531. 今から腕を折ります
「よう。朝練か」
「おはよ廣瀬」
「おっはーヒロローン」
目覚まし時計の力を借りず起きてしまったので、久々にスクールバスの混雑に悩まされず優雅に登校し7時半には学校へ到着。
談話スペースのソファーで軽く寝るかと教室に赴かずその足で新館へ向かうと、朝練を終えたサッカー部と出くわした。格技場で体幹トレーニングをしていたようだ。
「あれ、ガールズたちは一緒じゃないの?」
「なんやガールズって」
「えー。だってヒロロンいっつもフットサル部の子たちといるからさー。お昼ご飯誘おうと思っても先に捕まえられちゃうんだよね」
朝の眠気か練習疲れか欠伸を挟みヘラヘラと笑う茂木。のほほんとした装いとは裏腹に、快足を飛ばしサイドを破る純正のウインガーである。
それとなくベルギー渡欧の件について聞いてみると、三月の修学旅行が終わったらすぐに飛んで練習へ参加するらしい。ノリが軽いのかバイタリティーに溢れているのか。特に語学の勉強はしていないようだ。前者だわ絶対に。
「で、こんな時間にどうしたんだよ。フットサル部の誰かと喧嘩でもしたのか?」
「なんやねんオミまで」
「中庭でいっつも……楠美さんだっけ? あの子とおしるこ飲みながらフラフラしてるじゃん。なに、マジで喧嘩? 超おめでとう」
「茶化すなや」
結局ソファーでの追加睡眠は叶わず、そのまま二人に着いて教室へ向かうことに。オミも俺が一人で学校に居るのを珍しがっているらしい。
先日の昼休みの騒ぎを根に持っているのか、俺のリアクションを見てオミは随分と嬉しそうな顔をしていた。人の不幸を喜ぶな。
「なんとまぁ可哀そうに。バレンタインを前にしてついに廣瀬ハーレムも解散か」
「……あー。そういやもうすぐやな」
「気取ってんじゃねえよ~。今年は何個チョコ貰えるか皮算用の毎日だろぉ?」
「アホじゃあるまいし……」
自慢じゃないがバレンタインチョコは文香からしか貰ったことが無い。それも小学生の頃までで、以降は受け取り自体拒否していた。
セレゾンに居た頃も、下部組織の選手にはファンがプレゼントの類を送れないルールになっていた。人生経験に乏しい俺でも指折りの縁が無いイベントなのだ。
(言いにくいわ……)
愛莉のメンタルが今日中にどこまで回復しているか分からないが、そうでもなくとも彼女たちが一年に一度のビッグイベントを見逃す筈がない。
フットサル部総出の遊びや誰かの誕生日ではなく、男女が一対一で向き合って然るべき一日だ。いくら一蓮托生の彼女たちとはいえ「せっかくなら全員で何かしよう」などと気の利かないことは言い出さないと思われる。
どうせ比奈辺りが「陽翔くんは一人しか選んじゃダメなんだよ」とか言い出して醜い争いが始まるのだ。これが自ら予測出来てしまうというのだから、なんとも幸福で不幸な歯がゆい身の上である。
が、何が問題って、バレンタイン当日は交流センターに顔を出さなければならない。放課後の予定は既に埋まっているのだ。
何かと理解のある琴音やノノはともかく、愛莉や瑞希は怒り狂いそうだな……で、比奈は「埋め合わせしてね♪」とどっかしらで一日中拘束して来る。間違いない。無論、有希と真琴にも何かしらのフォローが必要だろうし……。
「はー……廣瀬刺されねえかなー……」
「物騒なこと言うなや」
「悲しみの向こうへと辿り着かないかなー」
どこか遠い目で肩を組む非リア路線まっしぐらのテツオミコンビであった。別にお前らだって人気のサッカー部の時期エースなわけだし、その気になれば幾らでも……いや、都合の良いことは言わんとこう。あとが怖い。
「おっと、噂をすれば長瀬ちゃん」
「あらホントね」
渡り廊下へ通り掛かると、自販機に背中を預けてスマホを弄る愛莉が。珍しい、朝が弱ければ登校時間もいつもギリギリなのに。
「長瀬ちゃーんおはよー。なんか廣瀬が謝りたいことあるってー!」
「土下座の練習バッチリだとさ~」
「ちょっ、お前らなッ」
「うぇーい修羅場修羅場~!」
「事件は現場で起こっているんだ~」
ケラケラ笑いながら階段へと逃げていく二人。なんやねんお前ら、友達思いなのか友情破壊したいのかどっちかにしろ。ウザ過ぎ。
「…………おはよ」
「お、おう……その、昨日ごめんな。ホントに、マジで悪かった。今日はなんも予定無いから、練習終わったら何時間でも付き合うわ。なっ?」
「……良いわよ、別に。よくよく考えたら、そこまで問い詰めるような話でもなかったし。もう怒ってないわ」
ホントにぃ? 嘘だぁ?
「……なによ、そんなビクビクして。怒ってないって言ってるでしょ?」
「いやしかし……」
「ちょっと付き合いなさいよ」
無理やり腕を引っ張られ新館への道を逆戻り。クソ、まるで考えが読めん。これならスペイン語の方がまだ正直になれる。日本語難しい。ルビーの気持ちがわかる。
どうやら俺が帰ったあとに連中がある程度は収めてくれたようだが、顔色を見るにまったく気にしていないというわけでもなさそうだ。鉄拳制裁か。久々に。怖い。
「……え、なに?」
「座って」
談話スペースのソファーまでやって来た。他の部活動も朝練を終えている時間なので、新館には俺たち以外誰も居ない。
先にソファーへ座って隣に来るよう促す愛莉。ま、まぁ当初の仮眠を取るという目的ならこちらとて吝かではないが……何をするつもりだ?
「…………愛莉?」
「ジッとしてて」
右腕をガッチリ掴んで抱き抱えて来る。
なんだ、今から腕を折りますってか。
…………いや、違う。合格パーティーの日と同じだ。目はどことなくトロンとしているし、心地よさそうに吐息を漏らし身体をすり寄せて来る。
「……ずっと待ってた」
「えっ?」
「朝は琴音ちゃんとあそこにいるでしょ……だから、早く来たら会えるかなって」
「いや、でもそしたら琴音もおるやろ」
「賭けが当たったってこと」
カーデガン越しに伝う二つの温もり。彼女とのハグも珍しくなくなって久しいが、この柔らかさと威圧感だけは未だに慣れない。慣れるわけがない。
不可抗力とはいえこっちから見たり触ったりしたら死ぬほど怒るのに、自分で当てに行くのは何とも思わないんだよなコイツ。自覚が無いだけなのか。
「……昨日さ、みんなに色々言われちゃって」
「お、おん」
「イライラするのは誰かのせいじゃなくて、自分の頑張りが足りないからだって…………だから、こう言うところから始めようかなって……」
「な、なるほど……?」
要するに、時折見せる甘えんぼモードをこれからは常時発揮していくと、そういうことなのか。それは不味い。普通に困る。理性終わっちゃう。無理。
「……ハルトは……」
「んっ」
「ハルトは……私のこと、好き?」
は? なに? なにいきなり? そんな上目遣いでなに言ってるんですか? 可愛いだけなんですけど? やめて?
「……前にも言うたやろ」
「いま、言って」
「…………好きだよ」
「……じゃあ、許す」
なにがだよ、と言い返す余裕も無かった。更に腕へ力を込めギュッと抱き締める彼女は、この世のあらゆる幸福を搔き集めたが如く頬を緩ませだらしなく身体を預けに掛かる。
取りあえず、仲直りは出来た……ってことで良いだろうか。いやそもそも喧嘩かどうかも怪しいラインではあったんだけれど。当人が満足なら良いのか。分からん。
「……バイトって、何してるの?」
「えっ。あぁ、有希から聞いてないか? 外国人の生活支援っていうか、まぁたいしたことちゃうけどな。暇してる子どもの面倒見たりとか」
「ふーん……なんだ、そういうのなのね。ノノの言ってたこと、大外れじゃない」
「ノノが?」
「女の子の面倒見るなんて、まるでレンタル彼氏だって……違うよね?」
「いや、んなわけねえだろ」
「なら良いけど……昨日放課後にみんなでアンタのこと探し回ったんだけど、結局見つからなくてさ」
「そりゃそうだろ……有希の家の近くの区役所やぞ。この辺りには居ねえよ」
「……じゃあ、良かった」
「心配し過ぎやって」
と、口では返すのだが。昨日のルビーとのやり取りを見るに、あながちまったくの間違いだとも言い切れないところであった。
捉え方によっては、ルビーは自身の理解のある男を宛がわれて一緒の時間を過ごしているわけだから……彼氏とまでもいかないまでも、俺という人間をレンタルしているのかもしれないな。金は取ってないけど。
「バイトなら、良いよ。でも……」
「……でも?」
「私の知らないところで、知らない女と会ってたりしたら……絶対許さないから」
「……あ、あぁ……そりゃまぁな……」
執念染みた何かを感じさせる瞳に、俺はそれ以上なにも返すことが出来なかった。何も不純なことはないのに、酷い罪悪感に駆られている。
「……ホームルームまで何分くらい?」
「20分くらいじゃねえか……?」
「じゃあ、それまでアンタ、私のものね」
「は、はいっ……」
満足げに頷き大きく息を吐く。
体温が重なり、仄かに温かみを増す心と身体。
一方、愛すべき女性と密着しているという理由だけでは不十分なほど動揺している俺がいた。
早く言わなきゃいけないのに。ルビーのこと、しっかり説明しないといけないのに。どうしてだ、なにも話せないのだ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます