542. 死にてえ
「……で、ノノを呼び出したと」
「ありがとう……ありがとうノノぉ……っ!」
「いやそんな土下座でボロ泣きされても……」
意外にもリアクションは早かった。大事な話があるとラインを送るとすぐさま返信が来て、わざわざ一限をサボって談話スペースまで足を運んでくれたのだ。
地べたへ這いつくばり感謝と謝罪の入り混じる不格好な土下座を披露する俺と、そんな姿をイヤに冷めた瞳で見下す彼女。
どっちが年上なのか分かったものではない。だがどうでも良いことだ。こんなにもノノが頼もしく見えるなんて……お前だけが頼りだァ……ッ!!
「ご想像の通り、ノノが目撃して皆さんにお伝えしました。証拠の写真も添えて」
「し、写真……?」
「結構遠くから撮ったやつなんで、まぁ気付いていないとは思いましたよ。一応確認しますか? ノノは一瞬たりとも見返したくはありませんが」
彼女とて平常通りの態度とはいかない。わざわざ全員へ喧伝したくらいなのだから、ノノも相当怒っている筈だ。土下座中だから表情分からんけど。声で分かる。
「……で、誰なんすか?」
「交流センターで世話しとる子で……」
「ルビーちゃんですね。有希ちゃんから名前だけは聞いてます。土日はバイト無いんですよね? なんで二人で出掛けてたんですか?」
「割と強引に予定を立てられて……」
「証拠はあるんですか?」
「いや、電話だったから形に残るものは……」
「ふーん……まぁ信じてあげなくもないですけど、それはそれ、これはこれ、ですね。少なくとも腕組んでニヤニヤ笑ってる姿はバッチリ残っているわけですから」
「うぐッ……!」
そ、そうだ……どのタイミングを撮られたのかまでは分からないが、それほど嫌な顔もせずルビーに付き合ってしまったのは事実。
向こうからの強引な誘いだったとか、俺は乗り気じゃなかったとか、そんな個人的な要素は彼女たちからしたらどうだっていいこと。
もっと言えば、交流センターでのアルバイトないしルビーと過ごす時間を「最近のフットサル部より気楽な環境かも」なんて一瞬でも思ってしまった時点で、俺に弁明の余地など残されていないのだ…………。
(死にてえ……)
どうしてこうなってしまったのだろう。彼女たちとの将来のために始めたアルバイトが、こんな事態を招くだなんて。
いや、違う。それは大した問題じゃない。口先では「今を大切にしないと」なんて散々言っておいて、結局は自分の感情やプライドを優先してしまった浅はかな言動がすべての原因だ。
ルビーとの関係にしろ、俺自身の立ち回り、少しの努力でどうとでも出来た話。一瞬たりとも彼女たちのことを重みと感じてしまった自分が心底情けないし、今でも信じられない。
悔しい。悔し過ぎる。こんな思いを抱くくらいなら、どうして今の今まで何のアクションも起こすことが出来なかったのだろう。
同じ間違いの繰り返しだ。口に出さなかった、態度で示させなかった俺が一方的に悪い。この期に及んで俺は、また大事なモノを見失っていた。
「センパイ。明日がなんの日かご存じですか?」
「バレンタインだろ。ごめん、ノノ……明日もバイトなんだよ……早く言わなきゃってずっと思ってて……」
「ああ、そうなんですか。ならむしろちょうど良かったかも……」
「へっ……?」
そしてまたノノたちの知らないところでルビーちゃんと仲良くするんですね。くらいのことは言われるかと思ったが、ノノの反応は意外にもアッサリしたもの。
「ぶっちゃけノノはそこまで怒っていません。センパイ普通にモテますし、昨日はノノたちもセンパイを除け者してしまったわけですし。どっちもどっちですから」
「……ノノ?」
「ノノたちにセンパイのプライベートをどうこう言う筋合いはありませんから。ちゃんとセンパイが誠意を見せれば、時間と共に解決されると思います。が、しかし」
鋭い手刀が頭部へ直撃し、情けない声が漏れる。
彼女は声色一つ変えず、このように告げるのであった。
「ペナルティーは受けて貰います。明日、ノノは予定を入れてしまいました。センパイのお相手をすることは出来ません」
「よ、予定……? バレンタインに……?」
「はい。わざわざバレンタインに、センパイでもフットサル部の皆さんでもない、他の誰かと……予定を入れたんです」
「まっ、まさか男かッ!?」
「さあ……どうなんでしょうねえ。とにかくセンパイには、ノノたちが味わった苦しみの一片を今日明日、たんと味わっていただきます。これがペナルティーです」
「……ノノぉ……っ!」
「なっさけないですね……これでもノノが惚れた男なんですかっ! どうしても嫌だってんなら、今すぐ全員連れ出して同じように謝罪すべきじゃないんですかっ!」
ド正論すぎる物言いにいよいよ精根も尽き果てる。土下座をも通り越した土下寝にノノは大きなため息を浴びせ、寂しそうに呟くのであった。
「……ノノだってこんなことしたくないですよ。センパイたちだって望んでない筈です。みんなセンパイこと大好きなんですから。それくらい分かってますよね?」
「分あっとるわ、んなこと……」
「じゃあ行動で、態度で示してください。正直言って、ノノも今はセンパイのこと、あんまり信用出来ません」
「……ごめん」
「…………センパイの、ばか」
足音と共に新館から離れていく。当然ながらクズも最低も通り越した俺に、彼女を引き留める権利も勇気も残されてはおらず。
廊下にうつ伏せのまま硬直する史上最高に情けない男がただそこに居るという、それ以上でも以下でもない醜態がここに完結する。
(死にてえ)
先週の俺が聞いて呆れる。
依存しているのはどっちだよ。
愛を、信頼を必要としているのは。
他の誰よりも俺だってのに。
一限の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、アリーナへ体育の授業にやって来た名も知らぬ生徒たちが俺の背中を冷めた瞳で見つめている。
構図だけ切り取ればギャグ漫画にも劣らない秀逸ぶりであったが、お生憎、見開きで心身ともに回復しているような都合の良い未来はどこにも待っていない。
立ち上がらなきゃ。
やることやらねえと。
明日のバレンタインまでに、必ず彼女たちの信頼を取り戻さなければ……ッ!!
* * * *
(せめて同一人物かどうかだけは確認しておくべきでしたかねえ……)
意気消沈の陽翔を新館へ放置し二限から授業へ戻ったノノ。おおよそ言いたいことは伝えたつもりだったが、漠然としたモヤモヤはいつまで経っても消えず、教鞭から垂れ流される意味不明な公式も右から左へ通り抜ける。
(ふむ……あの感じだと、シルヴィアちゃん=ルビーちゃん説はほぼ可能性無しと考えて良いでしょうが……)
観察眼には自他ともに定評のある彼女のことだ。例の少女への甘すぎる対応と、陽翔がアルバイトを始めた動機が一本では繋がらないこと。
彼とてこの状況が本意でないことくらいこと。それでも尚、彼の自己中心的な考えが騒動の大きなウェイトを占めていることも、勿論理解はしていたが。
(流石に厳しすぎたかな……)
未だに不明瞭な立ち位置を取り続ける自身に対しても、やるせない思いは日々募るばかりであった。
フットサル部のバランサー的役割を果たしていた愛莉や比奈がとことん突き抜けてしまった現状。もはやチームの舵取りは自分の役目とさえ彼女は考えている。
自身のアバンギャルドな言動は素面込みではあるが、それも含めて部内の「空気」を読んだが故のアクションだ。
(ハァー……重いっすよホント。重い重い。高一のペーペーが担う役回りじゃないっすよ、絶対に)
他の四人や中学生の二人とは違って、明確な好意を伝える機会も無いまま今日日に至っている彼女。
文化祭での投げやりな告白も、きっと陽翔はあまり重要には捉えていないのだろう。大阪の夜に伝えた想いも、眠りこけてしまった彼には届いていない。
ならばバレンタイン。絶好の機会だと思っていた。なのに、気付けば「不公平だから全員でチョコを作ろう」なんて思っても居ないことを言い出して。思わぬ恋敵の登場に動揺を重ねる全員のフォローまでしてしまって。
(ノノって、なんなんですかね)
溶け込むこと。埋没すること。彼女がフットサル部への加入を決心したとき、最も重要視し、同時に最も危惧していたことだ。
まさか恋愛関係の縺れで似たような悩みを再び抱え出すとは、彼女にとっても望外の事態だったが。
(ちゃんと言わないとなぁー……)
市川ノノ。彼女もまた、一向に霧の晴れない暗中を手探りで突き進み、明日の自分を見失う、どこにでもいる真っ当な少女のうちの一人である。
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