558. 深みへ嵌まる

「そもそもやけど、ノノってさ」

「はい?」

「独占欲っていうか……そういうのは無いのか?」

「……無いですねえ」


 胸元にすっぽりと収まる彼女、頭を捻るまでもなく当然とばかりに答える。表面通りに受け取るのも考え物だが、落ち着きのある穏やかな瞳を見つめるに、必要以上の詮索は無用の長物に思えた。



「これから同じようなことを、その……アイツらとするかもっていうのは、ノノ的には問題無いと?」

「かもって、逆にノノだけだったらビックリなんですけど……それともしてくれるんですか?」

「…………すまん。断言はできん」

「ですよねえ」


 念押しの確認も飄々とした態度で躱されてしまう。言葉に詰まるこちらの戸惑いを察してくれたのか、彼女は自らその胸中を明かしてくれた。



「……ゼロじゃないですよ。ノノだけのセンパイになって欲しいって気持ちも、多少はあります。でも、もっと大事なことがあるんです」

「……それって?」

「ノノ、必要とされたいんです。求めて欲しいんです。思えばノノの人生は、ノノを押し付けては突き返されて、また居場所を探してはの繰り返しでした」


 艶やかな唇を震わせ、自嘲気味に紡がれる言葉の節々。募り募った感情、記憶、なにもかも集約されているようで。



 フットサル部と関わりを持ち始めた半年前の出来事を最近をよく思い出す。図々しいほどに自分の存在をアピールし、居場所を見出そうと必死に藻掻いていた、あの頃のノノ。


 それこそ行き過ぎたくらいのキャラを作って、多少無理をしてでも俺やフットサル部のみんなに存在を認めて貰おうとしていて。


 確かにこんなことを言った。ノノがノノである限りなんの問題も無いし、無理して変わろうとしたり受け入れられる努力をする必要は無い。何故なら、演技もなにも無い等身大の市川ノノが、俺にも、フットサル部にも必要だったから。


 そして目論見は見事に的中した。市川ノノという存在がいつの間にか日常に、当たり前になって。

 彼女のおかげで、関係はより強固なモノになった。彼女抜きには成し得なかった今日日に至る俺たちの世界。



 でも、そうか。

 それだけじゃダメなんだよな。


 あるがままの彼女を受け入れたところで、誰かに必要とされたい、求められたいという根本的な行動理念までは否定出来ない。してはいけないのだ。


 それが市川ノノを彼女たらしめている一端。或いは全容であるのかもしれないし、どんな道を通っても彼女が理想とする姿、幸福へと繋がっている。



「センパイがノノに教えてくれたこと。センパイたちがノノに求めてくれたものを否定したりはしません。それはそれで正解だと思うし、ノノもそういうにいる自分を結構気に入ってました。本気で。嘘じゃないですよ」

「……今は、そうじゃないのか?」

「んなことないですけど。でも、陽翔センパイ。あなたに関して言えば、ちょっと違うかもです。ていうか、変わっちゃいました」


 突き詰めれば彼女も立派な女性であって、男の俺相手はどうしても抗えない、逆らえない何かがあったのだ。それが今日、具体的な形となって表れた。



「難しい話をしても仕方ないんで分かりやすく言いますと…………ノノ的には、ちゃんとノノのことを捕まえてもらってればそれで良いんですよ。センパイがノノのことを大事にしてくれてる、想ってくれてるっていう保証があれば」

「……だから、か」

「はい、そういうことですっ。一線を越えたらなにか変わるか、ヒントくらいは分かるかなって……いやでも、今日だけでここまで進むとは思ってませんでしたよ。自然の摂理と言えばそれまでですが」

「もうちょっと自分の身体つきを自覚しろ。お前に限らずやけど」

「琴音センパイを差し置いて文句を言われる筋合いは無いですね。はい」

「まぁな……」


 今ばかりは他の奴の話はどうでもいい。ノノが自分なりに答えを出して、本気の想いをぶつけてくれたのだから。俺も俺なりに、ノノとの向き合い方をしっかりと定めなければならない。


 しかし、考えれば考えるほど難しい相談だ。フットサル部のチームメイトという大前提は変わらないにしても、ちょっと仲の良すぎる先輩後輩、今まで通りの関係には戻れそうにない。


 かといって彼女だけを優先することも出来ない。こればかりは俺自身の不始末がすべての原因なのだが、どちらを重視しても結果的には不誠実である。


 曖昧な俺たちを繋ぎ止める、最も的確な言葉、関係性は……。



「ぶっちゃけ、ノノ的には効果覿面でした。今日までいただいてきた寵愛も無視は出来ませんが、これほどの多幸感は生まれて初めての感覚です」

「早くも溺れ掛けとるな……」

「ノノもそーゆーの敬遠して来たんですけど、流石に知っちゃった以上はキツイです。カルチャーショック過ぎて……」

「そ、そうか……」

「……いや、あの。敢えてこの言葉だけ避けてきましたけど、ハッキリ言ってこれ、セフレ以外の何物でもないですよね。一応ノノまだ処女ですけど」

「そりゃこっちも同じやけどな」

「時間の問題っすよ。それこそ本当に」


 正式に交際しているわけでもなくある程度の関係を持っているということは、つまりそのような結論になる。だがこれは……。



「手ェ出しといて言えるようなことちゃうけど……そんな俗っぽい言葉でお前を縛りたくないし、使いたくねえよ。お前のこと、ちゃんと好きやし」

「目の前でそういうこと、真顔で言わないでください。マジで照れるんで」

「なんやねんいきなり……」

「勘弁してくださいよぉっ……ノノこう見えてイケメン耐性無いんですからぁ……!」


 胸板にゴリゴリと頭を突き付け分かりやすい照れ隠し。こうも汐らしいと実に対応に困る……新鮮も新鮮で可愛らしいものだけど。



 まぁ、そうだな。お互いこれだけ想いが通じ合っているのなら、これも違うか。となると……うーん、難しい。どう定義したものか。


 今までの俺なら「自分たちだけで通用する関係でも良いだろ」で終わらせていただろうし、比奈や瑞希にはそのようなことを実際に言っていたのだが……ノノの場合はハッキリとした区別が必要だからな。



「……あのっ、センパイ。別に今すぐにじゃなくても良いですよ? これから時間はたっぷりありますし、いくらでも考えられますから。ていうか、もうすぐシルヴィアちゃん戻って来ますし……」

「いや、先延ばしにしたくねえ。お前も、思ってもねえこと言うなよ。顔に出とるからな全部」

「…………なんすか急に。ずっとほったらかしといて、いきなり理解者面しないでください。嬉しくて興奮しちゃいます」

「茶化すなアホっ」


 時間があるとは言うが、他の連中との兼ね合いを考えてもノノと二人で居られるタイミングはそう多くはない。学年も違うし、フットサル部を介さなければ学校では中々顔を合わせる機会は無いし。


 答えを出さないまま、例えば今日のように彼女の家へ来たり、逆にウチへ来たりを続けてしまえば。そう遠くない未来、俺たちは更なる深みへ嵌まる。


 結論を出さずに身体を重ねてしまえば、それはもう否定しようもない低俗な関係そのものだ。結果的にノノを、他のみんなを傷つけることになる。



『もうっ、だから広すぎるのよナナの家はっ! どうして部屋に戻るだけでこんなに迷わなきゃいけないのっ!』

「……お、お帰りなさいですっ」


 グダグダしているあいだに、本当にルビーが戻って来てしまった。


 ドアを開ける音と同時に即座に距離を取ったおかげか、プンスカ怒っているルビーは俺たちの間に漂う微妙な空気には気付いていない。


 クソ、結局先延ばしか。今日中はルビーも俺たちから離れないし、一度持ち越しにするしかないのか……。



『ナナ、外で犬が吠えてるわよ。ご飯あげたの?』

「ワンコに飯やったかって」

「あ、忘れてました……ちょっと行ってきます。せっかくなんで二人も着いて来ますか?」


 ご飯を上げに庭へ降りると伝えると、先ほどのトラウマが蘇ったのか顔を引き攣らせるルビー。

 が、一人ほったらかしにされるのも嫌だったのか「わたしも!」と続けて部屋を出るのであった。


 まったく、楽なモンだよなペットってのは。ただ可愛いからって理由で、ゴロゴロ適当に生きているだけで人間からお目溢しが貰えるんだから。


 

「好き放題腹空かせてルビー襲って、良いご身分だなアイツ」

「まぁワンコの特権なんで…………ワンコの……………………あっ」

「ん? どした」

「いえっ、あの…………な、なんでもないですっ。早く行きましょうっ」


 足早に廊下を進み階段を下りていくノノ。

 なんだろう。なにか気付いたのだろうか。


 つい直前の重々しい奮起と打って変わって、随分と軽やかな足取りだが。嫌な予感がしないでもないのは気のせいか。


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