518. ホント危機感無いね
「降りて来ないわねえ」
「ご飯食べて来たんじゃないの?」
「そうなのかしら」
二人の母、愛華が久々に日勤のみで仕事を終え帰宅したこともあり、家族三人揃っての晩食が執り行われるかと思いきや。
帰宅早々ロクに顔も出さず自室へ飛び込んでしまった真琴は、二人が大方の食事を片付けてもリビングへ姿を現そうとしない。
「陽翔くんと何かあったのかしら」
「さぁ……」
喧嘩したのなら愚痴の一つでも言いに来るわよねえ。とそれほど心配した素振りも見せない母を横目に、愛莉は席を立ち食器を片付け始める。
(怪しい……)
昨日、比奈を誘ってアウトレットへ二人きりで買い物に出かけた時点で愛莉は相当怪しんでいた。
今朝にしても足早に自宅を出て行ったが、恐らく新調したばかりと思われる見慣れない装いに疑いは深まるばかり。
一方、ある意味で愛莉の想像は的中しており、それ以上の発展には至らなかった。珍しく女性らしい出で立ちも、真琴の洒落込んだ姿を見たがっていた比奈の入れ知恵に過ぎないとさえ考えていた。
自分の知らないところで兄さんなんて呼び名を使わせている「アイツ」のことだ。どうせまたちょっかいを掛けて妹を困らせたのだろう。
だが逆に言えば、それこそが愛莉の想像し得る限界で。故の苦しみに、彼女はまだ気付く気配も無い。
「ちょっと様子見て来る」
「お風呂沸いてるからそれも伝えておいてー」
後片付けを終え愛莉は早足で階段を駆け上がる。真琴の部屋は愛莉の一つ手前にあって、基本的に鍵は掛けられていない。
ドアを開けると、電気も付けずベッドでうつ伏せになっている真琴を発見した。着替えもしていないようだ。
「ご飯、食べないの?」
「……あと五秒」
「別に無理して食べろとは言わないけどさ」
「…………はぁー……うん。おっけー。だいぶ落ち着いて来た……」
「いや、なにが?」
釈然としない態度を続ける真琴に、愛莉は眉をひん曲げ首を傾げる。帰宅時間を教えられていなかった愛莉は、勿論自宅の目の前で起こったセンセーショナルな出来事など知る由もなく。
「なに? アイツに変なことでもされた?」
「…………された、かも」
「はっ!?」
慌てふためく愛莉を尻目に寝返りを打ち厚手の布団を抱え込むと、僅かに漏れた隙間から覗き込むように様子を窺う。
「ホント尊敬するよ……あんなのと年がら年中やり合ってるとか、メンタル持たないって……」
「ちょっと、何されたってのよ!? 教えなさいってば!」
「言わないよ。姉さんには」
「私だからこそ言いなさいよっ!」
「……姉さんだから、だよ」
むくりと身体を起こし、言葉の意味を理解出来ないままの愛莉へジットリとした視線を送る真琴。
彼女の身体を一瞥するようにグルリと見渡す。自ずと答えを導いたと言わんばかりに大きなため息を漏らし肩を落とした。
「やっぱズルいよな……性格だけなら自分と大して変わらないってのに……」
「……え、なに?」
「おっぱい半分くらい分けてくれない?」
「いや、無茶言わないでよ……」
布団と絡まり合い皺くちゃになった一張羅の胸元を掴み、グーとパーで交互に握り続ける。愛莉にあって真琴に無いもの。性格、造形共に双璧を成す姉妹を見分ける数少ない方法を自ら証明し、真琴は更に深く肩を落とすのであった。
「で……何をそんなに落ち込んでるわけ?」
「告白した」
「…………はっ!?」
「全部喋った。こんな日に伝えるつもり無かったけど……流れでっていうか」
「いっ、いやいやいやっ!? ちょっ、は、ハァっ!? 急になに!? 告白もなんも初耳なんだけど……ッ!?」
「まぁ、言ってないし」
飄々と答える真琴に影響を受けるどころか、ますます混乱を極め冷静さを失う愛莉。驚きのあまり後退りを続け、背中をドアへ思いっきり打ち付ける。
リアクション芸にしても大袈裟だと半笑いでその様子を眺めていた真琴。おかげで少し冷静になれたのか、腹の底から捻り出したような鈍い声色でこのように語る。
「こんなつもりじゃ無かったんだけどなぁ……全然、今のままでも良かったのにさ。やっぱ駄目だね。あの人に隠し事は出来ないや」
「…………い、いつから……?」
「さあ。セレクションのときか、それより前か……覚えてないよ。それに、自分もずっと勘違いしてたんだと思う」
「……勘違い?」
首を傾げた愛莉に、真琴は枕もとのスマートフォンを手に取りメッセージアプリを開いて今日までの彼とのやり取りを眺め返す。
彼女にしても今このタイミングでようやく気付けたことがある。いつの日か顔文字の使い方を追及され「感情が分かりやすいから」なんて説明してはみたが。実のところSNSの使い方は淡白なものだ。自分から連絡を送ることだって滅多に無い。
少しでも可愛いと思ってもらいたくて。気に掛けて欲しくて。慣れないことを繰り返して、背伸びして。
どれだけ言い訳しようにも、履歴に残された幾多の残骸が奥底で燻っていた想いと浅はかさを物語るのだ。
「兄貴役なんて必要無かったんだ。姉さんだけでも十分だし、困ってないし。かといって、自分がどういう人間かで悩んでるとか、別にそういうわけでもなかった」
「誰でも良かったんだ。自分をちゃんと見てくれる、認めてくれる人なら、誰でも。それが偶々あの人だっただけ…………でも、そうなっちゃったものはもう仕方ないんだよ。盲目だなんだって、姉さんのことも、有希のことも笑えないんだ」
「なんかもう、トントン拍子なんだよね。余計なことを考えなくなったら、ビックリするくらい分かりやすいっていうか、素直になっちゃったんだ。正直になれちゃったんだよね…………ホント、単純だよ」
一度認めてしまえば、あとは予想していたよりもずっと楽な気分だった。誰よりも信頼を置いているたった一人の姉と親友。二人に一切の後ろめたさが無いと言えば、それはきっと嘘になってしまうのだろうが。
けれど、そんな葛藤さえも飛び越えて「あの人」は提示してくれた。家族だなんだと大きな枠で括ったところで、結局は一人の一人の対話に他ならなくて。
少なくとも彼が自分を認め、受け入れてくれるのなら。それ以上は何もいらないと、心から想えるようになったのだ。
「……好き、なんだ。アイツのこと」
「うん。ごめん姉さん」
「いやっ、その……別にアンタが誰を好きになろうと自由だけどさ…………本当にアイツで良いわけ……?」
「なんで?」
「なんでって……私が言うのもなんだけど、結構面倒くさい奴っていうか、その…………たぶん大変なことの方が多いっていうか……」
言い淀む愛莉の姿に、真琴は表しようの無い奇妙な高揚感に襲われた。
姉妹の間柄に勝ち負けも無いのだが、いつも背中を追い掛けて来た姉に初めて優位に立っているような、そんな気がして。
「それってあれでしょ。自分に追い越されるのが怖いから、ライバル増やしたくないってことでしょ」
「なっ……!? ちっ、違うわよッ!? それじゃまるで私がアイツのこと……!」
「いやもう良いってそういうの。メチャクチャ滑稽だからやめた方がいいよ」
「こっ、滑稽!?」
「誰よりも特別扱いされてる癖に、よくもまぁ自分はまだとか言えるよね。有希と先輩たちに失礼だし、何よりあの人が可哀そうだと思わない?」
「…………お、仰る通りです……っ」
ガックリと項垂れる愛莉に呆れた笑みを浮かべると、再び身体をベッドへ投げ出し真っ暗な天井を見据え直す。
今更分かり切った話だ。自分と姉とでは、明らかに超えられない壁が幾つもある。姉一人に限った話ではない。出遅れてしまったのは確かな事実だ。
(でも、負けたくない)
彼は言った。
可愛い姿は自分だけに見せろ。
自分だけが独占したいのだと。
ならば、同じだけのモノを求めたって許されるはずだ。彼が認めてくれた自分らしさを。自分にしか持ち合わせていないものを、本気で信じることが出来たなら。
「……悪いけど、そんな調子でいるなら自分が全部持ってくから。可哀想な姉さん。あの人にまで姉扱いされるなんて。いや、正確には「お義姉さん」か」
「だっ、誰がアイツの姉なんかなるかっ!」
「だったらシャキッとしなよ。ホント危機感無いね。あの人にはフットサル部のみんなが必要だけど、一番は一人で十分でしょ?」
あまりの変容ぶりに震える姉に、いよいよ真琴も笑いを堪えるのも馬鹿らしくなって。カラカラと声を挙げ起き上がると、立ち尽くす愛莉を置いて廊下へと出る。
「ご飯、やっぱ食べる。お風呂先に入れば? 次に逢うときのために、隅々まで綺麗にしておいたほうが良いんじゃないっ!」
「まっ、真琴ぉっ……!」
「明日は有希とデートらしいけどね! 口惜しかったら邪魔でもしてみれば!」
悪戯な笑みを残し一階へ駆け下りる。残された愛莉の不安と焦燥に満ちた沈黙を埋めるものは、今日この場に限ってはなに一つ用意されていない。
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