561. 使ってくださいね
終わりの見えない土曜日。トラップダンジョンと化した市川邸での災難はまだまだ続く。
外でボールを蹴るのも寒くなって来た午後三時過ぎ。とっておきの暇潰しがあるとノノが案内してくれたのは三階の一室に用意されたシアタールーム。
わざわざ映画観るために部屋を作る必要があるのか、という真っ当なツッコミはもはや通用しない。ルビーも邦画に興味があるとのことで、明かりを消し鑑賞会が始まった。
『確かに興味あるって言ったけど……これ絶対にホラー映画よね!? ねえ、そうでしょ!? そうなんでしょナナっ!?』
「なに言ってるか全然分かりませぇ~ん」
「あくどい奴め……」
多様なジャンルが用意されている配信サービスのなかからノノが選んだのは、井戸から出てくるタイプの悪霊にあれこれ迷惑を掛けられる日本人お馴染みのホラー映画であった。
犬に飽き足らずお化けも苦手なようで、開始10分も持たずルビーは毛布に包まってガタガタと震え出した。テレビから大音量の悲鳴が飛び交う度にもっこり膨らんだ毛布がビクンと揺れ動いている。
「……センパイ。もっと寄ってください」
「んやねん、絶対怖がっとらんやろ」
「ほらっ、早く」
ルビーに聞こえないよう小声で囁き、腕を引っ張って身体を手繰り寄せられる。開いた足の間にノノが収まった。
腕を前に持っていかれ、後ろから抱き締めるような形になる。髪の毛から漂う生々しい匂いが鼻先を抜け、当然ながら冷静ではいられないわけで。
「あたま、撫でてくださいっ」
「…………こうか?」
「……むふふふっ……♪」
幸せいっぱいと顔に書いてあるようだ。
初めから映画観る気無かったなコイツ……。
「シルヴィアちゃんがお化けとか暗いところが苦手だって、ノノ知ってたのです。一泊の自然学習で夜中にワンワン泣いてたくらいなんですから。学校のハロウィンイベントのときなんて、仮装して脅かしたら気絶しちゃいました」
「可哀そうに……」
今日一日でルビーのイメージもだいぶ変わった気がする。そうか、コイツら単に仲が良かったというより、ノノがルビーを弄って遊んでいたんだな。
めちゃくちゃ雑に扱われてるぞルビー。こんな奴を頼ってこっち戻って来て本当に良かったのか。これからもっとオモチャ扱いされるぞ。大丈夫かよ。
「……ちょっと怖くなって来たかもです」
「嘘吐けや」
「左胸がドキドキします……あ、いや、右もです。どっちもバクバクです」
「心臓二台持ちとは贅沢やな」
「どちらにせよ恐怖で身体が震えているのです。収めるにはセンパイの暖かな温もりが必要なのです…………ねっ?」
「ねっ、じゃねえよ……大人しくしてろ……!」
「抵抗するなら、ズボン脱がして搾り取っちゃいますよ……ノノ、シルヴィアちゃんに見られても全然困りません」
人を食ったような妖艶な笑み。
悪魔の囁きが俺を襲う。
井戸から飛び出て来た悪霊よりよっぽど性質が悪い……クソ、流石にルビーの前で行為に及ばれるわけにはいかない……っ。
「いやんっ。えっち♪」
「どの口が言うとんねん……ッ」
意を決して双丘へと掴み掛かると、わざとらしく声を漏らし頬を赤く染める。やり易いように努めているのか、背中を預け更に密着して来た。
……デカい。デカすぎる。しっかり掴んでいないと零れ落ちてしまいそうだ……というかこの感触、やっぱり下着付けてない……。
「ノノのおっぱい、気持ちいいですか?」
「…………とても、非常に」
「んへへへっ……もう、夢みたいです、センパイにこんな風に求めて貰えて、幸せ過ぎて、溶けちゃいそうですっ……良いんですよ、我慢しな……ひぅっ!」
思いがけず先頭部に指が触れてしまい、甲高い声とともに身体を震わせる彼女。
バスルームでの出来事が脳裏を過ぎり、次第にこちらも滾りを増していく。
ルビーが目の前にいるのに。
我慢しなくちゃいけないのに。
手が止まらない……恐ろしい魔力だ、こんなに柔らかいモノがこの世に存在するなんて……ッ!
『ちょっとナナぁ! まだ終わらないのォっ!?』
「ひゃあッ!? な、なんですかッ!?」
『お願いだから早くビデオを止めてっ! 呪い殺されちゃうからぁぁっ!!』
互いのスイッチが入り切る寸前のところ。ルビーの絶叫がシアタールームに響き、慌てて距離を置く両者であった。
どうやら俺たちの隠れた情事には気付きもしていないようで、変わらず毛布のなかでブルブルと震えている。
名残惜しさもそこそこに俺のもとを離れDVDを操作するノノ。ちょうど井戸から黒髪の女が姿を現すシーンが映し出されている。
小刻みに揺れる肩は、間違っても恐怖による影響ではないだろう。明かりの付いた部屋には甘ったるい吐息の跡が鮮明に残っている。
もう言い訳もなにもない。ワンコに襲われたルビーを助けないでいれば、あのまま二人きりで最後までやり通せたとか、中々に酷いことを考えている。
あり得たかもしれない、或いははそう遠くもない未来を思い描き、後悔を重ねる情けない自分が確かに居た。
* * * *
口直しに観始めた著名な魔法モノのファンタジー映画ですっかり機嫌を取り戻したルビーだが、一日の半分近くワンコと悪霊の幻影に怯えて過ごしたのがやはり気に食わなかったらしく。
このまま家に泊まっていくらしい。会話のほとんどを俺を介していたのも心残りなようで、どうにか自力でコミュニケーションを取ってみせると妙に意気込んでいた。俺はお役御免というわけだ。
当然ながらルビーは、今日一日で見違えるほど固く結ばれた俺とノノの特別な関係を知らない。
部活のチームメイト。仲良しの先輩後輩。俺も泊まって良いかと尋ねたところ「それじゃ本当に恋人みたいじゃない!」とだいぶ怪訝な顔をしていたから、恐らくそれくらいの認識でいるのだろう。
まだルビーも俺と同衾する勇気は無いようで、彼女を納得させるには条件が足りなかったわけだ。
だとしても鈍すぎるような気がしないでもない。バレンタインで見せた機転の良さはどこへ行ってしまったんだろう。
一週間やそこらの付き合いですべてを知った気でいた俺も大概だが。にしても掴みどころが無い。
『ごちそうさまっ。とっても美味しかったわ、ナナは料理も上手なのね』
『凄いのはコイツやなくて日本の加工食品や』
「シルヴィアちゃんなんて?」
「この程度で調子に乗るなとさ」
「絶対言ってませんよね?」
夕食のレンチンで温めるだけのグラタンを平らげご満足のシルヴィア。着替えはノノのものを借りるらしく、そのままバスルームへと向かって行った。また迷うんだろうな。絶対に。
「本当に大丈夫か?」
「昔もフィーリングでだいたい乗り切ってたんで、なんとかなりますよ。いざとなったらバウリンガル使いますから」
「懐かしいとかのレベルちゃうぞ」
携帯機器を片手に白い歯を輝かせる。それジョークグッズだから。ちゃんと翻訳機使って会話して。どっちが犬扱いか分かったモンじゃねえから。
……まったく、お前もお前で掴めないな。いつも通りのノノと女らしい姿が二転三転して、ちっとも休まらない。
どうせルビーが居なくなったこのタイミングで切り替えるんだろ。分かってんだよお前のやり口は。
「……センパイとイチャイチャするのも大事ですが、シルヴィアちゃんも大切なお友達ですから。どちらも蔑ろにはしたくありません」
「ったく、俺とばっかくっ付きやがって。寂しそうな顔させんなよ」
「はい、反省してます。まぁなんというか、タイミングが良いのか悪いのか……そもそもここまで進むつもり無かったんですけどね」
「……じゃ、仕方ないな」
「そういうことにしときましょう」
俺も俺で今日はルビーを雑に扱ってしまったからな……この埋め合わせはまた今度しっかりするとしよう。
この瞬間に限っては、まずコイツの相手をしてやらないとな。なんてったって、俺が飼い主なんだから。もう深く考えるの辞めよう。頭おかしくなる。
「……で、いつにしますか?」
「なにを?」
「ノノの大事なところをブチ破る日です」
「…………急にやめえや」
「大事なことです。今日はお預けというだけで、ノノはいつでも準備出来てますから。修学旅行の前が良いですかね?」
「試験期間は考慮するんやな」
「今日だけで何回も流されまくった手前言い出しにくいですが……流石に今すぐにとなると、ちょっと影響出ちゃいそうっていうか……っ」
「それな……」
僅かに重なった視線がすぐに対面へと外れ、互いに頬を赤らめる。
甘酸っぱい初恋を語るには余計な要素があまりに多いが、今ばかりは棚に上げておこう。
立ち位置を定める。関係性を明確にする。結論として、飼い主とペット。
あちこち遠回りをしたが、早い話、俺たちは最初の一線を越えた理由と、最後の一線を超える理由が欲しいだけなのだ。
同様に他のみんなに対しても、俺は自分たちにしか通用しない曖昧な関係を求めて、恐ろしく簡単に最深部へと侵入しようとする。浅はかな欲望に駆られ我を忘れている自覚も勿論あった。
でも、きっと止められない。彼女のせいで、すべてひっくり返ってしまったのだ。
「……言うて試験明けて二日とかやぞ」
「難しければ修学旅行のあとでも良いですよ。どうせすぐに春休みなんですから、機会はあります……でも、アレですよ。ノノに黙って他のセンパイ方と済ませちゃうのはナシですからね」
「分かっとる……ここまで来ちまったしな。俺も最初はお前が……」
「いや、ですからセンパイ。別に初めてをノノにこだわる必要は無いです。ただ教えてくれれば良いんですよ。事後報告がイヤってだけで」
「…………はぁ?」
要領を得ない返答に思わず首を捻る。
こだわらなくていい? 事後報告が嫌? なんかそれ、まるで「自分は後回しでも構わない」みたいに聞こえるんだけど……。
「逆に聞きますけど、その調子で修学旅行乗り切れると思ってるんですか? 絶対にどこかで理性ブチ切れますよね?」
「…………ありえん話では無いが」
「何度も言うようですが、ノノはペットなのです。センパイの意志や決定を覆すだけのパワーは持っていないのです……ノノより大事な方、初めてを捧げたい方がいらっしゃれば、どうぞ好きにしてください。文句言いませんから」
「あれだけ挑発しといてよう言うな……」
「だって、チャンスはチャンスでしたから。でも今日はダメでした。偏にノノの力不足です。先を越されたとしても文句を言う権利は無いのです」
真面目な顔して当然のように言い放つのだから、なにが常識で非常識かついには見失いそうだ。既に両方とも捨ててしまったかも分からないが。
全部含めて、俺の責任。か。
こんなノノになってしまったのも、俺が原因なんだよな。だったら別に文句も無いけど。とはいえ流石にちょっと一言。
「……お前が納得しとるってんなら言いたかねえけどよ。ちょっと都合良過ぎるぞ。ペットはペットでも自尊心ってモンがあるやろ」
「その程度のしょうもない感情でセンパイを手放してしまうくらいなら、女としての尊厳などノノには必要ありません」
「…………大した覚悟やな」
「そうですか? ノノにとってはこれが正攻法で、唯一の手段と思いますけどね。センパイもよく知っている筈です。ノノ、イカレてるんですよ。ヒール役もダーティーなプレーも嬉々としてこなす、ネジの抜けたヤバイ女なんです」
「……そうだったかもな」
不敵な笑みを溢す。その通り、単純な悪巧みだけならともかく、陰謀を練らせたらコイツの右に出る者はいない。
ただ、意外と純粋だったり本当は真面目だったり、そういうギャップも面白くて。こんなのが四六時中すぐ傍に居てみろ。飽きるに飽きねえよ。
「だから、あんまり気を病まないでください。センパイは欲望のままにノノを貪ればいいんです」
「気の向くままノノの人生をメチャクチャに、グッチャグチャにしてください…………ノノ、幸せですから。図らずとも幸せになっちゃってますから。ご心配なく」
ここまで言うくらいだから、本当にそう思っているのだろう。真っ直ぐな瞳に偽りや達観の色は見出せない。
でも、俺も俺で納得したいんだよな。
ただのペットじゃあんまりだろ。ノノ。
「俺も自分からは伝えてなかったからさ。ちゃんと言わせてくれ…………好きだよ、ノノ。愛してる」
「……ふぇっ」
「お前のこと、ずっと大事にするから。そのっ……どんな形でも、関係でも……それだけは変わらねえから。なっ?」
「……………………は、はいっ! ノノ、一生センパイのお傍に居ますよ! いつどんなときでも、ずーーっと一緒ですっ!」
優しく触れ合った唇から、食べたばかりのグラタンの香ばしい匂いがする。
どうやら初々しいレモン味のキスは一向に実現しそうにないし、俺たちの歪な関係を表すにちょうどいい塩梅とさえ思った。
けれど、それだけじゃ物足りない。そりゃ形にこだわるのも一興だけど、極端な話、俺とお前は言葉じゃ表し切れない何かで繋がっている筈なんだから。
所謂、愛情ってやつだろ。
俺はそう信じているけれど。
ノノ。お前も同じ気持ちだよな。
じゃないと困るぜ。いくらなんでも。
「……じゃ、帰るな」
「はい、おやすみなさいですっ! そうだ、お風呂上がりに写真撮るんで、帰ってから催したらそれ使ってくださいね。センパイの激選ショットもお待ちしてますっ!」
「何故オチを付けた。おい。言え」
ごめん。やっぱり心配。
これからお前との関係、不安で仕方ねえよ。
飽きねえ奴だ、ホントに。
馬鹿に心地良いからもっと困るわ。
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