551. 理性とは?


 日暮れを迎えても当たり前のように居座り続けるわけだから、晩飯時を理由に連中が帰り支度を始める筈も無かった。


 空っぽの冷蔵庫を確認して比奈は「ちょっとお出掛け」と一言、ビニール袋を引っ提げ最寄りのスーパーから戻って来る。

 クリームシチューを作ってくれるらしい。真面目に試験対策を続けていた愛莉も手伝いに加わり、台所は賑やかさを増し始めた。


 今後も頻繁にこのようなことが起こるとなると、そろそろ大きめのテーブルでも買った方が良い気がする。というか六人で飯を囲えるような環境じゃない。引っ越しを検討するのが先か。



「帰りたくねー。着替え置いといていつでも泊まれるようにしよっかな」

「すっぴんバレしたら困るでしょアンタ」

「こーゆーとこウザいよな長瀬」

「俺に振るんじゃない」

「だとしても否定はしなさいよ」


 21時を回り喧しさのピークを越えると同時に鍋底が顔を覗かせ、ようやく帰り支度を始める一同。

 明日は土曜とはいえ泊まるには準備が足りないため、瑞希もそれ以上駄々は捏ねなかったが。


 一連の会話を比奈が聞いていなくて良かった。本気で同棲したいとか言い出されたらいよいよ止められない。良くも悪くも裏切るしアイツ。


 真琴の面倒を見ないといけない愛莉は現実味が薄いが、実家に居場所の無い瑞希や家出経験のある琴音なら大して抵抗も無いだろうしな……。


 

「ごめんね比奈ちゃん、後片付け任せちゃって。真琴がお腹空かせて今にも死にそうみたいだから」

「あはは。いいよ気にしないで」

「ありがとっ。ほら瑞希、帰るわよ」

「はいはい。あれ、市川は?」

「まだ終電まであるし寝かせとけば?」


 ご飯時から妙に口数が少ないと思ったら、気付かぬうちにベッドで寝息を立てていた。一日中フルスロットルのノノにしては珍しい光景である。


 琴音はまだクリームシチューを食べ続けている。なんなら一人で三人分くらい平らげている。いっぱい食べるキミが好き。



「じゃ、また明日ね」

「次までに増築しとけよ」

「無茶苦茶言うな」


 先んじて部屋を出ていった愛莉と瑞希。ノノが静かとなると何だかんだコイツらが一番煩いんだよな。帰ったら帰ったでちょっと寂しかったり。


 比奈が洗い物をしてくれている間、特にやることも無くベッドに腰掛けテレビを流し見。言うて時間も時間だし、そろそろノノを起こそうかな。



「琴音は? 帰らんでええんか」

「連絡は入れてあるので、問題ありません」

「あんまり遅いと心配するだろ」

「二人とも貴方のことは全面的に信用しているので、そうご心配なさらずに」

「……え、わざわざ言ったのかよ」

「はい。なにか問題が?」

「そういうわけちゃうけど……」


 真顔のままこちらを一瞥し食事を続ける。


 お父さんとはまだ面識無いけど、琴音に連絡先を教えて貰い母親の香苗さんからは結構頻繁に連絡が来ていたりする。


 内容は主に「琴音は学校でどんな様子か」「俺との関係は上手く行っているか」「そろそろ父親とも会って欲しい」の三点。


 冷え込んでいた家庭環境に大きく改善の兆しが見えているのは結構だが、これはこれでちょっとプレッシャーだったり。本当はその場凌ぎの偽造カップルでしたとかもう口が裂けても言えん。



「ごちそうさまです……少し暑いですね。暖房の温度を下げていただけますか」

「あいあい」


 リモコンを操作しに立ち上がると、琴音は羽織っていたカーデガンを一枚脱いで俺の座っていた辺りにゴロンと寝転ぶ。


 なに普通に全力で寛いでるんだよ。食べてすぐ寝たら逆流した胃液が食道を炎症させてガンになるリスクが高まるんだろ。お前が言ってたんだろ覚えとるぞ。



「ねえ俺の座る場所は?」

「無いこともないでしょう」

「家主に対する扱いじゃねえぞ」


 ただでさえ狭いベッドにノノと並んで寝転んでいるので、俺の座る場所と言えばもう枕もとの限られたスペースしかない。仕方なしにさっきまで琴音の座っていたカーペットのところと位置を交換。


 ただなにが困るって、学校の制服のままなんだよなコイツ。振り向いたら最初に目へ入るのが生足で確定だから、迂闊に彼女の方を見れないのである。


 相変わらず警戒心が薄い。格好まで薄っぺらい。困る。



「スカート、ちょっとは気にしろよ」

「貴方が見なければ良いだけの話です」

「なにが悲しくて家主が行動範囲はおろか視野まで制限されにゃならんのだ」

「……別に、好きにすればいいじゃないですか。今更ですし、もう」


 ノノの寝ている方に寝返ってお尻を向ける。なんだその適当な態度は。まるで覗きたければ覗けばいいと言わんばかりだな。


 いやホント、ちょっと横に倒れただけでパンツ見えちゃいそうなんだけど。言う通り見なけりゃ良いだけの話なんだけど。

 そう簡単に行くかよ。男子学生の有り余る性欲を舐めるな。爆発するぞ。何かが。



「取り繕ったって無駄です。いつもチラチラ見ているの、気付いてますからね」

「分かっていてなお警戒を怠る理由はなんや」

「だから、言ったでしょう。今更なんです。貴方がどんな特殊性癖を持ち合わせていようと私にはどうすることも出来ません」

「そんなことは無くない?」


 見られていると自覚しているのに好感度が落ちないって、もはや意味不明なんだけど。逆にどうすれば良いんだよ。分からん。



(やり辛え……)


 何度目かと話題だが、比奈を除いてフットサル部の連中は警戒心が薄過ぎるのだ。


 瑞希とノノに至ってはスカート履いていること自体忘却しているかのような振舞いだし。愛莉も愛莉で見られていると気付いたら怒るけど、その割には無警戒だし。


 琴音もいよいよ防波堤としての役目を放棄しつつある。さっさと手を出せ、欲望に忠実に生きろと無言のメッセージを突き付けられているよう。



 コイツら、俺のことなんだと思ってるんだろう。顔や態度に出ないだけで性欲はちゃんとあるのに。


 鋼の理性に定評があるだけで内心グッチャグチャだぞ。状況に限っては欠片も持ち合わせんぞ。なんなら琴音以外には一回手ェ出してるんだぞ。


 あれ? 理性とは?



「…………私も眠たくなって来ました。30分ほど寝ようと思いますので、あとで起こしてください。良いですね」

「寝起きのお前を相手するのは勘弁願いたい」

「そんなの知ったことではありません」


 ノノから布団を半分ほど強奪。顔含めて上半身を覆い隠すが、小ぶりなお尻と雪ののように真っ白な生足は目前へ晒されたまま。


 なに? なにその態度?

 なんでそんな無警戒なの?


 これじゃまるで「今から起こることには関知しない」と宣言しているようなものじゃないか。俺がなにをしても抵抗しないと、そういうつもり?



(コイツ……ッ)


 間違いない。挑発している。


 舐めやがって。そこまで無防備だというのなら、良いだろう。とことん欲望へ忠実になってやる。

 見られるだけで済むと思うな。ゴリゴリに触ってやる。マジで許さんお前。後悔させてやる。誘って来たのはそっちだぞこの野郎。



「ん……っ」


 存外短めのスカートへ手を伸ばすと、無駄に色っぽく吐息を漏らす彼女。

 このままたくし上げたら。太ももに触ったら。いよいよどうなってしまうのだろう。


 幸い隣で寝ているノノはまだ起きる気配が無い。寝息と時計の針が馬鹿によく通る無言のリビング。スカートの丈を摘まみゆっくりと…………。



「お片付けおしま~い! 琴音ちゃーん、そろそろ帰る支度……あれ、寝てるの?」



 あっぶな! あっぶなッ!!

 比奈が残ってるの完全に忘れてたッ!!



「……陽翔くん? どうしたの?」

「いっ、いやっ、べ、別に? ちょうど良いところに琴音のケツがあったから枕にしようかなって?」

「わー。変態さんだー」


 身体を捻じ曲げなんとか誤魔化し切る。いつものセクハラ染みた適当な台詞だと勘違いしたのか、比奈は不審がることも無く笑うだけだった。


 いやまぁ、実際にやらないだけで口に出すだけでも結構な重罪だけど。これが許されるの普通におかしいから。スルーしちゃいけない案件だから。



「すっかり遅くなっちゃったねえ。陽翔くん、二人とも起こすの手伝ってー」

「……起きてます」

「あ、そうなの? じゃあノノちゃんだね」


 ノノもそれほど深い眠りではなかったようで、比奈に身体を許されるとすぐに反応を示した。


 むくりと起き上がった琴音は、不満げともなんとも取れない微妙な顔で俺を見つめている。居心地の悪さを嫌い、立ち上がって少しだけ距離を置くのであった。


 ……なにやってんだろ。アホかよ。



「食器はぜんぶ洗っちゃったから、琴音ちゃんの食べてた分だけお願いね?」

「お、おう……っ」

「じゃあ二人とも、そろそろ帰ろっか」


 琴音はそさくさと荷物を纏めると、背を向けた俺の腰辺りにカバンをちょこんと当てて、逃げるようにリビングから出ていく。


 今後に響くようなものでも無いだろうが、少しだけ来週に顔を合わせるのが気まずくなりそうな、そんな予感もあった。誤差の範囲だと信じたい。



「…………ヘタレっすねえ」

「……えっ? なんか言ったか?」

「なんでもないですよ。じゃ、センパイ。お邪魔しました。次に来るまでに壁破って隣の部屋と繋いといてください」

「無理に決まってんだろ……」


 寝起きの割にはペラペラと口が回るノノも二人を追って家から出ていく。駅まで見送っても良かったが、特に言及されなければ必要も無いか。


 リビングには彼女たちの痕跡と爽やかな匂いがまだまだ充満に残されている。突然一人になってやることも無ければあとは寝るだけだが。



「…………シャワー浴びよ」


 一瞬パソコンへ目が行くが、すぐに取り辞めた。まずは心身の汚れを落とすのが何より先決だし、すぐ男臭い部屋に戻してしまうのも憚れたのだ。


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