516. 短く纏めろ
縋るような瞳に鼓動は高まりを見せ、下半身の冷え込みも今となっては気にならない。発展途上のあまりに細い身体を反射的に抱き寄せると、重なる二つの心音が競り合いながら更に上昇していく。
「……ごめん。嘘吐いた……」
「嘘?」
「自分から比奈先輩に相談したんだ……二人だけで出掛けるって考えたら、いつものジャージ姿じゃ申し訳ない気持ちになって来て……」
「……そう、なのか」
「でも、本当に分からなかった。どうして兄さん相手に、こんなに気を遣わなきゃいけないんだろう、ドキドキしないといけないんだろうって……こんな気持ち、絶対に認めちゃいけないのに、許されないのに……ッ!」
その台詞が無くとも決定的だった。
真琴は。彼女はもう、自分の気持ちを偽ることが出来ない。教えて欲しいとは言ってみたものの、答えはとっくに示されていて。
比奈のおままごとに付き合わされたわけではない。彼女は自らの意思で殻を破り、正直な気持ちを。自身が本当に望んでいるモノを手に入れようとしている。
無論、この程度の施ししか与えられない俺にはここから逃げ出す権利すら持ち合わせていない。
「……覚えてる。ずっと覚えてたんだ。兄さんが本当に、自分の兄さんになって、家族になるかもしれないって……そうでなくとも、有希のおかげでずっと兄さんの傍にいられるんだって……それだけで十分だって、ホントに思ってたんだよ……っ!」
「…………真琴……っ」
「でもやっぱり違うんだ……っ! 姉さんと仲良くしてるところ見ると、イライラして、ムカムカして……有希のこと応援しようって思っても、自分に嘘を吐いているとしか思えなくて……もう、どうにもならないんだよ……ッ!」
姉譲り、若しくはそれに勝るとも劣らない整った美しい顔が、涙と焦燥でグチャグチャに掻き回されて。頬を伝う涙をもって一つの完結を迎えようとしていた。
「駄目なんだよ……優し過ぎるんだよ……っ! 自分なんて、男と勘違いされる程度のなんの可愛げもないダメダメな女なのに……なんで優しくするんだよ……可愛いとか言うんだよっ! 期待したくなっちゃうだろ!?」
「絶対に勝てっこないって、最初から分かってる! 負け戦なんだよこんなのっ! だったら弟でも妹でも、そっちの方が楽だって、そう思ってたのに! 全部ぜんぶっ、アンタのせいだッ! アンタが悪いんだっ……!!」
溢れ出る思いを塞き止める手段も見つからず、年頃のように泣き崩れる。優しい言葉さえ彼女を苦しめる一端だというのなら、俺はきっと何も言うべきではない。言える筈がなかった。
確かにそうだ。将来のこと、今現在の問題で思い悩んでいた彼女に。姉離れ出来ない彼女に道筋とヒントを与え、ケツを蹴り上げたのは俺だったのかもしれない。
だが、それだけだ。あくまで俺は彼女が望んだ通り兄と弟の役割を全うして来た筈だし、そこから一歩たりとも逸脱しているとは思わなかった。
では、どこでボタンを掛け違えたのか。
(……最初から、か)
要するに真琴も、愛莉と同様に見せかけの男らしさに憧れていただけなのだ。ただ求めていただけのものが、いつの間にか自身と同一化してしまっていて。
彼女の場合、生半可に素質があったせいで気付くのも遅れてしまった。それだけの話。誰が悪いとも、間違っているとも言えないのだ。
ならばもう、俺にやれることは一つしかなかった。相も変わらず、彼女にも似たような回答しか出来ない自分に腹が立って仕方がないが。だが、俺にしか出来ない。
「…………じゃ、兄貴らしく正しい答えとやらを教えてやるよ。その感情はたぶん、いや間違いなく…………恋心ってやつや。残念ながら」
「……だろうね。認めたくないケド」
埋めた顔を胸元から離すことさえ出来ず、耳まで真っ赤に染めてしまう。鼻を啜る音が何度も聞こえて来て、こういうところだけはやっぱりちょっと弟みたいだなとか、今更失礼にもほどがあることを考えていた。
真琴。お前だけはアイツらと違って、少し違う角度、立ち位置で俺の傍に居続けてくれると、そう思っていたんだけどな。
何だったら、もしかしたら本物の妹として、もっと気楽に付き合って行けるものだと信じていた。まさかこんなに早く裏切られるとは、困ったモンだよ。
まぁでも、この言い草からしてだいたい察して欲しい。実際のところ俺もお前と同じで、きっと嘘を吐いていたんだ。
俺だけに見せてくれた可愛らしい姿に、今日はずっとドキドキさせられっぱなしだったよ。ああいう雑な扱いになるのも許して欲しいんだ。
例えお前が弟でも妹でも。
或いはただの女の子だって。
この胸の高鳴りと居心地の良さは。
どんな関係だって変わり無いからさ。
「……で、お前はどうしたいんだよ」
「…………分かんない」
「いや、分かっとる。今日この格好で現れたことが何よりの証明……違うか?」
「…………でもどうすれば良いのさ。姉さんにも有希にも、どんな顔して会えば良いのか分かんないよ……っ」
「らしくねえな。そこは「お前らに兄さんは渡さない」でええやろ。ええ?」
「馬鹿言わないでっ……自分じゃ絶対に勝てないって分かってるんだよ……!」
「甘えんな、アホ」
「いたっ!?」
デコピンで思いっきり額を弾く。結構しっかり当たってしまったようで、素っ頓狂な声を上げ真琴は頭を抑えフラフラと俺の元を離れて行った。
まぁなんというか、こういうところも甘んじて受け入れて欲しい。お前にしか出来ないし、やらないんだよ。こんなこと。それだけ理解出来れば、あとはもうお前次第でどうにでもなると思うんだけどな。
「ボール蹴っとるときの貪欲さはどこに行っちまったんだよ。なぁ真琴。お前の良さは抜け目なく動いてサクッとゴール決めて、涼しい顔して戻って来る、そういうところやろ」
「いったた……そんなの知らないよ……っ」
「ハナから諦めとったらどんな試合だって勝てやしねえ。本当の意味で自分の気持ちに嘘偽り無く、正直に生きたいのなら……そういう考えは捨てろ。勿体ねえから」
「……で、でもっ……」
「お前が気付いていないだけで、真琴には真琴にしかない良さが沢山ある。お前だけが持っているモノが、俺も好きだ。これ以上の動機は必要か?」
「…………それは……っ」
懲りずに今日も同じことを言ってしまうわけだ。もう何人目だよ。この期に及んで恥も外聞もねえわ。
慣れはしないけど。未だに。馬鹿恥ずかしいんだから多少は俺の気持ちも汲み取れ。出来る奴にしか言わねえんだから有難く受け取れ、クソが。
「食らい付けよ。死ぬ気で。お前が本気になればなるほど、俺も本気で応えてやれる。そういうモンやろ、サッカーもフットサルも、人生も。なっ」
「…………偉そうに言っちゃってさ」
「気に入らねえなら自分でどうにかしろ。あのときだって乗り越えられたんだ、今回も同じだよ。真琴。お前の望むモノが、お前にとっての本物や」
せっかく女の子らしくなったというのに、こんな少年漫画みたいなノリで心底申し訳ない。でも結構好きなんだろ。それにこっち方がやり易い筈だ。お互いに。
「一つだけ保証してやる」
「…………なにを?」
「俺とお前がどんな関係になろうと、必ず傍に居てやる。残念ながらお前も、とっくに俺たちの幸せ家族計画の一員なわけよ。お分かり?」
「……ハッ。何さそれ」
「最高の結末ってやつさ」
「…………ったく、調子良いこと言っちゃって。どうなっても知らないよ?」
「どっちの意味やねん」
「自分がメチャクチャにするかもって意味」
「んだよ。やっぱ分かってんじゃねえか」
「いや……諦めが付いただけだよ」
袖口で目元をゴシゴシと拭いて、中学生らしさの欠片も無い達観を拵え大きく息を吐く。それで良い。ちょっと大人びてて背伸びしがちで、無駄にスカしてて。そういう生意気なところ、マジで好きだよ。
でも、俺の前でだけでは。
もうちょっとだけ可愛らしくしていてくれ。
悪く思うなよ。お前が望んだように、俺だってエゴを貫き通すだけなのだから。正々堂々、真っ向勝負で決着付けようぜ。
「兄さん」
「んっ」
「好きだよ。たぶん」
「長い。短く纏めろ」
「じゃあ、好き」
「それでええ」
また一つ、大事なモノが増えてしまった。
とっくにそうだったと言えばその通りだが。
「兄さんも、好き?」
「おう」
「これからもずっと?」
「たりめえやろ」
まぁ心配はいらないだろう。お互い必要に駆られての結論なのだから。そうやって進んで、停滞して、転がり続けるんだ。いつまでも。
「じゃ、良いや。取りあえずそれで」
「切り替え早いな。急にどうした」
「女の特権だよ」
「都合の良い奴め」
「お互い様でしょ。この女誑しめ」
「甘んじて受け入れよう」
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