560. ちゃんと躾けてください
またもワンコの強襲に遭ったルビーを救出することとなり、ここで一旦ブレイクを挟む形となった。
先ほどまでのやり取りなどとうに忘れてしまったかのような素振りで、ノノは「どうせフットサル部入るんですし実力が見てみたいです」とルビーを相手にボールを蹴り合っている。
ルビーの気が散って仕方ないので、ワンコは近くの犬小屋へ送還。ワンコの頭を撫でながら芝生に座り二人のパス交換を眺めている。
「急に大人しいなお前」
『クゥゥン……』
動物には何かと嫌われがちな俺だが、ワンコは気持ちよさそうに喉を鳴らすばかり。クリクリとした愛らしい瞳からは「なんで女じゃなくてお前なんだよ……」というそこはかとない執念が透けて見えるが。気にせんとこう。
「わおっ、上手いじゃないですか! 流石はトラショーラス一家の血を引くだけはあります! シュートですよシュートっ!」
『見てて、行くわよナナっ!』
左脚から繰り出された豪快なショットがミニゴールを揺らす。ファビアンたちと混ざってサッカーしていたときもそうだったけど、普通に上手いんだよな。ルビー。基礎がしっかり出来ている。
そもそも父のセルヒオ氏、通称チェコにしてもプロで活躍していたアスリートの家系だし。彼女に特別な天賦があっても不思議ではない。
春からのフットサル部はレギュラー争いも大変だ。別格の愛莉、瑞希、そして俺はともかく、他の面子にも火が付きそうで結構なことである。
「はぁー……」
と、先の話を考えて忘れるフリだけはしてみたが、そう簡単に事も運ぶまい。実際のところ頭のなかは後輩のチームメイト、もといペットなる地位に就任してしまった彼女のことでいっぱいだ。
理屈は分かる。彼女には俺を独占したいという気持ちはさほど無く、ある程度の愛情を注いで貰えば十分。
それでいて、浮ついた言葉や曖昧な関係では縛り切れないより強力な拘束、理由付けを求めている。
発想自体は斜め上。というか、これもこれで言葉遊びの延長な気がしないでもないが。言うところの飼い主とペットの関係は、俺とノノの関係を最も明確に、そして強固にするにおいてこれ以上無い適切な縛りなのだと思う。
(そうは言ってもな……)
別に嫌というわけではないのだ。特殊な関係を持ってしまった手前、今後の付き合い方をしっかり定めなければならないことは重々承知していたし。
何よりノノが納得して、一番理想的な形だと結論付けたのだ。それは違う。あまりにも不健全だ。もっと良い方法がある。否定するのは簡単だが、じゃあ他にどうすれば良いのかと問われても答えは出せない。
対案も無しに否定ばかり繰り返す中身の無い国会中継を模倣する気は無い。有益性は俺も理解しているし、それ自体はなにも文句は無いのだ。
「……ペットだとよ。お前と一緒やってさ、ワンコ。笑っちまうよな」
『クウゥゥン……』
「ハッ。分かってくれるか?」
無論、彼女の言う「責任」を取れるかどうかで悩んでいるわけでもない。問題はもっと単純なモノだ。
(理性、持つかな……)
要するにそういうことだった。
今更言及するまでもない。純粋たる美少女なのだ、市川ノノという人間は。容姿に留まらず、男を狂わせる類の武器をあまりに多く取り揃えている。
そんな奴が俺の従順なペットになるなどと、想像しただけで鳥肌が立つ。余計な箇所に血が集まって仕方ない。あれだけ暴走していて収まりの悪い愚弟だ。
似たような危機はこれまで何度も迎えている。友人、チームメイト、家族。様々な理由を取って付けては性差を意識しないよう務めて来た。ハロウィンの比奈との一件辺りからもう線引きメチャクチャだけど。
でもどうにか、一線は。一線だけは超えないようにとアンテナを張ってここまで耐え忍んで来たのだ。俺にとってはあまりにも高く険しい壁。
それがノノの手引きによって叩き壊されてしまった。俺はきっと。いや恐らく、彼女たちのことを今まで以上に女性として意識せざるを得なくなる。
同様に彼女たちも、俺の男性的な部分をより注視するようになる筈だ。現にノノはもう隠そうともしていない。
(俺がしっかりしねえと……)
つまるところ、フットサル部が名ばかりの部活動になるのが一番怖い。全員と関係を結んだ日にはもう練習なんぞロクに機能しないだろう。
いつもの溜まり場が談話スペースから俺の家になって、部屋がそれ用のホテルと化すのだけは避けたい。自分を含め何だかんだで我慢の足りない連中だ。誰かが「全国を目指すより……」なんて言い出したらもう止められる気がしない。
仲が良いのも、転じて良過ぎるのも構いやしない。むしろ望むべき未来だが。俺たちが俺たち足り得た大前提を見失っては意味が無い。
春からは有希も真琴もフットサル部へ加入する。俺個人への感情も勿論あるだろうが、二人は皆の後輩に、部の正式な一員となることに大きなモチベーションを持っている。そういう部分も無視は出来ない。裏切れないのだ。
「…………でもなぁ……」
そうだよな。自分から口に出すの超恥ずかしいし実に烏滸がましいけど、アイツらも俺のこと好きなんだよな。
なんならそっち方面も彼女らにしてみれば望み通りの展開なんだよな……別に嫌ってわけじゃないんだけど、むしろ嬉しいくらいなんだけど……うぐぐぐぐ……。
「センパーイ。一緒に蹴りましょうよー」
「えっ……お、おう……」
ボールが転がって来る。つま先で掬い上げてリフティングを繰り出すと、ルビーは感心したように掌を合わせる。
『通りで上手いと思ったのよ。パパがいつも話していたわ。どうしてもデビューさせたかった子が居たけど、タイミングが悪くて叶わなかったって』
『まだ俺の話しとるのか』
『今まで見て来たなかで一番の才能だって、家に帰って来てもずっとその話ばっかりよ。まさかヒロのことだったなんてね』
期待値の高さは身に染みて実感していたが、想像以上に気に入られていたようだ。同じ街に住んでいるわけだし、そろそろチェコにも挨拶しに行かないとな……。
「……つんつーん」
「なっ、なんや」
「いえいえ。お二人だけで楽しそうにお話しているなと、それだけですが?」
「んだよ。妬いてんのか?」
指を立てて腰骨の辺りを突いて来る。言葉が理解出来ない故に除け者扱いされたとでも感じているのか、随分と不満げに唇を尖らせる。
こんなところでまで意識させて来るのかと、敢えての強気な態度で打ち砕きに掛かるが。どうやら一枚上手なのはノノだったようで。
「はい、妬いてます。ジェラってます。今にも嫉妬で狂いそうです」
「えぇっ……」
「センパイからしたらシルヴィアちゃんはまだまだ「お客様」ですよね? そんな子よりペットのノノを可愛がって然るべきとは思いませんか?」
「旧友になんちゅう言い草や……」
確かに俺にとってのシルヴィアは現状、バイト先の知り合いという域を出ていないかもしれないが……その言い方はどうなんだ。んん?
「まっ、ノノを差し置いてシルヴィアちゃんと仲良くしてしまうというのは、要するにノノの努力不足、可愛さ不足なのです。ここは素直に認めるとしましょう」
「はぁ……?」
「……ノノのこと、ちゃんと躾けてください。じゃないとノノ……センパイをいっぱい困らせちゃいますよ?」
「ちょっ……!?」
掴まれた右手が彼女の臀部へと宛がわれ、ノノはくすぐったそうに甘い吐息を漏らした。
突然のセクハラ強要に慌てて手を離そうと力を入れるが、こちらも中々の引きの強さ。そう簡単には離してくれそうにない。ちょうど死角になっているため、ルビーは俺たちの攻防を不思議そうに眺めている。
「ノノ、お前……ッ!」
「んふふふふっ……センパイ、いつまで耐えられますかね? 良いんですよ、この場で押し倒されちゃっても……ノノで遊んで、スッキリしちゃいましょう。だってノノ、センパイのペットなんですから♪」
怪しげに目を光らせ挑発を重ねる。
駄目だ。逃れられない。
とっくに詰んでるじゃねえか……ッ。
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