559. センパイのペットになります


『どうしてこうなるのお゛おおおお゛おお゛ォォォォいヤああ゛ああァァ゛ァァあ゛あああアアアア゛アア゛アア゛ーー゛ーー!!゛!!』


 空腹でしょぼくれていたワンコにご飯をあげたまでは良かったのだが、物陰から恐る恐る様子を窺っていたルビーを発見するや否や元気を取り戻し、庭中を巡る追いかけっこが始まった。トラウマ再び。


 初めてノノの家へ訪れたというのに、犬に襲われて、気絶して、迷子になって、ゲームでも銃撃に遭い、再び襲われて。

 バレンタインで連中に見せ付けた余裕綽々ぶりとは一転、実に散々なルビーさんである。



「意外と足早いっすね」

「着眼点そこ?」


 いよいよ力も尽きて芝生へ倒れ込むと、こちらがメインディッシュですと言わんばかりにルビーの顔をペロペロ舐めまくるワンコ。


 バスルームの位置を正確に把握すべきは間違いなく彼女だろう。可哀想に。



「ああなると満足するまで終わらないんで、暫くほっときましょう」

「せっかく再会したってのに旧友らしさ皆無よなお前ら」

「心は通じ合ってるんですけどね」

「ホンマに?」


 どこからかフットサルボールを取り出して戻って来たノノ。ルビーの相手はワンコに一任するようだ。可哀想に。



 前述の通り市川邸の庭には、遊びで使うようなミニゴールが一つ置かれている。三角の形した腰の高さくらいの小さいやつ。


 小6の頃、サッカーにハマってすぐに誕生日プレゼントで買って貰ったらしい。

 軽快なリフティングを数回挟みネットへ蹴り込むと、短いスカートが揺れまたも中身が露わとなった。お久しぶりです、水色パンツ。



「そういや聞いたこと無かったな、なんでサッカー始めたのか。ルビーに影響受けたってわけでもないんやろ」

「この辺りって湘南のチームのホームタウンなんですよ。ほら、偶に無料のチケットとか配られるじゃないですか」

「あるな。偶に」


 小学校に無料チケット配ったり、サッカー教室しに来たりとかな。セレゾンも似たような地域活動をやっていた。俺の通っていた小学校にも何回か来てたっけ。



「で、気になって行ってみたんですよ。一人で。でもその試合はボロ負けでした。どうしても勝ち試合を見たくて何度も通って、気付いたらハマってました」

「なるほどな……」


 ここ最近は一部に定着しつつあるけど、基本的には二部リーグが主戦場だからな。湘南。

 それこそトラショーラスが監督をしていた時期が一番強かった。ノノが小6の頃はすでに退任していて、かなり低迷していた時期の筈だ。


 言われてみれば湘南って、とにかく走って走って泥臭く勝つイメージの強いチームだな。ノノに通じるところがあるかもしれない。



「最近はちょっとご無沙汰なんですけどね。競技そのものは勿論ですが、ゴール裏の雰囲気とか、結構好きなんですよ。サポーターって言い換えれば狂信者なわけじゃないですか」

「言いようによっちゃな」

「損な生き物っすよね、サポーターって。チームの勝ち負け以外にこれといって見返りも無いのに、安くないチケット代払って、ユニフォーム買って。勝ってるうちは良いですけど」

「負けたときなんぞ来週まで気落ちしっぱなしやもんな」

「えぇ、えぇ。その通りです。気付いたら生活の一部になってるんですよ。自分でどうにもならないものを必死に応援して、奴隷根性甚だしいものです」

「その言い分はどうかと思うが」


 まぁ分からんこともない。選手たちは口を揃えて「サポーターのために勝利を目指す」だなんだとお行儀の良いことを言うが、試合中にどれだけサポーターたちのことを気にしているのかって話よな。


 セレゾンにしてもユースの試合でも結構な客が入っているけど、試合中に彼らの動向を気にしたことなんて一度も無かった。

 精々試合前の個人チャントに手を挙げて応えるくらいか。俺は無視することの方が多かったが。


 サポーターがいなければプロスポーツは成り立たない。興行的な意味も含めて。でも両者の関係って、対等かどうかと問われれば決してそうでもないんだよな。



「そんな不平等な関係でも、辞められないんですよね。やっぱり贔屓が勝ったり優勝したら嬉しいし、負けたら悔しいし。期待した分のリターンが返って来るかも分からないのに、妄信的に後を着いて回るだけ」

「ペットと飼い主の関係やな。いよいよ」

「はいっ。それが不思議と心地良かったりするもんです……よっと!」


 豪快に右足を振り抜きボレーでネットを揺らす。大したテクニックだ。

 彼女も夏から確実に成長したな。当時はここまで足元の扱いは長けていなかった。



「センパイ。ノノ、答えを見つけたかもです」

「……さっきの続きか?」

「ノノとセンパイの関係って、チームとサポーターに似ていると思いませんか? ノノが狂信者で、センパイが応援される側です」

「…………そんなもんか?」


 大勢に支えられ不安定ながらどっしり構えている俺と、それを支える彼女たち。確かに捉え方によってはその通りかもしれない。


 だがこの関係性が正解、答えなのか。何度も言うように、決して平等ではないのだ。主導権は常に俺が持っており、ノノは追従するだけになってしまう。



「ゆーてサポーターの力って侮れないんですよ。負けが込んだらゴール裏に居残りして延々とお喋りさせられますし、チームが何かやらかしたらボロクソに叩きます。愛故のムチです」

「居残りはホンマ迷惑やけどな」

「とにかくですねっ……あの、ノノは別に、平等である必要は無いんですよ。さっきも言いましたけど……ノノのことを大事に想ってくれてる、ノノがいないとダメなんだってことを分かって貰えているのなら、それで十分なんですっ」


 彼女の根底にあるには「必要とされたい」「自分を求められたい」という二つの揺るぎない存在証明への渇望だ。

 男女の関係にかかわらず、ノノは自分の必要性を明確にしたくて、こんがらがった身の上で藻掻き続けている。



「……悪いけど、別にサポーターも狂信者も俺には必要ねえぞ。そういうのセレゾンで散々懲りとんねん」

「そうですよね。センパイからすれば余計なプレッシャー掛けられるのが一番イヤなんですよね…………でも、責任は取って貰わないとですよ?」

「ならどうすれば……」

「これもさっきセンパイが言ったことです……飼い主とペットなんですよ。ノノとセンパイは」


 小さな歩幅でとことこと近付き、ワンコに襲われっぱなしのルビーの様子を確認すると、手を掴んで胸元へと飛び込むノノ。



「…………ノノ、センパイのペットになります」

「ぺ、ペット……!?」

「自分で言うのもなんですが、ノノ、めっちゃチョロいんですよ。センパイにちょっと可愛がられただけで、気にかけて貰えただけで満足しちゃうような、非常に底の浅い生き物なのです。いくら否定しようとも抗えない事実なのです」

「それは……まぁ、うん……?」

「良いですか、センパイ。ノノはもう、勝手に着いて回る都合の良い存在ではないのです。センパイはとっくにノノを飼ってるんですよ……飼い主にはそれ相応の責任が伴いますよね? そうですよねっ?」


 熱っぽい視線とともに強く訴えるノノ。どうやら言葉遊びの延長で適当なことを言っているわけではなさそうだ。



(飼い主、って……)


 仮にも女の子相手に通用する台詞や関係ではない。ノノに限らず、俺の都合で女の子を好き勝手連れ回すなんて……そんなの、許されるわけない。


 でも、ノノはそんな関係が答えで、ちょうど良いのだと宣う。彼女が納得している分にはこれが正解……なのか?



「勿論、ペットですから。お腹が空いているのにほったらかされたり、遊んでくれなかったら……いくら飼い主でも、嫌いになっちゃいますよ?」

「……その言い方だと、どっちが飼い主か分かったモンじゃねえな」

「いえいえ。立場は弁えます。センパイのやること成すことに文句を言う筋合いはありません。ただ、いじけるだけです。キャンキャン文句を吠えるだけです。でも……ずっと一緒に居ます。必ずセンパイのお傍に居ます」


 苦し紛れの言い訳ではない。

 ノノは本気だ。


 自分の立ち位置を明確にするために。そして何より、自身の欲求を最も理想的な形で叶えるために。本気で考えて、導き出した結論が、これなのだ。



「だってペットは、ただのペットじゃないんです。家族も同然なんです……それに、頑張るのはセンパイだけじゃないですよ」

「……どういうことや?」

「可愛げの無い邪魔なペットなら、ポイ捨てされちゃいますから。ちゃんとセンパイに可愛がってもらえるように、もっともっと可愛くて、従順なペットにならないといけません。それはそのまま、ノノのやりたいこと、必要なことに繋がるんです」


 俺に気に入られるのが、ノノのやりたいこと? そんな……いくらなんでも都合が良すぎる。不平等も不平等。実際に負担を掛けられるのはノノだけじゃないか。


 本当にそれでいいのか? ペットなんて、人間以下だぞ。可愛がるだけで、それだけだぞ。こんな関係で、お前は満足出来るのか?



「その代わり、一生です。一生可愛がってもらいます。絶対に離れないリードを付けてください……そしたらノノ、ずっと幸せですから」

「…………ノノ……っ」

「少なくとも、今のノノにはこういう理由付けが必要です。別に、あとで撤回したって良いんですよ。今のノノが、16歳のノノが望んでいるのは、こういう関係です。センパイはイヤですか? ノノの飼い主、出来ませんか?」


 一言に飼い主とは言うが、簡単なことではない。愛情を注ぐだけでなく、時には躾も必要だ。


 ペットを飼いたいと言い出せば、親は皆、口を揃えて言うだろう。ちゃんと責任を持って飼いなさいと。俺に求められているのはそういうことだ。


 ノノの人生を預かり、責任を持って飼い続ける。そんなとんでもないことが、俺に務まるのか……?



「……責任、取ってください。センパイ」



 お前、なんだよ。その心底嬉しそうな顔は。

 こんなこと言われたら…………。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る