541. 歯、食い縛れ
『おはようヒロ! こないだはとっても楽しかったわ。土日はフットサル部の練習が無いんでしょう? 今度はもっと有名な観光地にでも遊びに来ましょ!』
『火曜が待ち切れないわ。ねえ、今日は学校が終わったら逢えないの? 明日に備えてもう一度ドーナツを食べておくのも悪くないと思うんだけど!』
(朝っぱらからコイツ……)
結局土曜日は丸一日ショッピングセンターを連れ回され、決め込んだコートが厚くて着ていられない程度には貴重な体力と交際費を消耗する羽目となった。
翌日、そして週明けの月曜も朝からルビーとのやり取りでメッセージの新着欄が埋め尽くされている。いくら編入が春からとはいえ暇な奴め。
ありったけの変装が功を奏したのか、ルビーと別れたあとも彼女たちから追及のメッセージが届くことは無かった。どうやら目撃はされていないようで一安心。
大きな事件も無く週末を乗り切った。乗り切ってしまった俺は、早い話かなり浮かれていた。ここ最近のフットサル部を取り巻く、どこか噛み合わない微妙な雰囲気をすっかり忘れてしまっていたのだ。
そもそも土曜日に関して言えば、俺は誰とも約束はしていないわけで。ルビーと出掛けようがそれを咎められる理由は無い。
仮に彼女との関係が露呈したとしても、近く学校の後輩となる少女に余計な世話を焼いていただけと突っぱねれば良いだけのこと。そんな風にさえ思っていた。
それが大きな間違いであったことに、寝ぼけ眼を擦りながらだらしく欠伸を噛ます俺みたいな最低の人間が、どうして気が付くことが出来たというのか。
暖房の効きが悪いスクールバスから逃げるように降り立ち、寒風のプロムナードを早歩きで突き抜け一目散に校舎へ。
向かうは渡り廊下前の自販機。こんな日こそ朝はおしるこ缶からスタートしたい。時間も時間だ、特に待ち合わせなどはしていないが琴音も待っているだろう。
(いたいた)
予想的中。今日もいちばん上の段のボタンをどうにか自力で押そうと奮闘する彼女の姿があった。
なんでも朝の体調次第で届くときと届かないときがあるらしい。後者の場合は俺が代わりにボタンを押してやるまでがここ半年のルーティーン、或いは様式美。
「おはよ琴音。今日はダメな日か」
「…………むっ……!」
声を掛けるや否や、彼女は機敏な動きでササッと距離を取り自販機の影に身を潜める。まるで見知らぬ他人を警戒しているかのような素振りだ。
朝方はフワフワしていることが多い彼女にしては珍しい反応だった。何か気に障ることでもしたかと距離を詰め様子を窺いに掛かるが。
「こ、琴音っ?」
「……近付かないでください……今の貴方の言葉など、只の一つも信用に値しません……っ!」
「えっ、ええっ……?」
敵意を剥き出しにして力強く睨み付ける。ここまで露骨に警戒されるのは、フットサル部に入りたてでヒナイズム全開だった当初の彼女でも記憶に無かった。
「ちょ、ちょっと。どうしたんだよ」
「一度でも気を許した私が馬鹿だったのです……これだから男という生物は……」
「いやいやいや……あのっ、琴音、何かしら怒ってるのは分かるけど、理由を説明してくれないことには」
「近付くなと言っているのです! その安易で軽薄な態度は私でなく、ぜひ他の女性に向けられてみてはっ!」
フシャーっ! という鳴き声にも空目する威嚇は、さながら主を失った野良猫のようだ。いよいよ慌てふためくばかりで、怒りの根源を突き詰めようにも颯爽と立ち去った彼女を追い掛けるだけの余裕も無く、その場へ立ち尽くすばかり。
(な、なんだ……!?)
つい先日、談話スペースのソファーであれだけ幸せそうに微笑んでいた彼女と同一人物とは思えない。この数日で心変わりしてしまったというわけでもないだろう。
(まさか……ッ)
理由はそれしか考えられない。今更他の連中との関係性に文句を垂れるような奴ではないだろうし……間違いない、ルビーとの現場を目撃されたんだ。
琴音だけが知り得る事実とは考えにくい。となると、既にアイツらにも情報は出回っている……!?
「お、おはよう愛莉……」
「……………………」
「ひっ、比奈。おはよう。今日は久しぶりに眼鏡なんやな。やっぱこっちもこっちで似合っとるもんやなぁ……」
「……………………」
終わった。
教室へ顔を出し二人へ話し掛けても一切の反応が無い。シカトというやつだ。完全に存在を無視されている。
隣に比奈、前に愛莉という確立された席順が今となっては心臓の鼓動さえ圧迫する窮屈な世界。俺は荷物だけ置いて逃げ出すように席から離れる。
「おいおい、どうしたんだよあの二人」
「いや、それはだな……」
「マジで喧嘩? おめでとうって言うべき?」
「茶化すなアホ……ッ!」
事態を重く見たオミもこちらへ近付き小声で話し掛ける。クラスの連中も、明らかに普段と雰囲気の違う二人をいったい何事かと興味深そうに眺めていた。
それもそうだ。俺たち三人が教室の端っこで他の連中とは一線を画した異空間を形成しているのは周知の事実。二人の態度を見るに、俺が何かしらの過失を犯したのは誰の目から見ても明らかであろう。
「なんとまぁ可哀そうに、バレンタイン前日に喧嘩とは……因果応報ってやつだな」
「なに? 浮気したのエロ瀬?」
「ついに名実ともにエロ瀬になった?」
「浮気? 浮気か?」
「浮瀬さん爆誕おめでとう」
「子どもデキちゃった?」
「え? マジで孕ま瀬じゃん」
「おはようございますやらか瀬さん」
「じゃかあしいボケッ!」
ここぞとばかりに冷やかして来る男子たちの口撃を振り切り、女子たちの冷ややかな視線を背に廊下へと飛び出る。
「ゲッ!?」
「あっ。サイテーさんだ」
タイミングが良いのか悪いのか、クラスへ向かう途中の瑞希と出くわしてしまう。
いつもと変わらぬ様子でヘラヘラ笑っている辺り、愛莉や比奈と比べたらまだマシな対応だが……いやでも、目が笑ってねえ。ヤバイヤバイ。絶対怒ってるって。
「瑞希っ、一旦話を聞いてくれッ! 俺が悪かった、とにもかくにも俺が悪かった! ちゃんと説明するからッ!」
「んー? 別に良いよ。どーせ市川が見た通りの説明でしょ。なんも変わらんって」
「頼むって瑞希ぃぃ……っ!」
「歯、食い縛れ☆」
「へっ?」
「ズラタンパーーンチ!!」
「オゴォア゛ァッ゛ッ!!」
右腕一閃。
なにがズラタンパンチだ。
ただの腹パンじゃねえか。
「ゴファ゛ォっ……ッ!!」
「はぁーっ、スッキリした! でも、許さない! 絶対に許さないから! バーカバーカ! 死ねクソがッ!」
崩れ落ちた俺を冷めた瞳で見下し、手を払いスタコラと教室へ姿を消す。朝っぱらから繰り広げられた痴話騒動に、他の生徒たちも可哀そうな目で俺の背中をジロジロと見つめている。気がした。分からん。背中に目は付いていない。
愛莉相手なら手慣れたものだが、まさか瑞希から鉄拳制裁を食らうとは……いやマジで普通に痛過ぎる……ッ!!
(ノノ……ノノしか頼れねえ……ッ!)
市川が見た通り。瑞希はそう言っていた。つまりルビーとのデート現場を目撃したのはノノ……彼女への弁明を基点に話し合うチャンスだけも作らなければ……ッ!
(最悪だ……ッ!!)
これまでの経験や積み上げて来た結束。持ち合わせの小さなプライドなどもはやどうでも良いこと。
サッカー部戦を前にしたいざこざ。ノノの加入云々のひと悶着。はたまたハロウィンから続く色恋沙汰に、大阪で起こった一連の騒動。どれも比較にならない。
間違いない、これは……フットサル部始まって以来の危機的状況だ……!
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