553. 人間走り過ぎて死ぬことはない
『あらっ、素敵なお庭……』
「広すぎる……」
「へいへーい、こっちですよー!」
塀から中の建物まで距離があると思ったのだ。美しい緑が映える庭園はフットサル部の主戦場である新館裏テニスコートとほとんど変わらない広さ。
端っこにはパラソルに覆われた二人分のチェアーが置かれ、反対側には腰の高さほどのミニゴールまで用意されている。
これはちょっと、早々お目に掛かれないレベルの一等地だ。俺の実家もそれなりに恵まれた環境ではあったと自負しているが、流石にここまでは……ノノのご両親、なんの仕事してるんだろう。
『きゃっ!? いっ、犬!?』
ルビーの悲鳴とともに、建物の影からまぁまぁ図体のデカい犬がノノのもとへ駆け寄って来る。ゴールデンレトリバーだ。
整った毛並みからしてもう「血統書付きです」と身体全身使って訴えているというか。金持ちのおばさんが飼ってるタイプのアレ。
『おっ、思い出したわ、ナナの家へ遊びに行けなかった理由……!』
『苦手なのか』
『動物全般がちょっと……!』
ノノの周辺をグルグルと駆け回るゴールデンレトリバーに怖気づき、ルビーは俺の後ろに隠れブルブルと震えている。
金髪碧眼の美少女と大型犬。上下ジャージのノノよりよっぽど似合いそうな組み合わせだと思うけどな。人間分からん。
「んははっ、お客さん来てテンション上がっちゃってるみたいです。センパイ、触ってみますか?」
「じゃあちょっとだけ」
『待ってヒロ!? 離れちゃだめぇっ!』
硬直しているルビーを放置して歩み寄る。
吠え散らかすこともなく静かなモンだな。動物と戯れた経験ほとんど無いけど、あんまり怖さみたいなものは感じない。頭を撫でると汐らしく目を細める犬畜生であった。
「名前は?」
「ヌワンコ・カヌです。略してワンコです」
「もっと可愛いの付けてやれよ可哀そうに」
「よくノノの命名って分かりましたね」
「そりゃお前しかいねえだろ……」
誰が好き好んでナイジェリア人FWの名前拝借するんだよ。ワンコって呼びたいが為のネーミングだろ。絶対に。
『危ないわヒロっ! 噛まれるってば!』
『いや、メチャクチャ大人しいぞコイツ。むしろ苦手克服にちょうど良いくらいの相手……ううぉっ!」
突然手元から離れルビーのもとへ掛け出すヌワンコ・カヌ。略してワンコ。快足を飛ばすとそのままルビーに向かってダイブ。
『ヴぇアアア゛アァァ゛ァァぁ゛ぁアアア゛アーー゛ーーーーーーッ゛ッ!!!゛!』
「おー。発情期っすかね」
「去勢は?」
「してますよ」
「ならどういうモチベーションやねん」
「女の子大好きなんですよ。ノノも偶にああやって襲われます」
「ホンマに去勢しとんのか?」
ルビーに跨って腰をヘコヘコとストロークしている。体格がほとんど変わらないだけに、襲われているようにしか見えないこの構図。獣〇ってこんな感じなのかな。どうしよう、変な性癖芽生えそう。
これ以上はトラウマを抉るだけなので、ノノと二人掛かりでワンコを引き離す。顔を真っ青にして気絶寸前のルビーであった。本当に事後現場みたい。可哀想。
『大丈夫か』
『……………………』
「ダメみたいっすね」
んな飄々と分析するな。仮にも親友が襲われたんだぞ。責任感じろ飼い主。
庭に放置するわけにもいかないので、お姫様抱っこでルビーを担ぎ上げ室内へと運ぶ。玄関が広くて助かった。今回ばかりは。
外観の壮観さに違わずモダンな雰囲気の広々としたリビングだ。琴音の家も結構な広さだったが更に上を行く。大きな窓から太陽の光が差し込んで、一日過ごしただけで健康になってしまいそうだ。
ふかふかの値が張りそうなソファーにルビーを寝転ばせ改めてリビングを見渡す。天井でクルクル回ってるプロペラみたいなやつ、実際に見るのは初めてだな。うわ、凄い。ヤシの木だ。天井まで届いてる。やば。
「親御さんは?」
「海外出張中です。シアトルと行ったり来たりで最近はあんまり会ってないですね。ノノのお世話は専ら裏に住んでるおじいちゃんとおばあちゃんにお願いしています。まぁお二人も今は旅行中ですが」
「あ、そう」
「よくご飯屋さんのトイレに「世界一周クルーズ」ってポスター貼ってあるじゃないですか。あれに行ってます。今朝はマカオにいるみたいです」
「もうお腹いっぱいっス……」
こんなバカ広い家で悠々と実質一人暮らしか。愛莉が知ったら泣き出しそう。なんなら俺だってちょっと辛いわ。経済格差もここまで来たら嫌味だよ。
「いやはや。遊ぶ約束をこぎ着けたまで良かったんですが、実際ノノとシルヴィアちゃんまるで会話が成り立たんので選択肢が非常に限られるのですよ。センパイがいてくれて助かりました」
今更だけどなんでお前ジャージなんだよ。
もっと適した格好しろよ。ムカつくな。
「しかし困りましたね……暫くシルヴィアちゃんはこのままでしょうし、どうしましょうか」
「昼飯って時間でもないしな」
「……身体動かしますか?」
「せやな」
その足で庭へリターン。
玄関先では遊び相手(ルビー)を取り上げられ不満そうにしているワンコがハァハァ息を吐きながら俺たちを待ち構えていた。
ワンコ、何歳なんだろう。たぶん人間年齢で換算したら40代半ばとかだよな。おじさんが人目もくれず美少女に飛び付いてプレス噛ましたって考えたらまぁまぁヤバイ絵面だったな。この話は辞めよう。
「そーいや朝のお散歩がまだでしたね。センパイも付き合いますか?」
「ええけど、どこまで行くつもりや」
「海沿いとかその辺りまでですよ。一時間もあれば帰って来れますし、その頃にはシルヴィアちゃんも起きてるでしょうから」
というわけで、ワンコを引き連れて朝の散歩へ付き合うことになった。
が、リードの類を繋ぐ様子は無い。まさか外でも放しっぱなしなのかと構えていると本当にそのつもりのようで。外玄関から飛び出したワンコ、真っ直ぐ道路を駆け出していく。
「本当に大丈夫なのか!?」
「ワンコめちゃくちゃ頭良いんで! ちゃんと道も覚えてますし、問題ナッシングです!」
「短距離走のペースやろこれッ!」
「慣れればなんてことないですっ!」
さながら先導車を追い掛けるマラソンランナー。そこそこのスピードで爆走するワンコをいつものことと飄々とした様子で追い掛けるノノである。
20分ほど走り続けると国道沿いの海岸へ到着した。ここがゴール地点のようで、ワンコは砂浜へと飛び出し辺りをグルグルと駆け回る。
いやしかし疲れた。距離にして6~7キロはあったんじゃないか。普段のランニングの倍くらいのペースで走ったな……流石に息が上がりそうだ。隣の彼女はなんてことない顔をしているのだから尚更納得いかぬ。
「センパイ、体力落ちました?」
「いや、そんな筈は……ッ」
サッカーもフットサルもノンストップで走り続けるような競技ではない。ボールが離れていたりプレーが切れればどこかしらで休憩は挟めるものだ。
ここまで連続的に動き続けるのは本業じゃない。俺が衰えたのではなく、ノノの標準がバグっているのだ。これを毎朝のようにこなしているとは、そりゃ疲れ知らずのハードワーカーにもなるわ。
「これでお前、休みの日に海沿い延々と走っとるんやろ? オーバーワークなんじゃねえか?」
「身の丈に合わない筋トレしてるわけでもないですし、大丈夫ですよ。イビチャ・オシムが言ってたじゃないですか。人間走り過ぎて死ぬことはないって。フェリックス・マガトも言っていました。高いクオリティーは苦しみから生まれるって」
「あんな極端な例持ち出すなよ……」
オシムはともかく「今まで私のトレーニングで誰も死んでないから問題ない」とか言い放つ奴の言葉を全面的に信じるなよ。海外移籍したセレゾン出身の先輩が練習出るの嫌になって日本帰って来たレベルの鬼軍曹だぞ。
「さて、ぼちぼち休憩も出来ましたし、続きやりますか。ワンコも暇そうですし」
「ま、まだ走るのか……?」
「センパイ、このボール向こうに投げてください。ワンコと競争するんで。いやぁ、三人いるとトレーニングも捗りますねえ!」
「マジかよお前……」
ゴムボールを手渡される。二匹の犬畜生に期待の視線を浴びるのも居た堪れないので、力任せに砂浜に向かって投げ飛ばす。
宙を舞うゴムボール。ロケットダッシュを決めたノノとワンコの激しい争奪戦がもう暫く繰り広げられるのであった。
どっちが犬か分かったもんじゃない。なるほど、少し前に話していた通りだ。確かにコイツ、ボール追い掛けてるときは本気で女を捨てているな……。
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