562. わざわざ言わせたいんですか


 年度末の試験が日に日に近付いている。


 市内が今年二度目の雪に覆われ最寄り駅とを繋ぐスクールバスは大幅に遅れており、滑りやすい坂道を一時間掛けて降る必要にも駆られない。


 既にほとんどの三年生が進路を決め通学しなくなったこともあり、校内はペンを走らせる音ばかりで随分と静かなもの。


 その一端を担う俺にしても、ここに来てようやく一般的な学生らしい生活に埋没している。

 気の利き過ぎる暖房に身を寄せ図書館でまったり教科書を開くのも悪くない時間だ。彼女が隣にいるうちは特に。



「来ませんね」

「諦めたんちゃうの」

「まったく、見下げたものです。瑞希さんに至ってはわざわざ問題集まで作ったのですから、それ相応の成果は出していただきたいですね」

「それ、愛莉にも渡してやれよ」

「勿論そのつもりでしたが、自力で何とかすると頑なに断られました」

「不器用な生き方しとんな……」


 隣に座り英語の長文をスラスラと読み解く琴音。久しぶりに秀才キャラの一片を垣間見ている気がする。普段が普段なだけに尚更。


 図書室での勉強会に集まったのは俺と琴音だけだった。比奈も珍しく用事があるとかで席を外している。


 愛莉は「みんなでいると集中出来ない」と断った。俺の家で真面目に勉強出来なかったことを考えれば賢明な判断だろう。

 瑞希に関しては本当に知らん。そもそも琴音の作った問題集を理解出来るのかどうか。アイツに文字が読めるのかって話。いや、流石に馬鹿にし過ぎか。



「汚れてますよ。貸してください」

「えっ……おん、あんがと」


 眼鏡を外し渡すと、カーデガンの裾でゴシゴシと汚れを拭き取る。ドアップの整った顔面がフィルターも無しに曝け出されあまり気分は宜しくない。


 先日のやり取りでしこりが残ったかと思えばそうでもなく、極めていつも通りの警戒心ペラペラな琴音であった。忘れているのか意図的にそうしているのかはともかく、特に気にする必要は無さそうだが。



「どうかしましたか?」

「いや、なんでも……っ」


 ジロジロ見ていたのに気付いたのか、琴音は不思議そうに首を傾げる。なんてことない仕草一つさえ絵になるのだからやってられない。


 鼻先を通り抜ける爽やかなシャンプーの匂い。シトラスだろうか。これだけ長い黒髪だというのに枝毛の一本も見当たらないとは。



(気が散る……ッ)


 琴音に限らず彼女たちとの距離感がバグりっぱなしなのは今に始まらない。ではいきなり何を意識しているのかと問われれば、一向に姿を現さないノノの影響に他ならなかった。


 別れ際の反応を顧みるに、隙間を縫って関係を求めて来るかと今日一日ずっと警戒しっぱなしだった。だが今のところ目に見えたアクションは無い。

 いつもは用も無しにラインを飛ばして来るというのに、ついぞ一件の通知も来ないまま。


 まさか、焦らされているのか。俺から求められるのを待っているとか。そう考えれば少しは納得。いかにも策略家のノノが考えそうなことだ。



 だがしかし、とはいえ、である。ここまで鋼の理性を自称し様々な誘惑を飄々と躱して来たこの俺だ。割と流されてるけど。話が拗れるからこれ以上は言わん。


 いくら先日の出来事が尾を引いているからと言って、そう簡単に道を踏み外したりはしない。出来ない筈だった。

 現にこうして琴音と問題なく顔を合わせているのだから、そういう意味ではノノの戦略は既に失敗しているとも言える。言えるのだが……。



(…………デカい……っ)


 ペンを走らせるフリして横からガン見している。真面目に問題を解いている彼女は気付く素振りも無い。


 薄手のカーデガンではまるで隠せない豊満な胸部。存外に短いスカートから覗く色白な太もも。ひざ掛けの類は持ち合わせが無いのか、少し寒そうに両脚を擦り合わせている。


 どれを取っても思春期真っ只中の男子学生にはあまりに刺激的で、殊更に不要な射幸心を煽る。男の性欲を詰め込んで生み出された偶像なのかコイツは。


 で、こんな奴が俺のことをどう思っているのかと。もう考えただけでも恐ろしい。頭おかしくなる。なにが試験対策だ。集中出来るか。 



「陽翔さん?」

「……な、なんでもねえよ」

「そうは言いますが、没頭するならまだしもペンが止まっていてはこちらも気になるのです。なにが私に話が?」


 抑揚の無い声色もダメ押しみたいなものだ。なんでお前、声まで可愛いんだよ。ちょっとは女らしくない要素の一つもねえのか。

 実はすげえ爪が汚いとか、昔の男の趣味でタトゥー入ってるとか、そういう余計な属性をなにか持っていて欲しい。でもなけりゃバランス取れん。



「……集中切れただけや。座っとるだけや意味あらへんし、今日は辞めとく」

「そうでしたか。では仕方ありませんね」

「……なんや。着いて来るなって」

「皆さんが集まらない以上、私もここに居る理由は無いので。家で勉強するほうがよっぽど効率的ですから」


 逃げるように席を立つが、琴音もすぐさま教科書ノートを纏め帰り支度を始めてしまう。一旦距離を置いて無駄に滾った劣情をリセットするための嘘に他ならないのに、これでは本末転倒。



「今日はアルバイトも無いんですよね」

「……それが?」

「いえ、特にどうというわけでも。ただ駅前のラーメン屋は一人で入るにはやや心細いという、それだけはお伝えしておきます」

「付き合え言うとるようなモンやろ……」


 どうやら俺の傍から離れる気は無さそうだ。クソ、どうしてお前もこんなときに限って押しが強いんだよ……ルビーに感化されたわけでもあるまいに。



「すまん、ラーメンの気分ちゃうわ。どうしてもってんならノノでも誘え。どうせ暇しとるやろ」

「……………貴方と一緒に行きたいと、そう言っているのですが」

「うぐッ……!」


 やめろ。なんだその寂しそうな顔は。

 馬鹿正直に言いやがって。調子狂う。



「私にこんなことを言われてもお困りとは思いますが、こちらも悠長に構えている場合ではないので。多少の無理はさせていただければと」

「ハッ、よう言うわ顔真っ赤にして。どんだけ俺のこと好きやねん、お前」

「……わ、わざわざ言わせたいんですか? 悪趣味な方ですね」

「えっ」


 真面目な顔でそんなこと言うものだから、比喩でもなんでもなく一瞬固まってしまった。裾をギュッと掴んで、やり場の無い感情を必死に塞き止める彼女。


 なにこの可愛い生物。超愛くるしい。

 ヤバイ。世間体捨てたくなっちゃう。



「おっ、お前なっ……こないだも言うたけど、ちょっとは警戒しろって。俺が相手やなかったらどうなってるかくらい想像付く筈やろ……ッ」

「貴方と違って相手は選びますし、誰彼構わずというわけでもありません」

「ド正論噛ます場面ちゃうよな? なあ?」


 立場上最も効果的で言われたくないフレーズだ。自覚があるだけに尚更。


 一歩も引く気は無いと口にせずとも語られる本心。ノノもノノだけど、琴音も最近ちょっと様子がおかしい……こんなに素直な奴だったっけ……ッ?



(落ち着け……落ち着け……ッ!)


 まず図書室のド真ん中で何をやっているのだという話である。冷静になれ。本来の自分を取り戻すのだ。


 確かにノノとは一線を越えてしまったが、だからといって他の面々にも、何より琴音にも同じことをして良いかと問われればまた別の問題。


 なにが不味いって、琴音が俺に求めていることと、今の俺が琴音に求めたいことは恐らく一致していない。

 見境無しに劣情をぶつけては動物以下。彼女は彼女で必要なステップが存在する。必ずしもノノと同じ形にはならないのだ。



 でも、辛い。

 なんなら今すぐ手を出したい。


 このまま家へ連れ込んで彼女を押し倒せたらどれだけ喜ばしいことか。きっと琴音も受け入れてくれる。所詮は男と女。結論で言えば彼女も本望だ……なんて、そんな単純な話じゃない。


 分かってる。分かってるけど……ッ。



「あらあら。お二人とも立ったままどうされて?」

「市川さん……奇遇ですねこんなところで」

「図書室で勉強してますってライン送ったのセンパイじゃないですか」

「……そうでしたね」


 と、ここで助け船。

 本棚の影からひょっこり現れたノノ。


 いや分からん。ある意味で一番逢いたくなかった奴が来てしまった。だがタイミングとしては悪くない……!



「すまん、あとは任せたっ!」

「はいっ? センパイ?」


 カバンを引っ手繰り図書室から抜け出す。なにを逃げ出す必要があるのかと聞かれても答えは出ない。


 ただこの場に留まるのが酷く躊躇われて、心より先に脚が動いたという、本当にそれだけだった。






「流石に場所が場所でしたが、まぁでも、あと一押しですかね」

「……なんのお話ですか?」

「いえいえ。それとセンパイ、ノノはまだやることがあるので、ラーメン食べるのはまた今度でお願いします」

「……いつからそこに?」

「割と前からです」

「…………先日と立場が逆転してしまいましたね」

「んははっ。どうなんでしょうねえ?」


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