533. 何かしらの欠陥があるとしか思えません
結局昼休みまでの二時間瑞希に拘束されっぱなしで仮眠もクソも無かった。
言うところの「口のマッサージ」で多幸感は増し増しだが、滾りに滾った欲求は今も尚はち切れんばかりに増長を続けている。
瑞希は昼食を買いに購買へ走っていった。そのまま談話スペースに残っていれば愛莉が弁当を持って来てくれるとふて寝を続けていたが、ここで彼女からメッセージが。なんでも今日は弁当を持って来ていないらしい。
俺に逢うために早起きしたせいで作れなかったそうだ。そのままクラスメイトの女子と比奈を連れて食堂に行ってしまったとのこと。
なんだよ、こんなときこそ作って来いよ。
タイミング悪い奴やな、って最低かこれは。
購買で瑞希と合流しようと重い腰を上げると、長い黒髪を揺らし琴音がトコトコと歩いて来た。どうやら先に弁当を買ってこっちに来たらしい。
辞めだ。俺の分も瑞希に買って来て貰おう。
「お一人ですか」
「せやな。図らずとも」
「可哀そうですね」
「テメェよりかマシやろ」
特になんの考えも無しに新館までやって来たようなので、比奈がクラスメイトたちに捕まっていることは知らなかったらしい。
私をほったらかしにするなんて、と不満げに頬を膨らませるが、見た目ほど怒っているわけではなさそう。
「ノノから何か連絡来たか?」
「いえ、特には」
「アイツもクラスの付き合いくらいあるか……」
「貴方と違って同性からも人気者ですからね」
「絵に描いたようなブーメランやな」
「うるさいですっ」
グチグチ文句を垂れながらも大人しく隣に座って来る。まぁ俺の言っていることの半分は虚勢みたいなモンだ。コイツは男子は勿論女子にとっても高嶺の花過ぎる。気安く話し掛けるなオーラがビンビンだし。
もう半年以上の仲だけど、琴音のクラスでどう過ごしてるとか全然話入って来ないな。まさか本当にぼっちなのだろうか。
フットサル部でのボケっとした顔を半分でも出せたらとっくに人気者だろうに。マスコットとして。
「アルバイトを始めたと聞きました」
「えっ。あぁ、せやな」
「昨日市川さんが「レンタル彼氏」だなんだと騒いでいたのですが、本当にそういうものをやっているんですか? よく分からないのですけれど」
「んなノノの適当な妄言なんか本気で信じるなよ……あれや、有希のお母さんがな」
愛莉に施した内容と同じ説明を繰り返す。ついでにレンタル彼氏がどういうものかも教えてみると、琴音は呆れたような、けれどどこかホッとしたような微妙な顔で深くため息を漏らすのであった。
「なるほど、そういうことでしたか。まぁ、陽翔さんにレンタルだろうが何だろうが、彼氏なんてものが務まる筈がありませんからね」
「そこまで言い切られても嫌な気分やな」
「しかし有希さんの話によると、今は女性の……市川さんと同い年の方のケアをしているとか」
「一応な。一応。仕事やって」
「…………まぁ、だからなんだという話ですけど。アルバイト、仕事のうちですから。貴方が誰と仲良くなろうと、私には関係の無い話ですが」
釣れない様子でプイッとそっぽを向く。
なんだよ。その汐らしい態度は。
可愛い奴が可愛い子ぶるな。可愛いだろうが。
こう、なんだろう。今朝の三人の態度が不満とかそういうのじゃないんだけど、琴音のがっつかない感じが凄くちょうどいい。落ち着く。SAN値が回復している。
「……ご飯、無いんですか?」
「え。あぁ、愛莉に裏切れてな」
「いざというときの準備を怠る貴方の責任です。まったく、自分で作る意思さえ持たず愛莉さんに任せっきりなんて。もう少し男性としての尊厳を保つ努力を……」
そこまで言い掛けると、琴音は弁当の中に入っていた人参をジッと見つめる。確か苦手だった筈だ。人参に限らず野菜全般。
この見た目で普段ジャンクフードばっかりなんだよな。どうでも良いところで人間っぽさ出さないで欲しい。男子人気ナンバーワンのチキン南蛮弁当なんか買うな。
「……食べますか?」
「じゃあ貰うわ。人参好きやし」
「こんなものを好んで食べるなんて、人間として何かしらの欠陥があるとしか思えませんね」
「人参に親でも殺されたのかよ」
「野菜は好みません。味がしないので」
「偏見や、偏見」
コイツに必要なのはフットサルの技術でも社交性でもなく農業体験だ。確信した。いつか絶対に美味しい野菜を食べさせてやる。必ず。
「……えっ?」
「なんですか。早く食べてください」
箸で人参を摘まみグッと差し出して来る。
それはつまり、あーんですか。琴音さん。
「……ん。んまっ。サンキュー」
「…………まだ食べますか」
「いや、あとはええわ。瑞希がなんか買って来てくれるし」
「……あまりお腹が空いていないことに気付いたので、食べてください。残すのは勿体ないので」
「えっ、ちょっ」
次々と品を掴んで口元へ運んで来る。断ればいいだけの話なのだが、あまりにも必死な顔をしているものだから休む暇も無くパクパク。
なんだ、俺を餌付けしようってか。自分で作ったわけでもあるまいにその手には乗らんぞ。まず台所に立つところから始めろ。
「なんらお、こっひ見んな」
「……ふふっ。いえ、なんでもっ」
「おいっ、オレの顔見て笑ったな」
「そんなことはっ……」
肩をプルプル振るわせてそっぽを向く。前に愛莉と前集合デートしたときもメシ食ってるとこ見て笑われたな。面白いことなんもしてねえよ。馬鹿にすんな殺すぞ。
「……まったく、どうしようもない人ですね。貴方は。見ていて飽きません」
「メッチャ馬鹿にしとるやん。うざ」
「褒めてるんですよ、これでも」
「イジメは被害者がイジメと自覚した時点でイジメなんだよ。反省しろ」
「じゃあ、それで良いです。陽翔さんはとてもイジメ甲斐があります」
「なんやねんそれ……」
童子へ返ったようにクスクスと笑いを溢す琴音。出逢った頃の鉄仮面が外れすっかり表情豊かになったのは良いが、これはこれで理不尽さを感じたり。
「……困りますね。本当に」
「あっ?」
「こんなに面白いことがこれからも沢山起こるなんて、まるで想像の付かない世界です。いったい私は、どうなってしまうのでしょう」
「……はぁ?」
「やはり、出過ぎた真似はしないことです。身の丈に合った幸せというものがあるのですね…………陽翔さん」
……よく分からないが、何かに気付き何かに納得したらしい。勝手に。一人で。俺だけ置いてきぼり。二人しかいないのに。
まぁ、琴音が楽しそうだから良いのか。ただ人参食っただけでこんなに喜ばれるなら苦労無いな。先の三人との格闘を忘れる勢いだわ。
「…………一つだけ、約束してください」
「約束?」
「私は皆さんのように、自分の内面を曝け出すようなことが苦手なだけで……その気が無いというわけでは、ありませんから」
「……お、おう」
「だから、ちゃんと見ていてください。大勢のなかの一人である以上に、私は私であるということを、忘れないでください。それだけで良いですから」
弁当をソファーの片隅に置いて、チョコンと隣へ座り直す。その距離は先ほどとは比べ物にならないほど近い。
丸くて大きな瞳が俺をジッと見つめている。決してひと時も目を離さないという確固たる信念を口にせずとも宣言するかのように。
「…………近いっすね琴音さん」
「こうでもしなければ、貴方はどこかへ行ってしまいそうです。最も近くにいる見るべきものを見ず、他の何かに囚われているようなどと、言語道断です」
「……行かねえって。どこにも」
つまるところ、彼女も必死だったのだ。俺の抱えている悩みとも言い切れぬ何かを、きっと琴音も本能で見抜いていたのだろう。
こうして寄り添っているうちはひたすらに幸せなのかもしれないが、一言では片付けられない何かが。裏があるような気がしてならない。もっともその裏を作り出しているのは、他でもない俺だったりするのだけれど。
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