528. ラテンの血


『ヒロセ! 今の技、どうやってやるの!?』

『んー。これはな、まず踵でボールを思いっきり擦って、右足を……』


 交流センターへ向かうと、俺の到着を待ち侘びていた子どもたちに早速囲まれ、二日連続ですぐ隣のグラウンドでサッカーへ興じることに。


 昨日は居なかった子も合わせて10人ほどだろうか。今日は女の子も混ざっている。ファビアンが最年長みたいだ。態度は一番ガキ臭いけど。



『おらっ、行ってこい!』

『僕が決めるんだっ!』

『あっ、ファビアンずるいっ!』


 ボールを高く蹴り上げると、我先にとダッシュで回収に向かい微笑ましい小競り合いを始める彼ら。なんだか犬とボール遊びしているみたいだな。失礼ながら。



(あの子は……やっぱ居ないよな)


 メンバーを一人ずつ確認するが、当該の人物の姿は見当たらない。まぁそりゃそうだ。あんな可愛くて金髪の目立つ子が居たらすぐに分かる。



「今日はルビーちゃんが顔を出すから、後でお話し相手になってあげてね♪」


 子どもたちに引っ張られ施設を出る前、有希ママにこのようなことを告げられた。スペイン人の引っ込み思案の女の子、ルビーちゃんも交流センターを訪れる予定らしいのだが、まだ姿を見せていない。


 よしんば既に到着していたとしても、この団子サッカーに混ざって来るだけの勇気は無いだろうな……彼らとはちょっと年が離れすぎだし。


 と、ここで関根館長から預かった仕事用のガラケーに電話が入る。なんの用だろう。



「はい、どうしました?」

『お疲れさま。今さっきルビーちゃんが到着したから、そっちに向かわせたよ。顔は分かるよね?』

「ええ、金髪の……あの子かな」

『じゃあよろしくね~~』


 ラフなやり取りを交わしすぐに電話が切れる。バイト二日目の高校生に対して期待値が高過ぎるのは気のせいでは無かろう。


 もっとこう、段階を経て知り合わせて欲しい。だって仕事云々を差し引いても、初対面の女の子と仲良くならなきゃいけないんだろ。難易度ハード過ぎるって。



 で、噂のルビーちゃん。すぐに見つかった。公園の木の影からジッとこちらの様子を窺っているのだ。長く美しい金髪が風で揺れ動き、まるで隠れられていない。


 彼女の気持ちも推して知るべし。関根館長や有希ママも俺の風貌や人となりはある程度伝えているとは思うが、聞いたら聞いたで恐怖を倍増させるだけだろう。無駄に背が高くて目付きの悪い癖っ毛の男子高校生だぞ。俺だって怖いわ。


 ファビアンを筆頭に小さな子たちからは「サッカーが上手い」という一点である程度の信頼を得られたが、女子高生相手にサッカーのスキルを誇示したところで。瑞希とノノしか食い付かねえよ。



『こんにちは。君がルビーちゃん?』

『……ッ!!』


 すぐ近くまで歩み寄り、なるだけ優しい声色で問い掛ける。ルビーちゃんは木陰に身を潜めたまま顔を見せず大袈裟に頷くばかり。



『館長か早坂さんから聞いたかな。俺のこと』

『…………Un poquitoちょっとだけ……』

『俺は……あー、じゃああだ名で呼んで貰おうか。ヒロ、でどう?』

『…………Hiro……?』


 ルビーもあだ名って聞いたからな。本名教えたところで覚えるのに時間掛かるだろうし。まぁ適当である。


 何故に瑞希が使っている「ハル」を提案しなかったのかというと、自分以外に同じ呼び名を使っている子がいたら怒りそうだなと、ちょっとだけ思ったからである。別に知られなきゃなんてことない話だが。



『……話せるの?』

『少しだけな。聞いたら君と年が近くて話せる奴が俺しか居ないみたいで……ごめんな、怖いよなこんなおっかない顔した男じゃ』

『…………上手いね』

『そうか? ありがと』


 まだ若干怯えている様子だが、どうにか会話だけは成り立っている。木陰から覗いた瞳は、思いのほか流暢と思われたスペイン語にかなり驚いているようだった。



『…………貴方も、仕事で来たの?』

『そりゃ勿論。でもそれより……君と仲良くなりに来たんだよ。何故か分からないけど、最近スペイン人の友達が欲しくて欲しくて仕方なくてさ』

『……なにそれ。変なの』


 疑い深そうなジト目を木陰から突き刺す。

 確かに今のは無かった。ナンパだわただの。


 それにしても、結構訛りが強いんだな。俺の勉強して来たスペイン語とはちょっと違うような気もする。でもスペイン語ってそもそも訛りとかあったっけ。


 …………いや、そうか。この感覚……もしかして、この子の出身。分かったかも。



『育ちはバレンシア?』

『……ッ!? ど、どうして……!?』

『前に世話になったスペイン人がそこの出身でな。ちょっと耳馴染みがあったんだ。あー、そうかそういうことか……だから話が微妙に噛み合わなかったんだな』


 驚いたように目を見開き、陰からピョンと飛び出して来たルビーちゃん。ようやく顔と全体像を確認することが出来た。


 写真で見た通りパッチリと開いた大きな瞳に、外国人特有の小高いスッとした鼻先。でもちょっと幼さが残っていて。

 美人というよりかは可愛い系だろうか。不思議の国のアリスがそのまま絵本から飛び出て来たような、非常に完成度の高い美少女である。


 小柄だけど出るところとは出ていてスタイルも良い……同じラテンの血を引いてこうも差が出るか。いや別に、瑞希の話とかしてないけど。全然。



『……ちゃんと理解してくれた人、貴方が初めて。みんな綺麗なスペイン語しか話せないから、私の言いたいこと、あんまり伝わらなくて……』

『そうか……そりゃ大変だったな』


 スペイン語と一口に言っても実は色々と種類があって。厳密に言うと、ルビーちゃんが話しているのはカタルーニャ語の派生であるバレンシア語なのだ。


 いや、この言い方もちょっと違うか。カタルーニャ語はあくまで形が似てるってだけでスペイン語とは非なるものだから……バルサファンに怒られるからこの話は程々にしておこう。



 要するに、彼女の話す言語を理解するにはちょっと特殊な勉強が必要なのだ。これに関しては俺もラッキーだった。

 トラショーラスがバレンシア出身の人だから、彼がセレゾンの監督に就任すると決まったとき少しだけ勉強したんだよな。こんなところで活きて来るとは。


 スペイン語とカタルーニャ語(バレンシア語)は85パーセントほど共通項があって、互いに全く理解出来ないわけではないらしいが、ニュアンスに微妙なズレがあるのだとか。なるほど、施設の人もルビーちゃんも話し辛かったんだろうな。



『じゃあ、改めてよろしく。歳も一つしか違わないみたいだし、ルビーで良いか?』

『うん、よろしくね、ヒロ……! 凄いっ、凄いよヒロ! わたし、日本に来てこんなにお話が出来たの、貴方が初めてっ! すっごく嬉しい!』


 先ほどまでの警戒ぶりが嘘のように満開の笑顔を咲かせ、感動のあまり胸元で手を重ねるルビー。


 別に引っ込み思案でも大人しいわけでも無くて、言語が通じないから塞ぎ込んでいただけなんだな。この眩しい笑顔が示すように、本当は明るくて快活な子なんだ。



『ねえヒロ。貴方のこと、もっと知りたい。どうしてそんなにバレンシア語が上手なの? あと、その変な髪型は何かこだわりが?』

『いやこれ自前だから。天然だから。かといってパーマってわけでもないから』

『ねえねえ、一緒にお散歩しましょ? わたしずっと、この公園を友達とおしゃべりしながら歩くのが夢だったの! 行きましょうヒロっ!』

『いやちょっと話聞い』

『もうっ、ゆっくりしないの! 貴方、私のサポーターなんでしょ! ちゃんと付き合ってくれないと、許さないよ!』


 強引に手を引いて園内の遊歩道を突き進むルビー。これは……当初の予定とはまた違った角度で悩まされることになりそうだ。



(それにしても……)


 この元気な可愛らしい後ろ姿。

 やっぱりあの子に似てるよなぁ……。


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