520. 中華まんならセーフだと思います


 案内されるがまま客席へ。チケット代は一人1,000円。相場が分からないが、昨日のフットサルの試合よりかはだいぶ安い。

 劇場といってもこじんまりとしたもので、ステージは横に並んで10人立てるとかという狭さ。客席もパイプ椅子を並べただけの簡素なものだ。


 でも、ほぼ満員だな。意外と人気のある劇団なのだろうか。流れで来ちゃったけど、事前情報無しに観劇って結構シンドイかも分からん。



「ほーん……」


 薄暗い照明に負けじと受付で貰ったパンフレットを読み耽る。シェイクスピアの戯曲専門の劇団で、今日の演目はヴェニスの商人……あれ、これってもしかして。



「ノノがやってたのか」

「へっ?」

「あれや、文化祭のクラス発表でノノが……あぁそっか、見てないんだっけ」

「誘ってもらったやつですよね……ごめんなさい、峯岸先生とずーっとお喋りしてたら時間になっちゃってて……」


 あのときは確か進路相談会に行くとかなんとかで、有希とは合流しなかったんだよな。まだ真琴と面識さえ無かった頃だ。


 ノノのクラス発表は一緒に観劇した比奈曰く面白おかしく改変していると言っていたから、彼らのは原作に沿ったモノなんだろう。意外な収穫だ、ちょっと楽しみ。



「どんなお話なんですか?」

「えーっと、金貸しが主人公の親友の肉片を切り取ろうとして……」

「ひぃっ!? ほっ、ホラーですか!?」

「いやそうじゃなくて……」


 説明し切る前に開演を告げるブザーが鳴り響き舞台は暗転。観劇中の諸注意もそこそこに本編が始まる。



(……あれ……?)


 三人の男性演者が現れる。確か主人公のバサーニオと、その親友のアントーニオ。もう一人はバサーニオと一緒に求婚しに行くグラシアーノだっけ。


 ここまではノノのクラス発表と同じなのだが。何が違和感って、台詞が日本語じゃないのだ。演者は皆日本人の筈だが、流暢なイギリス英語で次々と話が進んでいく。



「ひ、廣瀬さんっ……!」

「原語上演みたいやな……」

「英語なんて分かんないですよぉ……!?」


 舞台の邪魔にならないよう限界までボリュームを下げ涙目で訴える。さっき建物の前で話し掛けて来た若い演者も当たり前のように英語の台詞を操っているし……もしかしてこれ、予想よりずっと本格的なやつだった?



(硬直している……)


 大人っぽいを体現する理想的な時間となる筈が、台詞の一つさえ聞き取れない有希は口をポッカリ空けたまま微動だにしない。


 演者の小粋な台詞回しに客席からは笑いが溢れる。うわぁ、理解出来てないの有希だけか。可哀そうに。


 かく言う俺も語学の勉強をしていなかったら完全に除け者だったな……とはいえ幸いなことに英語自体は聞き取りやすい部類だから、耳馴染みが無くても理解出来る単語やフレーズも多いし。有希だって受験生なのだからこれくらい頑張れば……。



「ほら有希、パンフレットに説明載ってるからそれを読めば多少は……」

「……………………」

(駄目だったか……)


 返事が無い。ただの屍のようだ。


 いやもう、良いや。有希のフォローはあとで散々してやるとして、せっかく2,000円も払ったんだから素直に楽しんでおこう。普通に面白いし。


 うわぁ、シャイロック役の人めちゃくちゃオジサンだ。ノノの奴、よくあのサンタみたいなコスプレで乗り切ったな……おぉっ、中々に凄みのある……なるほど、この辺りでユダヤ人の扱いに関する説明とバサーニオとの確執が……ふむふむ……。




*     *     *     *




 結論から言うと、普通に面白かった。ヒロイン役の女性は世界中から求婚を受けているという設定通り非常に綺麗な人だったし、最後の人肉裁判もノノのクラス発表には無かった緊張感に包まれ、文字通り手に汗握る展開に時間を忘れ没頭してしまった。


 台詞忘れなどのミスも一切見受けられず、カーテンコールでは演者たちへ惜しみない拍手が送られる。激安とはいえチケット代を取るだけの、プロとしての矜持を感じる舞台だったな。



「有希、終わったぞ。起きろ」

「……はぇっ?」

「涎、垂れてるぞ」

「…………むむぅっ!?」


 慌てて袖口で涎を拭き取り、周囲の反応を機敏に察知したのか空回りの拍手を叩き送る。今更通用しないよ。多分ステージから寝てたのバレバレだったからな。



「十分休めたろ。はよ出ようぜ」

「なっ!? いっ、いやいや! むしろ集中し過ぎて疲れちゃったくらいですよ!?」

「ええから、ほら」


 強引に腕を掴んでそさくさと席を立ち会場から離れる。本編のあとは演者によるアフタートークなるものがあるらしく、感想でも求められようものなら有希の命はあと10分も持たない。さっさと身を引くのが正解だ。



「……おっ、面白かったですね!!」

「アホ抜かせ。30分で寝た癖しよって」

「……どれくらい寝てました?」

「一時間半。ガッツリ」

「あ、あははははっ……」


 薄気味悪い乾いた笑みと共にその場へ蹲る。

 目標とする「大人っぽい」から外れるどころか、仮にも想い人の前で無防備なだらしない寝顔を晒してしまったわけだからな……。



「うぅ……どうしてこんなことにぃ……」

「ま、まぁそう落ち込むなよ。英語の舞台なんいきなり見せられたらお前やなくてもああなるて」

「私以外そうじゃないから困ってるんじゃないですかぁっ! どうして廣瀬さんは当たり前のように理解出来ちゃうんですか!?」

「いやまぁ勉強しとったし……」

「理不尽ですよぉ……っ!!」


 こればかりは落ち込んでしまうのも致し方ないところ。なんだろう、別に有希じゃなくても予想出来た展開なんだけど、今日に限っては彼女にとって都合の悪い方というか、面白い方向に転がってしまうな。



「ほら。気を取り直して他のところにでも行こうぜ。こっから中華街って歩いて行けるんやろ。なんか適当に食べようや。なっ」

「……た、食べ歩き……!?」

「好きやろそういうの」

「それは、そのっ、そうなんですけどっ……うぅっ、今日はそういうのはしないって決めてたのに……で、でもぉっ……!」


 何やら頭を抱え一人葛藤している。あんまりそういうことするな。これ以上面白くなっちゃったらデートとして機能しないから。



「別に背伸びせんでもええて。お前が可愛いのはとっくに知っとるけ、今更大人ぶったってそう変わりゃしねえよ」

「…………でも、なりたいんです」

「大人っぽく?」

「だって廣瀬さん、結局ずーっと私のこと子ども扱いじゃないですかぁ……! もっとフットサル部の皆さんみたいに大人っぽくなれたら、そのっ……ちゃんと私のことも考えてくれるかなって……ひっ、廣瀬さんが悪いんですっ!」

「逆ギレかよ……」


 思わずカウンターにこちらも頭を抱えたくなるが、彼女の言い分も思いのほか的確で無神経な一言を突き返すにも躊躇われる。



(もう半年も経つんだよな……)


 最初に想いを伝えてくれたのは他ならぬ有希であるが、それをキッカケに俺自身の考え方はともかく、彼女との関係性はあまり変化していない。


 特にここ最近は受験勉強に集中させようとして、余計な口出しはしないようにしていたからな……その辺り彼女も不満だったのだろう。


 彼女が執拗に「大人っぽさ」へ拘るのも、ロクに相手しようとしない俺の気を少しでも惹くためなのか。だとしたら、今の言い方はちょっと優しくなかったな。



「なら食べ歩きは二の次で、理由も無く適当に街中ほっつき歩くか。なんか食いたいなら買えばええやん。別に大人は買い食いしないとかそんなルール無いで」

「……そ、そうなんですか?」

「お前がやりたいようやってれば勝手に大人っぽくなるよ。ほら、行こうぜ」

「……わっ、分かりました!」


 当面の歩き回る元気は補充されたようだ。何の気なしに右手を掴んで来る辺り本当に変わる気があるのか怪しいところだが。

 まぁ指摘しなければどうということは無い、彼女らしさを失ってまで大人を求めても俺が楽しくないのだから。



(ムズイなぁ……)


 俺が彼女たちに求めるモノはいつだって同じなのだけれど、皆が俺へ求めるモノは一人ずつ違って。余計な心配と悩みばかりが増えていく。


 まぁ、あれか。別に大枠で囲う必要は無くて、そもそも一対一の対話なんだよな。気付かぬ間にいっつも忘れそうになってしまう。


 要するに「人の気持ちを理解し切るのは難しい」「恋愛は難しい」ということをザックリ言いたいのだが、今の俺にそれを言う権利があるのか。はぁ、悩みが尽きん。



「タピオカはちょっと子どもっぽいかも……あっ、中華まん……中華まんですっ! 廣瀬さん、中華まんならセーフだと思いますっ!」

「基準どこやねん」

「スイーツじゃなくて主食だからですっ!」

「中身が甘かったらどうすんねん」

「…………ビデオ判定です!」

「ごめん意味分からん」


 加えてお前相手だと尚更大変だよ。

 それ故、また棚上げになるんだけど。


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