517. 民事不介入
安物のジーンズなど探すまでもなく変わりは見つかるもので、歩いて数分のショッピングモールの一角でお使いを頼み新品を買って来て貰った。流石にずぶ濡れのまま室内には入れないし。
真琴の選んで来たのは量販店のなかでも一際安い色気の無い代物で、普段の彼女がどれだけお洒落やコーディネートに疎いか証明しているようだった。おかげで昂り過ぎた何かを収める一助となったと言えばあながち嘘でもなかったが。
太陽が顔を出したのはほんの気紛れだったようで、すぐさま真冬の厳しい寒さに逆戻り。大人しく帰路に着くのだが、途中の電車内でも口を閉ざしたままの彼女。
曰く「暫く一人で居たら逆にシンドくなって来た」とのことで。気持ちを汲み取ろうにも座席に座り彼女はジッと俯いたまま、長瀬家の最寄り駅までの短い時間をやり過ごす。
こんな拙い距離感の方がよっぽど男女らしいとは思うが、存外にも汐らしい態度に俺まで感化されてしまいそうで。普段の生活では早々味わえない瑞々しい空気に少しやられていたということだけは明記しておこう。
「……呼び方、変えようかな」
「えっ?」
「意識の問題っていうか……せっかく伝えちゃったんだから、こういうところから頑張らないといけないのかなって……まぁ、気にしないなら良いケド」
改札を潜り長瀬家への短い道中、真琴はそんなことを言い出す。向かい方を改める決意を固めた一方、兄さん呼びを続けて良いものか悩んでいるらしい。
これに関しては何とも言い難いところであった。人前で使うなとか散々言って来たけれど、意外と気に入ってはいるんだよな。
「まぁ、無理に変えんでもええんちゃう。お前が必要とするなら兄貴役だって続けてやるよ。プラスに捉えるっつうか」
「……どういうこと?」
「お前にしか許されねえ特権みたいなモンやろ。俺も結構、お前に兄さん呼ばれるの嬉しいからさ」
「……じゃあ、そのままにする」
多少関係性に変化があったとしても、根本的に求めている部分は俺も真琴も似たようなものだ。そこまで否定し切るのは惜しいと思う。
本気で変えたくなったのならそうすれば良い。どこかホッとしたように息を漏らし僅かに微笑む彼女の姿は、決して間違ったアプローチでない証左の筈だ。
「……手、繋いでいい?」
「なんやねんお前。馬鹿可愛いな」
「や、やめてってそういうの……っ!」
誤魔化すように強く握られた左手から羞恥心まるごと伝って来てこちらも冷静ではいられない。言葉で濁し行動で実を取る賢明さ、長瀬家の揺るぎない血の繋がりというか、ポリシーみたいなものが脈々と受け継がれている。そんな気がする。
なんというか、割と浮かれている。
ここ最近のアイツらとは言葉に表さなくとも伝わる何かがあって、それはそれで心地良いものなのだが。
真琴との間に漂う「どこまで許されるのか」或いは「何が許されないのか」みたいな駆け引きは随分とご無沙汰というか、実際のところロクに経験が無くて。
恋愛ってこういうものなのかな、とか曖昧なことを考えている。足早に答えを求めたがる性分だが、この甘酸っぱい温もりもまた何物にも代え難いところで。きっと真琴相手でないと味わえない何かがあるのだろうと、なんとなくそう思った。
「……な、なに?」
「いや。可愛いなって」
「だっ、だから……急にそういうのさ……!」
「いやあ。先入観って恐ろしいモンでな。本気でお前が男やって思い込んでた自分が信じられなくて」
「それは……まぁ、こっちにも原因あるし……」
服装に関わらず、今の彼女を男だと勘違いすることは無いだろう。気のせいかも分からないけれど、この半年で彼女はずっと女らしくなったように見える。
恋が女を磨く、なんて今どき少女漫画でもお目に掛かれない安い動機付けだが。無碍に扱おうにも実例を目の当たりにし過ぎた手前、あまり大きなことは言えない今日この頃。
「ホントにさ……慣れてないんだよ。可愛いとか言われるの……そういうのは姉さんとか有希の特権だし……」
「今更やけど、よう有希と仲良くなれたよな。似たようなとこもあるっちゃあるけど、普通に生活しとったらまず関わらないタイプやろアイツ」
「……自分から声掛けたんだよ。憧れに近かったっていうか……一緒にいたら自分もあんな風になれるのかなって。まぁ、こんなに仲良くなるとは思ってなかったけど」
「可愛くなりたい願望はあるんやな」
「……反動みたいなものだよ」
照れくさそうに頬を引っ掻く。
続いてこのように語り出した。
「……姉さんみたいになりたかったんだ。メチャクチャ綺麗で可愛いのに、いざってときは男より男らしくて、頼りになって……」
「男っぽく寄せてたのもか」
「そう、だね……まぁでも、自分のせいでもあるんだよ。女扱いされるとなんかむず痒くて、楽な方に流れて行ったっていうか……カッコいい、男らしいって言われるのも嫌いじゃない……っていうか、割と気に入ってはいるんだけど……」
なるほど。女らしさへの憧れはずっと持ち合わせていたんだな。だから有希のような可愛いの権化みたいな子に自ら近付いたのか。
愛莉を模倣して過ごして来たのなら女らしさから離れていくのも仕方ないな……アイツも女っぽい要素はほぼほぼ無自覚というか、生まれ持った才能だけでどうにか取り繕っている節はあるし。
ポテンシャル一辺倒で男を困惑させ続けているアイツが凄いというか、恵まれ過ぎているだけなのだ。これは真似しようとして出来る領域ではない。
いやでも、ポテンシャル云々の話ならお前だって負けてはいないと思うけどな。中学生相手にドキドキさせられっぱなしの俺を見てみろ。これ以上説明が必要か?
「ええよ別に。無理に女らしくならんでも」
「それ、兄さんが言うの?」
「俺だから言うんだよ。なぁ真琴。悪いんだけど、一つワガママ聞いてくれよ」
「……なに?」
「制服。やっぱ男モン買えよ。どうしても両方必要ってなら俺が出してやるから」
「……え、な、なんで?」
困惑を露わにする真琴。それもそうだ、女らしくなりたいという彼女の願望を一方的に無視した提案なのだから反応も当然である。
だから言っただろ。ワガママだって。
思い知れ、独占欲というやつを。
「その代わり俺と……フットサル部で出掛けるときは、必ずこういう恰好で居ろ」
「兄さんと?」
「お前の可愛いところなん俺らだけ分かってればええねん…………俺以外に見せるなって、そういう話だよ」
「なっ……え、えぇっ……っ!?」
「少しでも今日みたいな可愛い恰好して高校行ってみろ。お前、死ぬほど男に言い寄られるぞ。そういうの困るだろ」
「それは……そ、そうだけど……っ!」
とんでもない暴論を突き付けている自覚はある。ところがしかし、ハッキリと断ることの出来ない時点でお前の負けだ。大人しく受け入れろ。
「お前の可愛くなりたい願望は、俺がぜんぶ引き受けてやる。俺のために、俺だけのために、もっと可愛くなれよ」
長瀬家はもう目の前に見えている。歩道のど真ん中で立ち止まり、彼女の身体をグッと引き寄せた。周りに誰がいるわけでもない、居たところで気にする必要もない。
胸元に収まりわなわなと身体を震わせる真琴。見下ろした真っ白な素肌と小綺麗な顔は隈なく深紅に染まり、血管諸共爆発してしまいそうだ。
「選択肢はイエスのみや。答えろ」
「……す、凄いね……こういうこと普通に言っちゃうんだ……やば……っ」
「嫌いになったか?」
「ならない、ケド……うわぁ……こうやって女落としてくんだ……こわっ……」
「人聞き悪いこと言うな。口塞ぐぞ」
「……こっ、これ、あれでしょ? どうやってって聞いたら、問答無用でキスするんでしょ……!?」
「チッ。バレたか」
「ひいぃぃっ!?」
諸々のピークに達したのか、或いは本能で感じ取ったのか。慌てて胸元から離れ自宅玄関まで小走りで逃げ去っていく。
「だっ、駄目だからッ! あんまり舐めないでよねっ!? この程度で落ちるほどチョロくないから! 姉さんとは違うんだよッ!」
「いや言うてる時点で落ちるもなんも」
「とっ、とにかく!! そういうのはまだ早いから!! ていうか犯罪だから!! これ以上近付いたら通報するからッ!!」
「たかが二歳差やろ。民事不介入やって」
「うっ、うるさいうるさい!! マジで駄目だからっ! とにかくっ、駄目なんだからああああああああーーーーッッ!!」
…………過去一の絶叫を残し自宅へ逃げ込んでしまった。これじゃ本当に俺が犯罪者みたいだ。見た目だけならあながち間違いでもないのがなんとも。
(……やり過ぎたか……?)
おかしいな。愛莉や比奈相手ならこれくらい煩悩丸出しの方が上手く行くんだけど、何が駄目だったんだろう…………恋愛って難しいんだな……分からん……。
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