554. あるべき一線
ノノと交代でワンコとボールを追い掛ける羽目となる。二月下旬に砂浜で戯れる馬鹿が俺たちだけなのが心底救いだった。
散々汗を掻いて元来た道を引き返し再び市川邸へお邪魔すると、ルビーはまだソファーで気絶していた。というか、普通に寝ている。寝不足なのか。
動きやすい格好で来たとはいえ、合わせて15キロ近く走り抜けば汗臭くもなるもの。真冬ど真ん中とだけあって体温調節には苦労しないが、流石にこのまま居座るのも気分が悪い。
「シャワーとか使います? 浴びてる間にお昼ご飯作っておきますよ」
「じゃあお言葉に甘えて……料理出来んの?」
「カップ麺作りには定評があります」
「料理とは?」
「キッチン経由したらもう料理っすよ」
「舐めんじゃねえぞ」
学校でも校内販売の弁当か菓子パンばっかり食べてるよな……家でもこんな食生活送ってよく身体が持つものだ。俺が言えた口じゃないけど。
タオルを拝借し「廊下の突き当たりに階段あるんでそこを上がってすぐ右に曲がったところです」というバスルームへと向かう。
文脈だけ見て取ればなんてことない場面だが、言うところの突き当たりが多すぎて階段すら見つけられず道に迷い、一回リビングへリターンしていることだけは正確にお伝えしておきたい。
「やばぁ……」
もうリアクションを取るのも億劫になってきているが、広い。広すぎる。そもそもなんで風呂が二階にあるの。馴染みが無さ過ぎる。怖い。
バスルームは石造り風味のシックな感じで気持ち大人っぽいというか。
どことなくホテルライクな雰囲気。広々とした窓ガラスの奥にはすぐ近くの植物園が覗く。
世代別ワールドカップでロンドンのホテルに泊まったときもここまでじゃなかったな……このレベルを求めたら宿泊代だけで数十万は飛びそうだ。
普通に湯船入りたいな。許可取ってないけど、許されるだろ。一回お湯溜めたところで水道代がどうとかとやかく言われんだろ。入っちゃお。
「慣れん……ッ」
シャワーノズルを探すこと五分。天井から降って来るオーバーヘッドタイプであることにようやく気が付く。
取り揃えられたシャンプー・コンディショナーはほとんどがフランス語表記で、パッと見ではどれがどれだか分からん。勉強してて良かった。
テンプレートに当て嵌まるような奴じゃないことは重々承知の上だが、ガチモンのお嬢様なんだな。ノノ。想像も付かなかった。
冬休みに話をしたときも思ったけど、金に困っているような素振りを一回も見たことが無い。アルバイトを道楽のためにやっているのも本当みたいだ。
これだけ充実した家庭環境で育てば、あのような人並み外れた性格にもなるのも納得…………いや、納得か? 分からんわ。言うて根拠にしては弱いわ。
(なるほどなぁ……)
パーソナルな情報一つ切り取ってすべてを語るのも如何なものかと思うが。
ノノがフットサル部へ加入するまで友達がいなかった理由も少し分かる気がする。
偶にいるんだよな。家が金持ちってだけで個人へスポットを当てるとそれほど面白みが無い奴。ノノにしたって財力を鼻に掛けていたわけではないだろうが、気付かぬうちに「金に困っていない自分」がベースにはなっていたのかも。
これといって努力をしなくても真っ当な生活を送れるのだから、愛莉の場合で言うサッカー、琴音の勉学に例えるような自分の力で築き上げたアイデンティティーにどうしても欠ける嫌いがあり。
それ故に人付き合いですれ違いが多く苦労を重ねて来たと考えれば、フットサル部へ身を置くこととなった流れの一端も理解には及ぶところ。
なんて、考察にしちゃ弱いか。
あのアバンギャルドぶりは素面だし。
「さってと~」
ゴリゴリに身体を洗わせて貰ったところで、お湯も溜まったことだしゆっくり浸かるか。
なんてったってまだ午前中だもんな。土日の四分の一が終わっただけなんだからこれくらいの贅沢は許されて然るべき。
段々使い方が分かって来た。
このボタンを押すと泡が出て来て……。
「お邪魔しま~~す」
「はい?」
背中から暢気な声が響く。
何の気なしに振り返った先には。
「お背中流しに来ましたっ!」
「ゲエッッ!?」
ノノがドアを開けてバスルームへ現れる。真っ白なバスタオルで身を包み最低限の部分は隠しているようだが、そんなのは極めて些細な問題。
「あれ、もう洗っちゃいました? じゃ先に湯船入っちゃってください」
「なんだよッ!? 飯の用意は!?」
「カップ麺なんだからすぐ出来るに決まってるじゃないですか。ていうか幾らなんでも遅いんで途中で作るの辞めました」
「確かになッ! クソがッ!!」
さっさと汗だけ流して出てくれば良かったのだ。ノノに選択肢を与えた俺が全面的に悪い。悪いんだけど。
なんの臆面もなく乱入して来るのは違うんじゃないかなって、俺は思うんだ。年頃の女の子がするようなことじゃないと思うんだ。お分かり?
冷静ではいられない。市川ノノという女は背丈の低さに惑わされがちだが、これでも出るところはしっかり出ている豊満なボディーの持ち主なのだ。
琴音がいるから霞んで見るだけで、十分にロリ巨乳を名乗れるだけの逸材なのである。
そんな奴が薄手のバスタオル一枚で目の前に現れてみろ。平静を保てるわけがない。普段から意識しないようにしているのに、コイツは……ッ!
「クッ、湯気で前が見えにくい! センパイのセンパイを拝めるまたとないチャンスだというのにっ!」
「お前が言うべき台詞ではないなァ!」
慌ててだだっ広いバスタブへ飛び込む。ジャグジーの設定を付けておいて助かった。これなら余計な個所を目撃される心配も無い。
が、それはあくまでこちらの事情である。バスタオルを外しシャワーを浴び始めた彼女がまだ目の前に居るのだから、強制的に視線は窓ガラスの奥へと固定されることとなる。
いや、駄目だ! めっちゃ反射してるッ!
不味い、逃げ場が無い! オワッタ!!
「いや~、ノノも汗流したかったんで良いタイミングでした。どうぞセンパイは景色でも見ながら寛いでください。ノノの身体でも一向に構いませんが」
「構うわッ! なに!? なんなのお前ッ!? なんでそんな抵抗無いの!?」
「あれぇ? もしかして恥ずかしいんですか~?」
「その挑発はホンマに分からん……っ!」
フットサル部の連中と風呂に入るの、瑞希に続いて二人目だな。金髪の女ってDNAレベルで羞恥心が欠けているのかな。そうなんだろうな。
(神様ァァ……!!)
完全に油断していた。
時と場所を選ばない二年組と違い、彼女は極めて常識的な人間だ。最低限の自制が出来る理性の強さを持っている。直近のバレンタインに纏わる冷めた対応を見てもそれは明らか。
故に見落としてしまったわけである。コイツ、二人きりの状況になるといきなり調子に乗るというか、女を見せて来るタイプなのだ。
俺の弱みを徹底的に理解した効果的な行動と言えば、まぁそうなのかもしれない。よりによってノノにしてやれるのだから無性に苛付くのも仕方ないところだが。それはそれとして、とにかくこの状況を打破しないことには。
「分からんのはこっちの方なんですけどね~。センパイ、ノノのこと基本女扱いしないじゃないですか。そんな意識されても逆に困るんですけど?」
「馬鹿も休み休み言え……お前が女やなかったらなんだってんだよ……」
「ふーん……」
思わせぶりな呟きとともにシャワーを止める。本来ならしっかりと顔を突き合わせて反応を窺いたいところだがそうは問屋が卸さぬ。
「要するにセンパイは、許されるのであればノノに手を出してしまいたいと? そういうことですか?」
「…………そこまでは言ってねえよ」
「ハッ。ヘタレですね」
「おまっ……言わせておけばなッ!」
安い挑発に乗ってしまい、ついぞ彼女の方へ振り向いてしまう。
どうせバスルームは湯気で充満したままだ。大事なところもそう簡単には見えないし。
或いは既にタオルを巻いていて「残念でした~」とか言うんだろ。もう良いよそれで。俺の負けだから。だから取りあえず風呂から出させて……。
「こうやって間近で見ると、やっぱカッコいいっすね。センパイ」
「…………ノノ……っ?」
顔が近い。
遮るものが無い。
フィルターが機能していない。
あるべき一線が、そこには無かった。
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