529. 俺は甘えるけど
子どもたちから目を離すわけにはいかないので、そちらを気にしつつグラウンドを囲む遊歩道を散歩。最近この街に戻って来たというルビーは、これまでの日本での生活ぶりを語ってくれた。
『じゃあこっちは久しぶりなのか』
『うん、6年ぶりくらいかな。初めて来日して暮らしたのが同じ州のちょっと南のところ。パパは日本中を仕事で飛び回っていて、ナゴヤ、ホッカイドウ、オオサカ……色んなところに行っていたみたい』
スペインに居た頃も父親の仕事であちこちを飛び回る生活だったようだ。転勤族というやつなのだろうか。
『去年の夏にパパは一度スペインへ帰ったんだけど、私とマミーはずっとナゴヤで暮らしていたわ。インターナショナルスクールに通っていたの』
『一緒に帰らなかったのか?』
『そのつもりだったけど、日本の方が安全だし何度も生活環境が変わるのは可哀そうだからって……』
母国での記憶はほとんど残っていないらしいが、ルビーはずっとスペインへ帰りたがっていたようだ。日本語を学ばなくても生活出来る環境に身を置いていたわけだから、別に父親が仕事をしていた国にこだわる理由も無いだろうしな。
『パパとママにお説教されちゃったの。言葉が通じないのがいけないんじゃなくて、私が日本での生活に、日本人との関係に距離を置いているのがダメなんだって……だから、高校は普通のところに通っていたわ』
『……そこでは馴染めなかったのか』
『最初の頃はまだ良かったわ。みんなスペイン語を勉強して、話し掛けてくれたりね。でも、段々面倒になって来たんじゃない? 暫くしたら誰からも声を掛けられなくなって……友達は出来なかったわ』
『ルビーは日本語を勉強しないのかよ』
『……だって、難しいんだもの。世界で一番難しい言語なのよ? いくら毎日聴かされてるからって、話せるかどうかは別問題よ』
ルビーの言うことも一理ある。彼女の場合、幼少期に母国語としてバレンシア語中心の生活、アイデンティティーが確立されてしまっていたから……意欲を持って勉強しないと習得出来ない環境だ。
日本語が難しいというのも分からんでもない。俺も語学の勉強を始めたとき「たったこれだけの文字で話せるのかよ」と肩透かしを食らった記憶があるし。
だって英語にしたって26文字で、日本語は濁音含めたら50音、倍以上あるんだぞ。しかも漢字もカタカナも覚えないといけないって。普通に難易度高いわ。
『それで、すっかり塞ぎ込んじゃって……私も自分自身に驚いているわ。小さい頃はあんなに元気で騒がしい子どもだったのに、今の自分が信じられないくらい』
『……そうか』
『なにっ? その疑うような目は』
『いやなんも……』
会話が成り立っているからこそかも分からないが、彼女が言うほど昔のルビーとそう大差は無いような気もする。
本来持ち合わせている気の強さみたいなところは感じるし、言葉が通じるからって距離感が近過ぎるし。めちゃくちゃ腕組んで来てるんだぞ。外国人特有のパッションで誤魔化せないエネルギーがある。本当に初対面かよ。
『そんな私を見て、パパが助け船を出してくれたの。最初に暮らした街で家族一緒に過ごさないかって。偶々この街で仕事をしないかって誘われていたみたい』
『ほーん……』
『パパは覚えていてくれたのよ。この街で暮らしていた私が一番楽しそうだったってこと。それに私も覚えてるわ。ナナのこと』
『ナナ?』
『日本で初めて出来た友達よ。ナゴヤのインターナショナルスクールに行くまで、ずっと二人で遊んでいたわ。最近は疎遠になってしまったけど……でも、この間メールでやり取りをしたわ。今もこの街で暮らしているみたい』
幼少期の色褪せない美しい思い出を振り返り、ルビーはくすぐったそうに微笑む。
なるほど。ナナという女の子のおかげで、この街には良い思い出がたくさん残っていて……お父さんもその子と再会させることで、かつての明るさを取り戻して貰おうと、そういう魂胆だったわけだな。
しかし……いくつか腑に落ちないな。
せっかく良い思い出ばかりの街に戻って来たというのに、言語の問題はともかく、ルビーはまだ本来の快活さを完璧には取り戻せていないようにも見える。
加えてこの様子だと、ナナという女の子とはまだ再会していないようだ。直近でメールのやり取りをしていたくらいの仲なのに、何か事情でもあるのか。
『ヘイ、ヒロセ! なにデートしてるんだよ!』
『あん? なんだよファビアン、俺はこの子と仲良くなるので忙しいんだ。まだ日が暮れるまで時間あるし、もう暫くボール蹴ってろよ』
『えー! ズルいよヒロセ!』
ファビアンが俺たちのもとへ冷やかしにやって来る。他の子たちもサッカーを中断してこちらの様子を窺っているようだ。
『うっ……』
『おいおい、どうしたよ』
『苦手なの、こういう小さい子……インターナショナルスクールで散々イタズラされて、トラウマなのよ……っ!』
怯えたように俺の背中へ隠れるルビー。
そういうところって年齢や学年での括りが少なくて、年上は小さい子の面倒を見るシステムになっているって聞いたことあるな。
彼女の言うイタズラがどの程度のモノかはともかく、こんなに可愛い子が居たらちょっかい掛けたくなる男の気持ちも分かるわ。
『怖がるなって、普通に良い子たちばっかりだから。トラウマ克服する良い機会じゃねえか……ファビアン、この子はルビー。お前と同じでスペイン語圏の子なんだ』
『ホントに!?』
『ああ。でもファビアンの話すスペイン語とはちょっと違うんだ。ちゃんと話が通じるように、ファビアンが気を遣うんだぞ』
『えー? どうしてー? だって僕よりこの人の方がお姉ちゃんだよ?』
『なんだ、優しくない奴だな。可愛い女の子を優しくリードするのが男らしさってモンだろ。じゃあファビアンは女の子に守られる弱っちい子どもってことだな?』
『ちっ、違うよ! 僕は大人だよっ!』
『なら、ルビーに優しくするんだ。怖がらせるんじゃないぞ。お前がルビーを守ってやるんだ。良いなっ?』
『……分かった!』
ファビアンは皆を集めて「あの子はルビーと言って、彼女を怖がらせたり嫌な思いをさせたら、ヒロセにボコボコにされる」という趣旨の説明を施している。
そこまでは言ってねえよ。なんやねんお前。まぁでも、何だかんだしっかりお兄さんやってるんだな。関心感心。
これでルビーを邪険に扱ったりセクハラするような悪ガキは出て来ないだろう。あとはルビーがどこまで自分から馴染もうとするかだな。
『……余計なお世話よ、もうっ』
『そう言うなって。同じ言葉を話す子どもを怖がってて、どうやって日本人と仲良くなるってんだよ。しっかりしろ』
『……意外と厳しいのね、ヒロ』
『悪いな。女子どもは甘やかさない主義なんだ。まぁ、俺は甘えるけど』
『……ふふっ。なにそれ、変なの』
少しずつ緊張の糸が解れ、子どもたちへの抵抗も無くなってきたようだ。仮にも生活アドバイザーという名目の仕事だからな、こういうところから始めないと。
ていうか、やってること半分カウンセラーだよな。外国人相手だから誤魔化せてるけど、アイツらとのコミュニケーションとあんまり変わらないような気も……。
『ルビー! 一緒にサッカーしようよ!』
『えっ……で、でもわたし、スカート……』
『大丈夫だよっ、誰も気にしないし、見たりしないからさっ! ほらっ、行こう!』
『あっ、ちょ、ちょっと!?』
ファビアンに手を引かれグラウンドへと連れ込まれる。確かに球技をするには少し危うい恰好だが……他に利用者もいないしな。邪な目で見るとしたら俺くらいのモノだろう。問題無い。恐らく。
(あ、聞き忘れた)
こちらの友達だというナナという女の子のこと、すっかり深掘りするのを忘れていた。まぁ後でも良いか。
『ヒロセも! 早く早くっ!』
『なんだファビアン、そんなに俺に負けたいのか? 面白い趣味持ってるな』
『へへんっ、次こそ僕が勝つんだっ!』
『ほーん。やれるもんならやってみろ!』
取りあえず、仕事だけはキチンとこなそう。俺に出来ることはそう多くない。ところがしかし、それで十分だってんだから優しい世界だよな。
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