519. 大人っぽい
『月曜大事な話あるから』
『絶対空けといて』
(こっわ……)
日付は変わって日曜日。愛莉から送られた僅か二文に慄きながらも、向かうは昨日とほぼ同じ地域の観光スポット。待ち合わせ場所も時間も有希のご指名である。
今日は今日で有希のことを考えてやらねばならないが、頭の片隅へ追いやるにも憚られた。この様子だと、真琴は昨日の出来事を愛莉に教えてしまったらしい。
どこまで尾ひれが付いているのかは分からないが、普段のスタンプで溢れたトーク欄とは違う簡潔さに浮気バレでもしたかと嫌な汗も流れる。
あながち間違っちゃいないというか、彼女の妹に手を出したと考えたら愛莉の怒りも真っ当に思えないこともないが。
地上までの長い長いエスカレーターがさながら天国への階段のようで。若しくは地獄かも分からないが、また一つ罪を重ねようとしていることだけは確実だ。
(分からん……)
よりによって真琴が相手だから怒っているのか。それとも単純に、俺たちを取り巻く環境そのものが不満なのか。或いは俺の早とちりなのか。
俺とて誰彼構わずではなく、必要に駆られての現状なのだ。関わりを持つすべての女性となし崩し的な形に落ち着いているわけではない。現に日比野やレイさんみたいな存在だって居るわけで。
(今更悩みたかねえなぁ……)
別れ際のコンタクトをやや失敗してしまったのもネガティブな感情に拍車を掛ける要因だろう。そもそもコミュニケーション能力に乏しいのだから、今までが順調過ぎただけという可能性もある。
何が辛いって、今日も異なる相手と逢瀬を重ね、似たような苦しみを味わうのが目に見えているのだ。まったく、次から次へと悩みが溢れては忙しない。一発逆転の分かりやすい回答が転がっていないものか。
「ほー……」
エスカレーターを数本乗り継ぎ到着したのは、市内全域とすぐ近くの港を見渡せる小高い丘に作られた遊歩道だった。
昨日よりかは暖かい気候のおかげか、周囲一帯に広がる花々の蕾も浮足立って軽々に幹を揺らしている。開花にはまだ少し時間が掛かりそうだが。
「廣瀬さーん!」
脇のベンチに座っていた有希が駆け寄って来る。昨日の真琴にも劣らず、温かそうなモコモコのアウターにネイビーブルーのワンピース。男女二人で出掛けると身体全身で表現しているというか、デートの具現化とでも言うべきか。
「お待たせ」
「どうですかっ? ママに選んで貰ったんです!」
「いつもより大人っぽい感じやな」
「ほんとですかっ! まさにそこがポイントなんです! ニューバージョンですよ!」
機能性皆無のちっこいバッグを小脇に抱えクルリと一回転。その反応こそいかにも子どもらしいというか、やっぱり有希は有希だなと一人納得するところ。
「で、どこ行くん」
「決めてません!」
「なんやそれ。帰るわ」
「わわわっ!? じ、冗談ですよっ!? あぁでも、全部嘘ってわけでもなくて……とっ、とにかく帰っちゃダメです!」
茶化し半分に背を向けると、慌ててすっからかんの右腕を強く掴まれる。嘘ではないという発言の真意を問い質すまでもなく、コホンと咳ばらいを一つを挟み。
「今日は、何も決めないのが目標です!」
「どういうこっちゃ?」
「なんとなくブラブラ歩いて、気になったところに行くっていう、そういうことです。なんだか大人っぽいと思いませんかっ?」
「そんなもんかねぇ……」
むしろ大人たるものキッチリ計画を立てて滞りなくデートを進めるものだと思うのだが。有希曰くこれが大人らしさであるらしい。
そもそも今日はデートである以前に有希へのご褒美なのだから、俺がプランニングへ文句を言う筋合いも無いのだけれど。ちょっとだけ不安。
「さあ、行きましょう! 少し歩いたところに景色の良い公園があるんです! 下調べはバッチリですよ!」
「結局行き先決まっとるやんけ」
当たり前のように手を引かれ、坂道の遊歩道を意気揚々と突き進む有希の後を追うのであった。絶妙に目線が重ならない辺り、勢いに任せてだいぶ無理をしている内情が窺えないことも無いが。わざわざ口に出すのも野暮か。
別に大人っぽくならなくても、こういう肝心なところで強引な性格も何の気なしに振り回して来るところも、有希らしくて気に入ってるんだけどな。まぁ好きなようにさせてみよう。
昨日の復習だなんて気の遣えないことは言わないけれど。今回ばかりは有希のおかげで、また一つヒントを掴めそうな。そんな予感もある。
数分ほど坂を上って辿り着いたのは、気持ちイギリス風味のゴシックな建物が立ち並ぶ庭園であった。港を一望できるビューポイントを中心にこの季節でも多くの人出で賑わっている。心なしか外国人が多いな。
季節折々のバラや草花に囲まれた、散歩と景色以外にこれといって楽しみの無い若者にはやや退屈な空間だ。が、有希の思い描く「大人っぽいデート」にはこの上なく最適な環境のようにも思える。
「……くしゅんっ!」
「ほい。ティッシュ」
「すっ、すみません。えへへっ……」
とはいえ予定通りに事の進まないのが世の中の常。始めのうちは「なんだかいい雰囲気です!」とかそれっぽいことを言って凌いでいた有希だが、剥き出しの膝下から競り上げる寒風には抗えないようで。
釣られて口数も少しずつ減って来ていた。まぁ仕方のないことだ、一介の女子中学生に過ぎぬ彼女に花々の移ろいを楽しむ感受性が備わっているかは疑問符が付くし、俺とて似たような存在である。
ここは一つ、分かりやすいイベントで場を繋ぐしかない。どうせ使うのは決定事項だったのだから、少しタイミングが早まっただけだ。
「あれ? 一眼レフですか?」
「買った」
「なんだか、本物の写真家さんみたいですっ」
「そこの噴水まで行ってみな」
「わっ、撮ってくれるんですか?」
特に抵抗も見せず階段を駆け降りる。色とりどりの草花に囲まれた小規模な噴水の中心で、これといってポーズは取らず少し気恥ずかしそうに立ち尽くす彼女。
構図と言いファッションと言い、撮り手の実力を選ばない完璧なシチュエーションだ。真琴とはまた違った良さというか、趣のような何かを感じひん。分からんが。
数枚ほど収めカメラを手放すが、有希はまだ噴水のど真ん中に立ち尽くしている。そろそろ戻って来た方が良いのでは。だってあれ、定期的に地面から噴き出すタイプのやつじゃ……。
「ひゃあああアっ!?」
「あらまぁ」
懸念通り既定のタイミングが訪れ、ピュピュっと冷たい水が地面から噴き出し彼女へ襲い掛かる。慌てて階段を駆け上がるが、スカートが少し濡れてしまったようだ。昨日に続いて水難が続くな。
「ひぃぃーん! 濡れちゃいましたぁ……っ!」
「あーあー。ほら、こっち向け。拭いたるから」
「しゅ、しゅみませんっ……ひくシュっ!」
顔回りに付いた水滴をハンカチで拭き取る。生足へダイレクトに掛かったようで、膝もブルブルと震えていた。この時期に冷水直浴びは辛すぎる。昨日の俺が身を持って証明しよう。
「ったく、大人っぽさの欠片もねえな」
「うぅっ……上手く行かないですっ……」
そもそも真冬に訪れる類のスポットではなかったと言えばそれまでかも分からんけれども。取りあえず暖かい場所に移動した方が良さそうだな。
「メシは?」
「あー、その……お昼はお家で……」
申し訳なさそうに苦笑い。なんだよ、仮にもデートなら昼食もプランに入れとけや。詰めが甘いわ。
公園を出てどこか腰を下ろせる場所は無いかとあちこち見回すと、すぐ先にやたら西洋チックなレンガ造りの建物が目に入る。
ミュージアムか何かだろうか。まぁ室内は暖かいだろうし、博物館ってのもいかにも大人っぽくて悪くない妙案だ。
「すみませーん! いまお暇してますかー!」
「えっ。あ、はい。なんすか」
「今から一階の劇場で舞台やるんですよー! チケット激安なんで良かったら!」
同い年か少し上くらいの若い男性に声を掛けられる。私服や仕事着と言い張るには貧相というか、少し野暮ったい恰好だ。彼も演者なのだろうか。
「だってさ。どうする?」
「……みっ、観たいです! 観劇! 大人っぽい!」
望外の誘いに目を輝かせる有希。
今日の行動規範全部それかよ。ええけど。
「あと15分くらいで始まるんで! 案内しますね!」
「良いんすかこんなところほっつき歩いとって」
「最後の一服っす! 館内禁煙なんで!」
「はぁ……」
胸ポケットの煙草をチラつかせながら先を急ぐ若い男性。この感じだとそこまで本格的な舞台では無さそうだな……まぁ暇潰しにはちょうど良いか。
「行きましょう! 廣瀬さん!」
「はいはい」
スカートから浸り落ちる水滴を全部拭き取ってからな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます