552. やぽぽぽーい、市川ノノでーす


 聞き慣れないアラームの音で目を覚ました。


 あまりの喧しさに耐え兼ね寝ぼけ眼のままベッド上をモソモソと動き回り出処を探すが、枕もとの目覚ましは鳴っていない。スマホは土日に限りアラームを解除している。


 部屋中をあちこち見回すとベッドの足元に放置されていたそれを発見した。ゴールドの輝きが眩しい最新機種。ノノのスマホだ。


 秋頃にスマホケースへ悪戯されて以降、新しいものを買うのが怖いとか言ってなんの装飾も無しに使い込んでいる。どうやら帰るときに忘れてしまったようだ。



「ロックぐらい掛けろや……」


 アラームを止めると読み進めていた電子漫画のページが表示された。

 画面バリバリだな。なんで女子のスマホって基本割れてるんだろう。大事に扱えよ。


 中身を盗み見る趣味は無いので電源は落としておこう。琴音のスカートを覗こうとした奴の台詞とは思えないが、反省の意も込めてやはりそうしよう。



「んっ」


 と、ここで電話が掛かって来る。自宅からの連絡かと思ったがどうやらそうでもない。差出人は……ルビー?



「やぽぽぽーい、市川ノノでーす」

『えっ? この声……もしかしてヒロ?』

『違います~市川ノノですぅ~』

『ちょっと、ふざけてないで説明しなさいっ! どうしてヒロがナナの電話に出るのよ!』


 朝一の謎テンションに引っ掻き回されるルビーでは無かった。

 おかしいな、特徴捉えた中々の物真似だったと思うんだけど。本人に披露したら殴られそう。


 おふざけもほどほどに、夜までフットサル部の連中が家でたむろしていたこと。帰り際にノノがスマホを忘れてちょうどいま気付いたと状況そのまま伝えてみる。



『なーんだ、そういうことね。てっきりナナと同棲しているのかと思った。ビックリさせないでよ』

『で、朝からアイツに何の用や』

『ナナの家に招待して貰ったの。場所がちょっと分かり辛かったから電話で聞こうと思ったんだけど、繋がらなくて』

『喋っても会話成り立たないだろ』

『…………あ。そう言えばそうね』

『何故気付かなかった』


 元々遊びに行く予定があったのか。

 家の場所聞こうとしたら俺に繋がったと。


 となるとノノも連絡が付かなくて困っているだろうな……土日の二日間くらいスマホが無くても生きていけるだろうし週明けでも良いかと思っていたが、だったらなるべく早く返してやらないと。



『ならついでやし、合流して一緒に行くわ。別に俺がいても困らんだろ』

『ええ、むしろ通訳がいてくれて助かるわ。ナナと一緒なら浮気にもならないし、ヒロ的にも大喜びでしょ?』

『だからそのつもりはねえよ』

『ふふんっ。いつまで強情でいられるかしら?』


 電話越しに勝ち気な笑みが透けて見えるようだ。こうもあからさまに好意を隠さないとなると、四月に山嵜へ編入してからが大変だろうな。主に愛莉の操縦で。


 山嵜の最寄り駅で一旦合流する約束をして通話を切る。スマホを返して「では帰ります」とは恐らくならないだろうし、それなりに動ける格好で行こう。ゴールデンコンビ揃い踏みとなれば尚更。


 瑞希も含めたらトリオか。

 比奈も明るい髪色だし実質カルテットだな。

 そう、これはどうでも良い話。



「……どこにあるんだ?」


 大阪で暮らす文香も含めて、フットサル部というか俺に関係のある奴だとノノの家だけ踏破していないな。そう言えば。


 自宅が久里浜……ということは、山嵜の最寄り駅と瑞希の暮らしている県南のちょうど中間にあるのはなんとなく察するところだが。肝心の住所が分からないことにはどうしようもないのでは。



「なんで家電登録してねえんだよ……」


 申し訳なさもそこそこに電話帳を漁ってみるが、自宅と思わしき電話番号は載っていなかった。ライン電話の履歴しか残っていない。この現代っ子め。


 両親とのメッセージ履歴も見当たらない。というかフットサル部の連中を除いて履歴が無い。よくもこの程度の人脈で俺のコミュ力を馬鹿に出来たものだな。


 仕方ない。担当の学年が違うとはいえ顧問やってる部活のメンバーの個人情報くらい把握しているだろうし、峯岸を当たってみるか。

 嫌だな。なんでお前の家にスマホ忘れてるんだって聞かれたら正直に答えるしか無いんだよな。週明け絶対に茶化されるんだろうな。嫌だな。



(ノノのプライベートねえ)


 謎である。実家がそこそこ金持ちだけどバイトはしていて、休みの日は基本海沿いを走っているロードワーク狂。そして無駄にサッカーの知識が豊富。

 これくらいしか情報が無い。他の奴らと違って、自分の趣味をあまり明け透けにしないんだよな。


 愛莉は趣味も特技もサッカーという根っからのタイプ。瑞希は時と場合によって大きく変わるが、基本的に流行りものを追い掛ける傾向がある。

 比奈は秘密主義だけど、普段の会話からアニメや映画・舞台が好きなのは透けて見える。琴音はドゲザねこ。一人だけ分かりやすい。異常に。


 これらを踏まえて市川ノノという女は、サッカー要素を抜くと見た目も言動も案外普通の女子高生だったりする。


 そりゃまぁファンキーな奴ではあるが、フットサル部の中へ混じると意外にクセが無いというか。



(良い機会かもな……)


 もう少し市川ノノという人間を知ってみたい。それもあるし、少し気になっていた。バレンタインのひと悶着から妙にテンションが低いのだ。昨日も珍しく随分と静かだった。


 なにか引っ掛かっていることでもあるのだろう。まぁアイツ、意外と冷めたところあるし一概にそうとも言い切れないけど。


 ついこないだ、デートの約束したもんな。ルビーが着いて来るのは既定路線だったから仕方ないとしても、せっかくのタイミングだ。上手く便乗しておこう。

 

 

「んンっ……やぽっ、やぽぽぽ、やぽぽぽーい、市川ノノでーす…………駄目だ似てねえわ」


 早いとこ会って本家を聞かせて貰おう。


 アイツの真似なんて誰にも出来ん。

 オンリーワンにもほどがある。




*     *     *     *




 下り線のホームで待っていたルビーと合流し、次にやって来た快速電車へ乗り込む。彼女も寒さの割に随分と軽装備だ。運動でもする予定だったのだろうか。



『なんや、エライ静かやな』

『だって、文字も読めないし声も聞き取れないのよ。怖いじゃない』

『嫌だったら日本語覚えろや』

『バレンシア人に優しくない日本が悪いの』


 父親のセルヒオ氏に着いて回って全国津々浦々を忙しなく飛び回っていた彼女だが、日本の交通機関には未だに不自由が多いらしい。確かに英語や中国語、韓国語のアナウンスはあってもスペイン語、特にバレンシアの方言はな。


 峯岸に教えて貰った住所と事前にルビー宛てに届いていた地図情報を照らし合わせると、ノノの自宅の位置がようやく分かった。

 山嵜の最寄りから快速で三駅。結構遠いんだな。瑞希ほどではないにしても。ちょっとした遠出の距離感だ。これを毎日通っているとは。



 出逢った頃の人見知りぶりを彷彿とさせる大人しいルビーにちょっとだけ癒されながら電車に揺られ約一時間。市川家の最寄り駅に到着。


 駅周辺はそれほど栄えておらず、15分も歩くと海沿いの閑静な住宅街に繋がった。近くに自衛隊の駐屯地があって気持ち殺伐とした雰囲気もあるが、自然が多くて住みやすそうな街だ。



『この辺りか……』

『ねえヒロ、この道を真っすぐ行ったらもうすぐ植物園よ? もう通り過ぎているんじゃない?』

『いや、地図によれば確かに……』


 ルビーも市川家へ訪れるのは初めてらしい。小学生の頃に遊びに行かなかった理由はちょっと覚えていないとのこと。


 しかし、どこだ。市川家。


 近隣のデカい施設が幾つも目視出来るが、自宅と思わしき箇所は見当たらない。この塀に囲まれた小綺麗な真っ白の家は流石に植物園に付随した建物だろうし。



『……いや、これだな』

『これって、どれ?』

『いやだから、この塀の奥にあるの』

『そんな……自慢じゃないけど私がスペインに居た頃の家より大きいわよ? こんなに立派な建物、よほどのお金持ちじゃないと……』


「おっ、時間ピッタリ! 場所分からなかったらどうしようかと……ってあれ、陽翔センパイ?」


 外玄関からひょっこり顔を出した、上下青のジャージという芋臭い格好のノノ。



「……スマホ、返しに来た」

「あーっ、センパイの家に忘れてたんですね。そりゃそうか、学校にいるときまで持ってましたもんね。納得納得。いやぁ警察に届け出なくて助かりました。ありがとうございますっ」

「お、おう……」

「なるほどなるほどっ。シルヴィアちゃんから連絡が来てついでに一緒に来てみたと、そういうわけですね。中々悪くない推理じゃないですか?」

「まぁその通りだが……これがお前ん家?」

「はい? そうですけど?」


 不思議そうに首を傾げるが、どうやらこちら側のリアクションの意図には気付いていないらしい。ルビーなんてちょっと固まり掛けてるぞ。


 い、いったい何平米あるんだこの家……外玄関の奥に見えるのは、庭か? 芝生でかなり広い……ていうかすぐ隣に止まってる二台の高級車って、あれも市川家のだよな?


  えっ? 何事? 凄まじい財力と厭らしさを突き付けられてない?



「凄い家やな……っ」

「そーですか? 平均がどんなもんかは分かりませんが、ノノにとっては普通の家ですよ。そりゃセンパイのアパートの一室よりか広いですけど」


 そ、そうだ。コイツ前に「最近気付いたけど意外と金持ちだった」とかなんとか抜かしていたんだ。

 もしかしてノノの自覚が無かっただけで、市川家ってメチャクチャ裕福な家庭なんじゃ……?



「まぁまぁ立ち話もなんですし、スマホ返してすぐに帰らせるのも申し訳ないんで、上がってってください。シルヴィアちゃんもどーぞぉっ」

『……な、なんて?』

『上がれってさ』

『そっ、そうね。じゃあ遠慮なく…………まさかナナのご両親、パパよりもずっと稼いでいるんじゃ……っ』

「あっ、今のは聞き取れました! ナナじゃなくてノノですよっ! 怒っちゃいますよ! そしてアイラブノノと叫んでくださいッ! ヘイヘェーイ!」


 ダメだ。二か国語とノノ語が混在して適切な対応が出来ない。取りあえず外玄関だけでも潜ろう。いやまず外玄関ってなんだよって、そこからだけど。


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