539. 運命の相手


 交流センターのある区役所までは少し離れた駅の間を歩いて、路線を一つ乗り継がなければならない。


 どことなく平成初期の香りを漂わせる古めかしい商店街を真っすぐ突き抜けると、新駅の名が付いた直結型のショッピングセンターへ辿り着く。ルビーの自宅はこの駅から歩いて数分のところにあった。



『こんにちは、意外にお洒落さんっ!』

「ううぉっ」


 電車に乗っている間に雪は止んでしまったようだ。身を切るような寒さに堪えながら彼女の到着を待ち侘びていると、突然背後から肩を揺らされ情けない声が漏れる。


 薄ピンクを基調としたチェスターコートは鮮やかなロングの金髪と合わさり実に映えたものである。若さと美貌を兼ね備えなければ悪目立ちしてもおかしくない装いだが、これも彼女のポテンシャルの為せる業といったところか。



『制服姿しか見たことないから新鮮ね……あら、眼鏡を掛けているの?』

『まぁちょっとな……』


 顔回りをジロジロと見つめるルビー。知的な雰囲気で悪くないわね、とどこか嬉しそうに呟く。


 視力の低下が著しい点も見逃せないが、どちらかと言えば万が一の場合に備えた変装が主な理由であった。まぁ愛莉や比奈は俺が眼鏡を掛けて授業を受けているところを何度も目撃しているわけで、気休めと言えばそれまでではあるのだが。



『時間も勿体ないし早く行きましょ。あんまり大きなお店じゃないから、きっと隠れた名店に違いないわ』

『はいはい……いや、なに?』

『あらっ、嫌だった?』

『……そうは言ってないが』

『なら大人しくしてなさいっ♪』


 当たり前のように腕を組んで来る。出逢って一週間も経っていない男女とは思えない距離感だ。これも外国人からしたら当然のスキンシップなのか。分からん。


 誰かに見られたら致命傷どころじゃないな……どうか彼女たちがこの駅と商店街を通って長瀬家へ向かわないことを願うばかりだ……。



『ここよ!』

『…………どこ?』

『だから、ここっ!』


 元来た商店街を一直線に抜け、先ほど降りたばかりの駅前へと到着する。この辺りに人気のスイーツ店なんてあったっけな。目の前にミ○ドはあるけど。



『まさかミス○のこと言ってるのか?』

『そうだけど?』

『いやお前、確かに人気っちゃ人気だけど、めちゃくちゃチェーン店だぞここ』

『チェーン店? なにそれ?』

『スイーツ界のマックと言えば分かるか』

『そんなに有名なところだったの!?』

『知らんかったんかい』


 全国どこにでもあるだろ。○スド。なんで気付かなかったんだよ。もしかして天然入ってるのかコイツ。ちょっと可愛いことするな。



『まっ、まぁ細かいことは良いのよっ! お腹も膨れて、スイーツの研究も出来る! イッチョーイッタンってやつね!』

『たぶん一石二鳥』


 昼までなにも食べてないし特に不満は無いが。これだとイベントでドーナツ作りすることになりそうなんだけど、まぁいいや。


 それほど混みあってもいないので問題無く座れそうだ。適当にトレーへ二つ三つ乗せて会計待ちの列に並ぶ。

 初めて足を踏み入れた店内を興味深そうに眺めていたルビーだが「本当に普通のファーストフードじゃない……」と妙に落ち込んでいた。もっと早く気付け。



『ヒロ、慣れてるのね』

『学校の最寄りにもあるからな。何度も行ったことあるし』

『そういえば、ヒロの通ってる学校がどこにあるか聞いたこと無かったわね』


 会計を済ませ空いている二人席へ腰を下ろす。そういえばルビーって、こっちに引っ越して来たは良いもののどこの高校に編入するんだろう。



『高校はどこに通ってるんだ?』

『ここから少し電車に乗ったところよ。名前は……ヤマサキ? だったかしら。ちゃんと覚えてないわ。通うのは春からだし』


 ヤマサキ? 山嵜?

 は? え? なんて?



『まさか、同じ高校?』

『……みたいやな』

『うそっ!? ちょっと、どうして早く言ってくれなかったのよっ!』

『てっきりこっちのインターナショナルスクールにでも通っているのかと……』

『だから、前にも言ったでしょ? ちゃんと日本での生活に馴染む努力をするって、パパとママに約束したんだから!』


 ドーナツへ伸び掛けていた右手を絡め取られ、ルビーは嬉しそうに笑う。だったら俺に頼ってないで早くナナに会う決心固めろよと喉の先まで出掛かるが、続けざまに彼女はこのように話す。



『学校でもヒロと一緒にいられるのね……っ! あー、どうしよう! あんなに学校へ行くのが怖かったのが嘘みたいっ!』

『言うてお前、俺の一個年下やろ。んな四六時中一緒にはおられへんで』

『良いのよ、いざってときは助けてくれるんでしょ? それだけで十分! ねえヒロ、もしかして私たち、運命の相手なのかしらっ!』

『いやいやいや……』


 すっかり興奮しているルビー。

 握られた右手は一層厚みを増す。


 そりゃまぁ確かに、中々生活へ馴染めないところに言葉の通じる男が現れて、それも学校まで一緒となれば気持ちは分からんでもないが。


 流石に出逢ってからその結論に至るまで、幾らなんでも流れが早過ぎると思うのは俺だけだろうか。まだ俺のことだって大して知らないだろうに。



『あのなルビー。話の通じる奴が急に現れて嬉しいのは分かるけど、あんまり信用し過ぎるのは危ないぞ。俺がろくでもない男だったらどうするんだよ』

『なに? 心配してくれてるの?』

『心配っつうかなんつうか……』

『あらっ、これでも人を見る目には自信があるのよ? ちょっとキザで無愛想だけど、優しくて頼りになる人だってことくらいすぐに分かるわ』

『いやだから買い被り過ぎやって』

『あんなに子どもたちと楽しそうにサッカーしている貴方が、悪い人な筈ないもの。自分を卑下したって無駄よ。私には分かるんだからっ!』


 自信満々に答えるルビー。


 怖い。評価が高過ぎる。

 なにもしてないよ俺。そうはならんよ。



(んなこと無いんだけどなぁ……)


 ルビーは知らない。フットサル部という狭い世界で構築された彼女たちとの歪な関係性を。アイツらに黙ってルビーを逢瀬を重ねていること。


 他の何よりも大切なモノをおざなりにして、出逢って数日の女の子に気を許している、そういう男なのだ。優しい優しくないはともかく、世間一般から見れば俺はとんでもなく「悪い人」にカテゴライズされて然るべき。



 ちゃんと話してやるべきだ。本当なら。俺は一人の女性にすべてを注ぎ込めるほど器用な人間じゃないし、その資格を持ち合わせていない。


 何より今のルビーの傾向はあまり宜しくない。学校でさえ俺に依存してしまうようになったら、ますます日本での生活に馴染む努力を怠ってしまうだろう。ナナとの一件に関しても同様だ。



『…………それとも、もう恋人が居るの?』

『……まぁ、そうかもな』

『なに? その曖昧な言い方』

『諸々含めて保留中というか……』


 ハッキリと「家族同然の女の子が何人もいるんだ」と告白すればよかったのに、何故か口先は思った通りに動かなかった。そんな自分に猶のこと腹が立って。



『あ、分かった。貴方を取り合っている子が何人もいるってことね?』

『……そう、かもな』

『なら良いじゃない。私のパパも昔は沢山のamor恋人がいたって聞いたことあるわ。でも最後はママを選んだの。つまり、結果的に私のモノになればそれで良いのよっ!』

『さ、さいですか……』

『ふふっ。じゃあ貴方のこと、その女の子たちから取っちゃおうかしら。こういうのはスピーディーな決断が大切なのよっ?』

 

 妖しい笑みを残し、彼女は席から立ち上がった。いつの間にかドーナツは完食していたようだ。再び手を取ってわざとらしいほどに密着して来る。



『面白いわ、ヒロ。気に入っちゃった。今日はこれだけのつもりだったけど……予定変更よっ! 一日付き合ってもらうから!』

『……ま、マジで?』

『んフフっ♪ 今日が終わる頃にはヒロの方から「帰りたくない」って言い出すようになってるから、精々必死に抵抗しなさいよね?』


 そのまま腕を引いてミ○ドを後にする。駅のショッピングセンターへ行きましょうと無邪気に笑うその姿は、どれだけ否定しようにも小悪魔然としたただの可愛らしい女の子そのもので。


 分かっている。このまま流されてはいけない。勿論バイトのことを考えれば、彼女のことも蔑ろには出来ないのだが、いやでも、これは流石に……。



『ちゃんとエスコートしてね、ヒロっ?』

『……今日だけやからな』

『強気で居られるのも今のうちよっ!』


 寒空の商店街を引き返し、再び新駅のショッピングセンターへと向かう。どこから見てもデート以外の何物でもない二人の姿を、願わくば誰にも。何より、彼女たちに目撃されないことを祈り。


 急激に縮まりつつある距離をどうにか現状維持で終わらせようと必死に藻掻いているようで、実際のところなんの抵抗も出来ない、情けない俺であった。
















「…………センパイ……っ?」


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