 期待の眼差しには応えられそうにない。俺がプレッシャーを感じずにプレーし続けられたのは、誰も期待しなかったから。

 誰からも信頼されていなかったからだ。ある意味で究極のメンタリティーと言えなくも無いが。


 そんな心構えでプレーを続け、なにを手に入れたのかという話だ。あの頃の俺は、空っぽだった。

 どれだけ結果を残しても日に日に増して行く焦燥。先の見えない暗闇を無我夢中で走り抜け、そして道半ばで倒れたのだ。



「乗り切ってなんかねえよ。知らん間に走り抜けて、そのまま死んだ。一回」

「……でも、今は違うんでしょ?」

「あり難いことにな」


 終わりの無い絶望から抜け出すことが出来たのは、それはもうビックリするくらい最近のことだ。


 自分一人の力では成し得なかった。勿論、ただ与えられただけのものではない。そう信じている。



「……一人でやれる範囲には限界がある。チームのポテンシャル、一人ひとりの強みを理解する努力をする。リーダーに限らず、全員が意識することや」

「みんなを信じるってことだね」

「全員違った個性、フィロソフィーを持っとる。すべての言葉に耳を貸して、リスペクトしろ。擦り合わせはリーダーたるお前の役目や。一ミリも妥協するな。そうすりゃ結果は後から付いてくる」

「……深いね。その言葉。すっごい気に入った。今度ミーティングで話そ」

「やめとけ。出処バレたら信頼ガタ落ちやぞ」

「じゃあモウリーニョの名言ってことにしとく」

「好きにせえ」


 ピッチの上に限った話ではない。彼女たちとの関係性にも当て嵌まることだ。

 全員の意志を一纏めにして曖昧な態度を取り続けて。俺も一度は失敗した。


 それぞれ求めるものは違う。熱量も、方向性も異なる。だが、最後に辿り着くのは同じ。

 形は様々なれど、云うならば結果の二文字とイコールで結ばれた成功。そして幸せ。


 人に高説垂れ流してる場合じゃない。俺は俺でやることをやらないと。


 まぁでも、好きでやれてるんだから良いご身分だよな。恵まれてるよ、つくづく。



「流石に長風呂やな……そろそろ出るか」

「オレも卓球やりたくなって来た。スピード勝負はお預けだったから、ここらで一戦どう?」

「ええけど、勝ってもなんも出えへんで。アイツらが景品とかも無しな」

「……廣瀬くん、やっぱり勘違いしてるよね?」

「あ? なにが?」

「だから……フットサル部の子たちと仲良くなりたいのは本当だけど、単純に好奇心っていうか……みんな廣瀬くんにゾッコンなのは見れば分かるし、そこまで空気読めないこと無いからね?」

「えっ?」


 なんだ。勝ったら誰か一人とお喋りする時間寄越せくらい言って来るかと思っていたのに。これも作戦か? アアン?



「やっぱりか……はぁー、これ秘密にしてたんだけどなぁ……哲哉と武臣には絶対言わないでね? 100パー茶化されるから」

「……なにを?」

「オレさ……真奈美と付き合ってるんだ」

「…………え?」

「本当にまだ誰にも言ってないんだよ……絶対に口外しないでな?」


 真奈美って……奥野さんと?

 本当と書いてマジと読む類のアレ?


 確かに今日一日、というか朝からずっと一緒に行動はしていたけれど。

 奥野さんそこまで乗り気じゃなかったというか、微妙に距離取ってたよな? え? あれ?



「……い、いつから?」

「バレンタインに告白されて……今年同じクラスになってずっと仲は良かったんだけど、急にこんなことになって、オレも戸惑ってるんだよ」

「……その割にはお前からグイグイ行っていたような気がするのだが」

「ちょっとは彼氏らしく振舞おうと思って、オレなりに頑張ってるんだよ。そしたらなんか恥ずかしがるし……」

「……瑞希にちょっかい掛けてたのは?」

「ちょ、ちょっかい!? 勘弁してって! あれはそのっ……女慣れしてる雰囲気出せば、真奈美ももっと気楽に甘えてくれるかなぁって……逆効果かな?」

「恐らくそうかと……」


 めっちゃ照れてるんだけどコイツ。え、なに。なんなのお前。ノノから聞いた話と違う。彼女とっかえとっかえしてるプレイボーイなんじゃないの?



「……時に谷口」

「な、なに?」

「今まで彼女は何人ほど?」

「六人くらい……でもほとんど一か月くらいで別れてる。みんなして「付き合う前の方がカッコよく見えた」とか言って来るし……」

「そ、そうなのか……っ」

「今回だけは絶対に失敗したくないんだ……今まで調子乗って言い触らして来たから、たぶんそれも原因だと思うし……っ!」


 拳を握り締め熱弁。

 純粋無垢な瞳を拵え夜空を見上げる。


 あ、あれ……っ? もしかして谷口さん、策略家どころか裏表皆無の超純情男子でいらっしゃる……?



「廣瀬くんと仲良くなりたかったの、それも理由の一つなんだ……っ!」

「は、はぁ……」

「どうやったらあんなに沢山の女の子と仲良くなれるの!? やっぱりさ、絶妙な気遣いっていうか、テクニックがあるんだよね!?」

「待て待て待て待て待て待て」


 肩をガッチリ掴まれ湯船へ逆戻り。

 メシ前にのぼせなければ良いが。


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