567. 我慢出来なくなっちゃった


「真琴おおオオォォッッ!!」

「うわああああァぁっっ!?」


 折れ戸を豪快に引っ張り浴室へ突入。ちょうどシャワーを浴び始めていたようで、浴槽を気持ち程度に遮る透明のカーテン越しに甲高い悲鳴が飛ぶ。


 そう、透明である。便座が水浸しにならないよう設けられた最低限の隔たりでしかない。シルエットと呼ぶにも不十分なそれを前に彼女の華奢なラインも丸見え。



「ちょっ、本気で入るつもり!?」

「アァ? お前が誘ったんやろ!?」

「違う違うちがうっ!? 冗談だってあんなの!」

「だとしたらやり過ぎやったな!」

「ううぇええええええええ!?」


 カーテンを勢いよく開き足を跨ぐ。浴槽の隅っこへ追いやられ真琴は胸周りを腕で必死に隠しガタガタ震えている。


 長瀬家でのハプニングに続いて二度目のことである。そうか、フットサル部の誰かと風呂に入るの、真琴が二人目だったか。あの時は女だと思ってなかったからノーカン扱いしてたけど。もうなんでもええわ。



「あっ、ありえない……ッ! 有希がすぐそこで寝てるんだよ……っ!?」

「有希がいなかったら問題無いってか?」

「そっ、そうじゃないって!! だいたい分かるでしょバカぁっ!!」


 飛び切りの罵声を浴びせその場へ座り込む。クソ、狭い空間だから湯気が籠って見えづらいな。今日この場に限ってはまったくもって不要な目眩ましだ。まぁ良い、見るだけで満足すると思うなよ……ッ。



「むりっ、ホントにムリだからぁぁ……!」

「そう拒絶するなよ。俺は真琴が好き。真琴も俺が好き。愛に年齢は関係無い。つまり一緒に風呂へ入ってもなんら不思議ではない。QED」

「ムリっ、むりだってええぇぇっ!!」


 軽口でお茶を濁そうにもすっかり恐怖で縮み上がってしまっている。俺を見ないように目もとを腕に押し当てて微動だにしない。嵐が過ぎ去るのをジッと待ち忍んでいるようだ。


 普段の俺なら。今までの俺なら間違いなく、このタイミングで我へ返っていたのだろう。怖がらせてごめん、調子に乗り過ぎた。そんな言葉を添えて静かに浴室から出ていくのだ。


 だが今となっては、恐ろしさに震える彼女の姿さえ扇情的に映る。俺の優しさに期待しているのだとしたらとんでもない勘違いだ。逆効果でしかない。


 ひたすらにタイミングが悪かったのだ。

 諦めろ、真琴。もう逃げ場は無い。



「調子に乗るからこうなんだよ。なあ? キスの一つも満足に出来ねえ癖して、大人ぶんじゃねえよ」

「ごっ、ごめんなさい……もう変なこと言わない、言わないからぁ……っ!」

「だめ。許さん。ええから立て」

「ひいいいいいいいいッ!?」


 腕を引っ張り上げて無理やり立たせる。すかさず顔を両手で挟み、決して目を逸らさせまいと更に力を込めた。


 顔中真っ赤に腫らした真琴が、涙目で俺を見つめている。普段のスカしたクールな佇まいも可愛らしいものだが、余裕の無い年相応の表情も魅力的だ。



「みっ、見るなぁぁ……っ!!」

「見るわ。そりゃ。こんなに可愛い顔」

「やっ、やっぱりダメだって……自分、まだ中学生なんだよ……!? こういうの、はっ、早すぎるよぉ……っ!」

「言うたやろ、年は関係ねえ。今のお前だからこそ、こういうことがしたいんだよ。これ以上言わなきゃ分からねえか?」

「…………そっ、それは……ッ!」


 少しずつ。だが確実に俺の言葉を受け入れ始め、強引に抵抗することも無くなった。

 本気で拒絶していたわけではなくただ恥ずかしがっていたことに気付いて、いよいよ理由付けも必要無いように思える。


 熱気の籠った密室で全裸の男女が二人。やることは一つだけ。女っ気の無い真琴でも、次に起こるべき事態の一端は重々理解している筈だろう。



「……んで……っ」

「あっ? なんやハッキリ言え」

「なんで、急にこんなこと……今までずっと、じゃなかった……兄さん、なんか別人みたいで……怖い……っ」

「隠してただけや。いや……眠ってたモンが出て来たっつった方が正しいかもな。いずれにせよ当然の流れや」

「……ずっとそういう目で見てたの?」

「見ざるを得なくなった。ってことで一つ納得しろ。お前が無防備なのが悪い」

「……自分の、せい……っ?」

「こないだも言うたやろ。女らしさが分からねえなら、俺の前だけで女らしくしてりゃええねん。せやから…………俺が分からせてやる。文句あるか?」


 絶対的な切り札、最後のカードを切り仕留めに掛かる。彼女が最も大切にしている言葉をこんなところで使う非常識さ、悪徳ぶりに自覚が無いわけでもない。


 仕方ない。仕方のないことなのだ。俺たちが更に先のステップへ進むために、どうしても必要だった。多少のズルくらい見逃してほしい。



「…………ホントに、自分のこと、そのっ……好き、なんだよね……?」

「好きでもねえ奴と風呂入るか」

「そっ、そっか、そうだよね……本気……なんだよね。自分のせいで我慢出来なくなっちゃったんだよね……っ」


 言い聞かせるように何度も言葉を噛み締め、喉仏をキュルキュルと鳴らす。潤んだ瞳の奥に覚悟の文字とよく似た色を浮かび上がらせ、真琴は震える声で呟いた。



「……わ、分かった……じゃあ、そのっ……いっ、良いよ。責任取るから……で、でも自分っ、そういうの詳しくないし、全然分かんないから……っ!」

「ええよ。なんもしなくて。受け入れてくれれば、それでええ」

「…………なに、するの……っ?」

「取りあえず……」

「んんぅっ……!」


 きめ細やかに震える唇をそっと優しく塞いだ。これ以上なにを言われても止める気は無いと高らかに宣言するように。


 数秒の沈黙を経て顔をゆっくりと離すと、普段のキリッとした涼しい姿はどこへやら。蕩けた瞳にぽっかり開いた口、よだれが首元へつらつらと垂らていく。



 これだけ接近してしまっては視力の低さも言い訳にはならない。姉とは似ても似つかないストンとした凹凸の無い華奢な身体が目に飛び込んで、極めて自然な成り行きとして右手は胸元へと伸びる。


 大きさは関係ない。彼女が彼女らしくあることが何よりも重要で、最も魅力的なのだ。それでも気に食わないというのなら、手助けくらいはしてやろう。


 揉まれると大きくなるって、迷信だろうか。

 だったら俺が確かめてやる――――。 






「すみません廣瀬さんっ、すっかり寝ちゃいましたっ! もしかしてマコくんもう帰っちゃっ…………た……え?」



 その場へ相応しからぬ大声で飛び込んで来たのは、すっかり眠りこけていると思われていたもう一人の来客、有希であった。


 乱入したまま扉は閉められておらず、浴槽を隔てるカーテンも開けっぴろげなのだから、当然ながら全裸で絡み合う俺たち二人の姿がダイレクトに飛び込んでくる。


 すっかり忘れ去られていた第三者の登場に、流されるがままだった真琴は急速に瞳の色を取り戻し、火照った身体は見る見るうちに青へ染まり出した。



「ゆっ、有希……!?」

「まっ、マコくん……えっ、ひ、廣瀬さんっ……!? なっ、なんで二人で……えっ、えっ……あっ、あわわわわワわわわ……ッ!」

「待って有希っ、違う、そうじゃないんだ! いや、なにも違うことなんてないけどっ、とにかくちがっ――――!」

「……………………かはっ」

「有希いいィィーーっっ!?」


 事態を呑み込めず思考回路がショートしてしまったのか。さながらギャグ漫画のように目ん玉をグルグルと回し、パタリと意識を失い背中から転倒。


 痛々しい衝突音が響き渡った。後ろはキッチンだから、頭と背中が思いっきりぶつかっている。こ、これは……っ。



「ちょっ、兄さんッ! メチャクチャ派手に打ってるよッ! ほっといたら死ぬよこれ!?」

「お、おうっ……」

「身体早く拭いてっ! まだ大して濡れてないでしょっ!?」

「……そ、そう、だな……っ」

「…………続きはまた今度! それで良いでしょ! とにかく早くっ!」


 グイグイ身体を押されて浴槽から抜け出すと、そのまま外まで押し込まれ扉を閉められる。気を失った有希を見下ろす全裸の男という、これはこれで非常に宜しくない絵面が完成してしまった。


 何かと頑丈な有希のことだ、それほど急を要する事態ではないだろうが……このまま放置するわけにもいかない……か。



「……またこんな流れかよ……ッ」



 せっかく覚悟を決めて、双方納得の上で進もうとしているのに。どうしてこうも邪魔が入るのだ。やり切れない。そりゃもう色んな意味で、やり切れない。



「ふにゃあぁぁ~~っ……ッ」

「コイツ……っ」


 割としっかり頭打ってただろ。なんでこんなライトに気絶してるんだよ。助ける気無くなるだろうが。


 これ、ゆっくり着直してからでも大丈夫だよな。それからでも遅くないよな。そうだろ有希。じゃないと許さねえよ。マジで。



「ほへえぇぇ~~……っっ」

「すまん、お前のこと嫌いになりそう」


 着替えを済ませ有希をベッドに運ぶまで五分と掛からなかった。その間に昂った劣情もほとぼりを冷まし、真琴が出て来るまでの恐ろしく長い時間を一人やり過ごすに留まる。


 哀れだ。なんとも哀れだ。

 でも絶対に俺のせいじゃないだろ。

 なんなんだよ。いやホンマに。なんなん。


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