532. マッサージしま~す
2月下旬と言えば期末試験が行われる頃だ。バレンタインやら一か月後に迫った修学旅行だと浮かれている場合ではない。
英語以外の教科はさほど優秀と言えない俺も、ここ最近の堕落ぶりを考えれば多少なりとも勉強に力を入れたいところ。ただでさえアルバイトという生活のルーティーンが一つ加わったこともあり、あまり悠長には構えていられないのだが。
「……陽翔くん、集中っ」
「どの口が言うとんねん……」
二限の数学。峯岸の抑揚の無い声はちっとも頭に入って来ないが、それだけが原因でもなかった。
高校生ともなれば席順や授業態度など教師陣からすれば割かしどうでも良い部類だそうで、真面目に参加しない奴を咎める場面は見受けられないし、本来は数センチ離れている席を隣同士がくっ付けても指摘されることはない。
教室左端に俺と比奈、前列に愛莉という席順はここ半年ほど一度も変わっていない。誰からも注目されない場所、タイミングで比奈は動いて来た。
(気が散るゥゥ……ッ)
ほったらかしにしていた右手をギュッと掴んで、自身の膝上へ運ぼうとしている。直接触らないようにどうにか抵抗するのだが、隙を見ては腕を引っ張って来るのだ。
彼女が仕向けて来た罠とはいえ、授業中に男の俺が比奈の足を触り掛けている状況に変わりは無い。見つかったら即死。セクハラ告発を賭けたチキンレース。
注目を浴びるわけにもいかないので、声に出して咎めたり大袈裟なアクションで阻止することも出来ない。
「……あったかーい♪」
(ヒィイイイィィッッ!?)
今度は腕を絡ませて身体を預けて来る。
突然の出来事に身動きすら取れない。
ハロウィン以降すっかり人目を憚らず距離を詰めて来るようになったが、授業中にこうもあからさまな態度を取られるのは初めてだった。
本当になにを考えているんだコイツは……いくら峯岸のノーマークな授業だからってやり過ぎだろ……。
「はい、じゃあ143ページの問題な。これやったらあとは自習でよろしく。全部解けても廊下とかで騒ぐなよ。以上。終わり」
授業時間は15分ほど残っているが、峯岸は教材をしまってさっさと教室を後にする。これもいつも通り。教科書をダラーっと読み流して最後に問題解かせて終了。生徒から「峯岸の授業は安パイ」と影で褒め称えれる大きな理由である。
一部の真面目な生徒は教科書の問題を静かに解いているが、騒がしい連中は教室の戸が閉まると同時にお喋りを始める。ホッと息を吐き、すぐさま拘束を外して。
「アホっ、なに考えとんねん」
「んー? 色仕掛け?」
「調子に乗んな」
「いたっ。うぅー、酷いよお」
まぁまぁ力の入ったチョップを喰らい、比奈はクスクス笑いながら頭を抑える。クッソ、一人だけ全力で楽しみやがって……。
「んふふっ。ドキドキした?」
「ハラハラしたわ」
「もー、今更初心なこと言っちゃって」
「なんやねんお前ホンマに……」
今朝の愛莉に続き心臓に悪い。俺をセクハラ容疑で学校から追放するつもりか。だとしたらもう結構ギリギリというか時間の問題だぞ。察しろ。
「どこ行くの?」
「サボる」
「峯岸先生ダメって言ってたよー?」
「騒がなきゃええんやろ。廊下に出るなとは言っていない。そして次の授業は古文、俺が教室に居ようと居なかろうと誰も気にしない。QED」
「えー、ずるーい」
「大人しく優等生の皮被ってろ」
古文の教師は授業に出ない癖して試験で結果を出す俺を目の敵にしていつも文句を言ってくる。どうせ今日も同じ流れだ、だったら最初から居ない方が良い。
色仕掛け作戦を妨害された比奈が「愛莉ちゃーんダメだったよー」とかなんとか言っていたが、無視を決め込んで教室を出る。
俺が座学をサボるのは日常茶飯事なので、誰もどこに行くかとか聞いて来ない。移動教室では戻って来るので文句も言われない。謎の信頼。
向かうはやはり新館の談話スペース。無駄に早起きするんじゃなかった。昼休みまでソファーで寝てやる。5限が美術だからそれまで温存するんだ。色々。
「ゲッ。お前もかよ」
「ようサボり魔」
「棚に上げてよう言えたな」
充実のぼっちタイムとなるはずが、談話スペースには先客がいた。こちらも座学の半分はサボって新館で暇を潰すことが多いという瑞希である。ソファーに寝っ転がってスマホを弄っていた。
コートを一望出来る窓ガラスには普段大きなカーテンが掛かっていて、それをソファーごと覆うことで巧みに自身の存在を隠していた。
外側からは丸見えだが、授業中に外回りをしている物好きな教師は誰も居ないので見つかることも無い。俺と瑞希だけが使う上級者のテクニック。
「ええ加減にせなホンマ留年するでお前」
「ヘーキヘーキ。くすみんに試験対策作って貰ってるから、それやれば余裕っすわ」
「友達顎で使ってんじゃねえよ」
「ぬっふっふ! おしるこ缶20本奢りで手を打ったのさ! 抜かりはねえっ!」
「買収って言葉知ってる?」
そういうところで甘やかしてんじゃねえよ琴音も。どう考えても釣り合い取れねえだろ……いやでも琴音だからなぁ。
「ハルっ、動かすの手伝って」
「あいあい」
普段は凹の形で三つに分かれているソファーを移動させると、ちょうど二人分くらい寝っ転がれるサイズの簡易式ベッドになる。これも瑞希が編み出したものだ。
カーテンをバサッと覆い隠し、誰にも見られることなくサボりに集中出来る最適な環境が完成する。人目に付かない秘密の空間作って何する気だよ。いやまぁ、別に何をするつもりも無いが。俺はな、俺は。
「いっつも思うんだけどさ」
「おん」
「これ余裕でエロいことし放題だよね」
「しないけどな」
「ほーん! じゃあこれはケンゼンだと!」
仰向けで寝っ転がると、瑞希はスマホを置いて俺の背中へと乗り掛かって来る。細身のラインと冷たい生足が密に重なり、軽過ぎる体重もさして苦にならない。
「アホっ、重いんじゃッ!」
「正月より痩せたから問題ねえ!」
「前より軽くなったとかどうでもええねんッ! 今やめろっつってんだよ!」
「マッサージしま~す!」
「ごふォっ!!」
腰に跨ってソファーをギシギシと揺らす。ハリのある臀部をぐにゅぐにゅと押し付け、瑞希は楽しそうにケラケラと笑うのであった。
もう口に出すのも面倒だけど、距離感バグり過ぎだからお前。位置入れ替わったらセクハラ通り越して強制わいせつだから。お分かり? 昨今女性主導の性犯罪も珍しくないよ? 俺が告発したら終わりだからね? お分かり?
「や~め~ろ~……!」
「お客さん凝ってるっすね~」
「健康で~~す……!」
バウンドに合わせて背中をグリグリと押される。マジで骨盤に関しては誰よりも丈夫だから。必要無いから。
「なんなんだよお前らホントによぉ……」
「あっ、ひーにゃんから何かされた?」
「愛莉もなー……」
「それアレだよ。昨日みんなで「ハルに手を出されたら勝ち」ってことになったから。残念だったな!」
「勝手になに始めとんねん……」
残念なのかはともかく、どうやら今朝の中身空っぽな推理が的中してしまったらしい。口には出さないが、やはり彼女たちにとってバレンタインというのはよほど特別なイベントなのだろう。
あー、そうだ。当日の件早くみんなに言わないと……でも瑞希にだけ伝えるのもなんかなぁ……まぁ練習のときに言えばいいか……。
「……眠いの?」
「若干」
「なるほどっ。じゃー抱き枕になってやる」
「いらないっす……」
「そー言うなってー」
「お前がやりたいだけだろうが……」
「なんだよ、頭良いなっ」
隣に寝そべった瑞希。腕を無理やり下に潜り込ませ、強引に身体を横にさせられる。近いな。分かってたけど。近すぎるわ。普通に。
「……なに見てんだよっ」
「いや、他に選択肢ねえだろ」
「ねー。マッサージしてあげよっか」
「…………どこを?」
「口の」
「……誰かに見られたら終わりやな」
「良いよ、終わっても。ハルと一緒なら」
なにお前。重すぎ。
物欲しそうな目で見るな。気が狂うわ。
「……チャイム鳴るまでな」
「安定のザコっぷりっすね」
「うるせえ。黙れボケ」
「へっ。黙らせてみろやっ」
終わった。もう寝れんわ。
吸い尽くされる。体力精気、その他諸々。
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