555. 悩んでましたよ。割と


 差し込む太陽の光で輝きを増すゴールドの髪色。瑞々しい肌は水滴を弾き、朱に染まった頬とのコントラストが華やかに映える。


 真っ白なキャンバスに持ち合わせの絵の具を自由に塗りたくったようなある種の解放感。子ども染みた落書きと言えばそれまでだし、丸々含めて芸術だと主張されれば納得してしまう。


 どっちつかずな危うさ。未完成のまま成熟を迎えたアンバランスな姿。まさに等身大の市川ノノとしか言いようのない、理想的な絵画がそこにあった。



「…… わ、悪い……っ!」


 すっかり見惚れてしまっていた。瞬きを合図にようやく事の重大さに気付いて、慌てて首を捻じ曲げ視線を外す。


 浴槽からお湯が溢れていく。これだけ広いバスタブなら二人同時に入るのもさして問題は無い。背中に伝う柔らかな肌の感触が答え。



「まだ初心気取ってるんですか? センパイ」

「ばっ、馬鹿言うな……ッ! 後輩と風呂入るのに慣れとるトンチキがおるかアホ……!」

「へー。ところ構わずセンパイみんなとベロチュー噛ましてる癖にお風呂は緊張するんですねえ」

「人聞きが悪い……ッ!」

「今更っすよ、もう」


 どこか達観した甘ったるい声が浴室を駆け巡り脳裏へと反響する。振り向いて真意を確かめようにも、どうしたってお互い全裸で密着しているこの状況が邪魔で邪魔で仕方なくて。なにを考えるにも覚束ない。



「……一応言うとっけどな。慣れてはないぞ。毎回死ぬほど緊張しとる」

「そうなんですか? えっ、ていうか…………まさかまだ童貞?」

「まだってなんやまだって」

「てっきり比奈センパイ辺りとはバンバンヤってるのかと思ってました」

「無い無い無い……」


 意外そうに呟くノノ。


 仮に言うような関係になっていたとしたら、とっくに彼女だけでは留まっていないだろう。間違いなく次の日には分かるだろうに……比奈に関してはそういうの匂わせたがるし。


 慣れていないのも本当なんだ。それこそ瑞希や比奈に至っては挨拶代わりに噛まして来るくらい日常的なコミュニケーションにはなっているけれど、こちらも同じように捉えられるかはまた別の問題。


 余計な主張がバレないように堪えて堪えて、我慢の連続なのだ。別にあの二人に限った話でもない。

 愛莉も琴音も、中学生の二人もには目が行っていないから。向けられる信愛とは違うベクトルに向かわないようにと、必死に自らを律し続ける日々。



「となるとセンパイ、気持ち悪いくらい理性強いっすよね……クリスマスイブにあれ以上なにも無かったのがノノ的には疑問で仕方ないと言いますか」

「いや、そんなことは……」


 あれはあれで状況が特殊過ぎたからギリギリ持ち堪えたようなもの。理性なんてモノが残っているのなら、そもそもこんな関係性には発展していない。昨晩の琴音とのやり取りが良い例だ。



 で、コイツの話。


 正直、ノノの行動指針がここに来てまったく読めないでいる。もはや性差もなにも気にしていない証明なのかと思えば、この手の類を話題に出してくるし。


 俺の理性を信頼してここまで距離を詰めているというのならまだ理解に及ぶ範疇だが、会話の一端を探る辺りそれだけでは無いようにも思う。



「……まず幾つか確認させろ」

「はい? なんですか?」

「何故入って来た」

「え、言いませんでしたっけ? ノノも普通に汗掻いたし普通にシャワー浴びたかったんで。他意は無いです」

「だとしても一緒に入る理由は?」

「…………シルヴィアちゃん、まだ起きそうになかったんで。ワンチャン一発行けるかなって」


 俺に手を出されるのもある程度覚悟したうえで乱入して来たと、そういうことなのか?


 分からない。既に経験があるならまだしも生娘の取る行動じゃないだろう。ますます意図が読めない。

 コイツ、こんなに性欲に対して貪欲だったか? むしろクリスマスの騒動を顧みるに割と冷めたタイプなのかと思っていたが……。



「まぁ、悩んでましたよ。割と」

「…………なにを?」

「もしかしたらノノの抱いている気持ちは、恋愛感情じゃないのかなって。センパイ以外に仲の良い男の子一人もいませんし。早とちりしてるだけかもって。仲の良い先輩後輩でも全然アリだなって、思ったり思わなかったり」

「……まぁ、ノノがそうしたいってんなら俺は構わないけど。俺としてはフットサル部に一人くらいそういう奴がいても……」

「そういうこと言われるとやっぱモヤモヤするんです。納得できんのですよ。ノノも愛されたいんです。やっぱ。フツーに。仲間外れが嫌とか、そういうのじゃないんです。ノノのこと見てくれないの、すげえイヤです」


 顔を半分埋めてブクブクと泡を立てる。照れ隠しにしても下手くそで余計な邪念も湧き出て来るが、茶化すような場面でないのは確実だろう。ノノもノノなりに考えて、ちゃんと答えは出しているというわけか。



「逆転の発想ですよ。つまるところ。ずっと引っ掛かってたんです。ノノ、センパイたちやユキマコちゃんたちと違って、ちゃんと伝えてないじゃないですか」


 ……ちゃんと伝えてない?


「一応それっぽいこと何回か言ってますけど、センパイあんまり真面目に考えてないっていうか、なんなら忘れてませんか?」

「……んなことは無いけど」

「だったらそれはそれで不満です。もっとノノを女の子扱いしてくれても良かったのに、超不満です」


 忘れているわけでは無い。文化祭の終わった夜。比奈との一件があった翌日。そして大阪を練り歩いたクリスマス。明確な好意は何度も伝えてくれている。


 ただそれ以上に、やっぱりノノはノノというか。普段のやり取りや性格込みで、異性として意識する場面があんまり多くないんだよな。直近に限ってはそんなことも無いんだけれど。


 

 元を辿れば市川ノノという女は、彼氏や友達とかそんな次元よりもまず先に、何よりも居場所を欲しがってフットサル部へやって来た奴だ。

 故に彼女も、自身の立ち位置や明確な役割という点に関してはそれほど強く意識はしていないのではないか。そう思っていた。


 何もしなくていいから、その辺にいろ。文化祭を間近に控えクラスメイトとの軋轢に悩んでいた彼女へ、俺は確かにこう言った。

 ノノもそれを受け入れ、あるがまま、気の向くままの自分を今日日に至るまで続けてきた筈だ。



「ノノも意外でしたけどね。ノノ、思ってたよりちゃんと女の子だったんですよ。フツーにセンパイとばっかり一緒にいて、フツーに好きになっちゃってます。こればっかりはどうしても」

「…………そっか」


 だとしたら、俺が考えていた市川ノノの理想像は一度捨てないといけないな。まだまだ彼女の優しさに、曖昧な立ち位置に甘えていたのだ。



「そりゃまぁノノらしさは捨てたくないんですけど、かといってそれを重視していてもセンパイはノノを大事にしてくれないし。そこで、逆転の発想です」

「なにをどう逆転するんだよ」

「たぶんこのままの感じで行っても、センパイとノノの関係も、ノノの気持ちもしっくり来ないままなんですよ。分かんないですけど。だから、一回リセットしちゃえば良いんじゃないかなって」

「…………リセット?」

「いや、察してくださいよ。なんのために恥を忍んで全裸で突撃して来たと思ってるんですか? あの市川ノノとはいえそれくらいの知識と欲求は持ってますよ」


 またもバスタブからお湯が溢れ出し、同時にクルリと向きを変えて。二本の真っ白な細い腕で胸板を強く拘束する。



「ノノ……っ!?」

「経験が無いのはノノも一緒です……だったら良いタイミングじゃないですか。ノノ、絶対に文句言ったり、後悔したりしません……っ」



 背中では覚えの無い柔らかな膨らみが主張を始めた。突然の出来事に抵抗する間もなく、彼女は耳元で囁いた。






「ノノの全部、あげますから」


「センパイの初めて、ノノにください」


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