ゲレンデが溶けるほどスキー天国でロマンスBLIZZARD(修学旅行編)

569. うっかりうっかり


 当然の末路と言えばそれまでだが、期末試験はまぁまぁな失敗に終わった。


 どれだけ煩悩を遠く彼方へ追いやり机へ向かおうにも、ひとたび集中を切らせば柔らかな感触が脳裏を隅まで支配し始める。

 試験のためだけに拵えた数式や、使い道の無い漢文の仕組みが抜け落ちていくのも当たり前の帰結であった。



「陽翔くん、放課後は? 練習する?」

「あー……夜から雨降るとか言うてたし、今日は休みでええんちゃう。旅行の準備もあるやろ」

「それもそうだねえ。愛莉ちゃん、今日は練習お休みだって」

「練習日を決める権限すら無くなっている……」


 予算会議をはじめとする学校内の連携はとっくに俺の仕事である。愛莉が名ばかり部長であるなど今に始まった話では無い。



 最後の英語科の試験を終えようやく一息のB組ご一行。今日は簡易的なHRを挟み解散だ。

 対策の成果が出たのか、過去二回の試験後は随分とグロッキーになっていた愛莉も今回ばかりはマシな顔をしている。



「今日の陽翔くん、なんだかそっけない?」

「……いや、んなことあらへんやろ」

「んーん。あんまり目線合わせてくれないし、今もちょっと距離離れてるし。ねー、愛莉ちゃんっ」

「そう? いつも通りのハルトでしょ」

「あれえ?」


 身体をブラブラと揺らし頬を軽く膨らませる、今日も今日とてあざとさ全開の比奈さんである。


 同意を求められた愛莉だったが、特に思い当たる節が無いのか興味無さげに呟くのみに留まった。釣られて比奈も似たように首を傾げる。


 すぐにHRが始まった。担任のつまらない話を聞き流し、目前に座る愛莉の整った背筋をボンヤリと眺めている。

 何度か比奈がこちらへ顔を覗き込ませるが、特にリアクションも取らずにいるとすぐ静かになった。



(終わった、か……)


 試験は終わった。終わってしまった。

 二人は知らない。それがなにを意味するのか。



(来ねえな……)


 スマートフォンを滑らせメッセージが入っているか確認したが、彼女からの連絡は無かった。また焦らすつもりなのか。年下め、舐めんじゃねえぞ。



 忠実なるペット。市川ノノと取り交わした約束によれば、俺は修学旅行までのこの二日半の間に、世の男子学生が何より憧れる待望の瞬間を迎える。


 正直に話すもなにも無いが、特にここ数日はそのことで頭がいっぱいだった。

 度々送られてくる際どい写真を端まで舐め尽くさんとばかりに視姦し続け、勉強も疎かに発散を続ける日々。それでも足りない。まったく足りない。



 比奈が俺との距離感に違和感を抱いたのも理解の範疇。先日の一件について瑞希共々「また機会があるから」と雑に纏めたまでは良かったものの、妙に意識してしまうのは今日日まで変わらず。


 これといって大きなイベントの無かった愛莉を安全地帯扱いしていた節は確かにある。彼女だけ違和感を覚えなかったのはそれが理由だ。



(マジでどうしよ……ッ)


 恐れるべくは、ノノと果たしてしまうのが望み通りの結末であったとしても、根本的な解決には至らないということだ。


 一度ハードルを越えてしまえば、次に餌食となるのは彼女たち。着々と近付いているタイムリミットを手放しで喜べない自分。然るべき欲求と謎に膨れ上がった大義が、この期に及んでもなお抗争を続けていた。



「ハルト。終わったわよ」

「……おー」

「どうしたのよ、ボーっとしちゃって……まさかあの子のことでも考えてた?」

「あの子って?」

「……シルヴィアちゃん」

「んなわけねえやろ。お前の後ろ姿に見惚れてたんだよ。喜べ」

「ちょっ……急になに言ってんのよ!?」


 大慌てで両手を振りかざし赤面する愛莉。周囲にやり取りが聞こえていないか様子を窺っている。


 嗚呼、落ち着く。今この瞬間に限ってはその反応が一番嬉しい。これでいい、こんな調子でずっと居られたら、それで良かったのに。



 でも、良くない。もっと深いところへ進みたい。そう思っている自分もやはり心の奥底にいるわけで、なんならもう表面まで浮かび上がっていて。


 なにがしたいんだろうなあ。馬鹿だなあって。そんなことばっかり考えて。



「二人とも、瑞希ちゃんが買い出しに行こうって。琴音ちゃんと一緒に談話スペースにいるみたい」

「ん……なら行くか。愛莉、戻って来い。いつまでトリップしとんねん」

「ホントなんでいっつもいきなりああいうことちょっとはこっちの気持ちにもなりたなさいってのああでもこういうときにちゃんと喜ばないと逆に可哀想だしていうか別に嬉しくないわけじゃないしむしろもっと言って欲しいけどやっぱり場所は選んでくれないとこっちも困るしでもせっかく言ってくれたのにああその、だからだからだからぁっ……っ!」

「おい、ええ加減にせえ」

「ぴゃッッ!?」


 肩を強めに叩くと、素っ頓狂な声を挙げようやく現世へと帰還。乾いた笑いとともに「ごめん、なんでもない……っ」と意味の無さ過ぎる釈明。


 最近この手の独り言が多い気がする。愛莉さん。可愛い通り越して若干怖いんだけど。お前もお前でやっぱり心配の種だよ。いつどんなときでも。



「あれ、ノノちゃんは来ないって」

「学年違うやろアイツ」

「あ、そっか。ノノちゃん一年生だもんね。うっかりうっかり」


 瑞希の言う買い出しとは、修学旅行のための諸々の準備を指す。参加しないノノが着いて行っても仕方ないというわけだ。

 あざとく舌を出して訂正する比奈。気持ちも分からんでもない、フットサル部においてもはや学年による壁など欠片も無いし。

 

 そうか……ノノだけみんなから外れるということは、今日は一日フリーの筈なんだよな。そもそも俺との予定を計算に入れているのだとしたら……。



「比奈、今日って何曜日やっけ」

「火曜日だよー」

「ならアカンわ。今日バイトやった」

「あー、そう言えば火曜と木曜だったねえ……あれ? でも修学旅行までお休みって前に言ってなかった?」

「向こうで使う分ちょっとでも稼ごう思うてな。日払いオッケーやから無理やりシフト入れて貰った」

「お~、なるほどぉ~」


 それっぽい理由を並べ比奈を納得させる。

 言うまでもなくその場凌ぎの嘘に他ならない。


 みんなには悪いが、約束は約束だ。これを境に彼女たちとどう向き合うことになろうと、一度決めたことには逆らえない。


 いや、強がるのはやめよう。

 シンプルに我慢の限界だった。


 修学旅行が楽しみなのは俺とて同じ。しかし、それよりもまずノノだ。一刻も早く逢いたい。すべて成し遂げたい。後のことを考えるのはそれからだ。



「じゃ、先に行っとるな」

「頑張ってね~」

「ハルトっ、仕事は仕事なんだからねっ。ちゃんと分別つけなさいよっ」

「分かっとる。ほなまた明日な」


 最後までルビーのことを心配そうにしていた愛莉を軽く躱し、荷物を持ち直す余裕さえ惜しんで教室を離れた。


 明日明後日は試験休みだから締めの挨拶は実際のところ不正確だったのだが、無論そんなことも気にはしていなかった。


 帰ってシャワーを浴びよう。瑞希からのクリスマスプレゼントは一つも使わず丁寧に残してある。

 連中が遊びに来たとき処分されないようにと箪笥の奥にしまったのは英断だった。コンビニで余計な恥を晒す心配も無い。



「……よし」


 電話が掛かって来た。ノノだ。

 きっとアイツも同じ要件の筈……。



『お疲れさまでーす。すいません返信できなくて、なにかご用ですか?』

「用って……言わなきゃ分かんねえか?」

『あっ、もしかして例のアレっすか? ごめんなさい、今日明日はバイトなんですよ。明日に至ってはフルタイムで』

「…………ハァッ!?」


 想定外の告白に思わず苛立ち混じりの怒声が零れる。同じく下校目的に廊下をたむろしていた同級生たちから珍妙な視線が突き刺さった。


 んなもんどうでもいい。

 バイトだと? このタイミングで? ハア?



『あの、これに関しては普通に謝罪案件でございまして。シフト確定するの前の月なんで動かせなかったんですよ。ノノも忘れてました』

「お前っ……嘘やろ……ッ!」

『いやホント、マジですみません。ノノも超ノリノリだったんですけど、自分でシフト決めてる手前、直前で休めないんですよ。ほんで今日の夜に両親帰って来るんで、家も空けられないのです』

「…………ま、マジか……っ」

『そうガッカリしないでください、って今のノノが言うのは最悪ですけど……まぁ焦らんでも機会はありますよ。修学旅行と言っても来週には帰って来るじゃないですか。そしたら一日二日ですぐ春休みですし』


 軽々しく言ってくれるものだ。


 この一週間、俺がどんな気持ちで今日を待ち望んでいたか分かっているのか……これから更に一週間焦らされるだと……ッ?



「……ホンマ覚えとけよテメェ」

『んははっ、いやマジで、ホントすいません。ちゃんと埋め合わせはしますから。あっ、埋めてくれるのはセンパイの方でしたね?』

「もっかいつまらねえ冗談飛ばしてみろ、無理やりバイト先押し入って人目憚らずやることやったるぞ、アア?」

『やよ〇軒出禁になっても良いならお任せしまーす。ではでは~』

「あ、ちょっ、おいノノっ!!」



 …………切れた。



 は。なに。マジで。キッツ。

 ここに来てその仕打ちですか。


 あの野郎、とことん弄びやがって。どっちが飼い主でペットなのか分かったもんじゃねえ。結局俺だけが振り回されている……。



「……どうすっかな……」


 バイトを理由に断ってしまった手前、暢気に彼女たちと合流するのも気が進まない。大人しく一人で準備でも始めておくか。

 そうは言っても、ウェアもボードも小物の類も向こうでのレンタルだし着替えくらいしか……。


 と、ここで再びスマホが震え出す。ノノから折り返しかと思ったが、どうやら違うようだ。見慣れない名前が表示され戸惑いも露わ。



「……ういよ、どした」

『ううぇっ、一発! 珍しいこともあるなぁ! 明日は雪とちゃうか?』

「先週降ったやろ」

『ハッ、確かにな。要するにアレや、廣瀬が丸くなったのも自然な成り行きっちゅうわけやなぁ、いやぁ感慨深いわぁ……』

「御託はええからさっさと要件を言え。俺も暇じゃねえんだよ」

『ういうい、まぁ大した用やあらへんけどな。ワイらみんな試験明けで練習も無いとさかい、結構暇しとるんよ。偶には付き合わへんか?』

「……お前と、あと誰?」

『堀ちゃんとトーソン。どーよ?』

「…………ほーん」


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