515. 教えてよ
「ハァ、ハァ、ハァ……っ!」
「ったく、体力ねえな若い癖に」
「他に原因があるとは考えない!?」
堅いブーツで補強された鋭い蹴りが何度か肩に入ったりと一定のダメージこそ喰らいつつ、逃げ惑う真琴を結構な枚数収めることに成功した。
このやり取りだけ切り取るとエライ状況のようにも聞こえて来るが、それ以上のことは何も無い。いや本当に。
十分近くゴロゴロと追いかけっこを続けたせいで、真琴はすっかり息が上がってしまった。抵抗するのも諦めたのか、大の字でグデンと芝生に倒れ込む。
服装さえ異なれば試合を終えた選手にも見間違うが、生憎にもちょっとお転婆の可愛らしい女の子から一歩も逸脱出来ていない。途中から割かし楽しそうな顔してたし、一切気は遣わない方針で。
「悪い悪い、調子乗っちまったな。まっ、兄貴面に免じて許してくれや」
「こういうどうでも良いところで子どもっぽいの分かんないよなぁ……自分相手なら無理しても良いとか思ってない?」
「そんなことは……あるかも」
「あるんだ……」
「若干憧れてたかも分からんっていうか……これでも一人っ子だからよ」
「むしろ兄弟がいたらビックリだよ」
まだ真琴が女の子だと気付く前にも似たようなことを考えていたな。周りに女しかいないから、気兼ねなく接することの出来る真琴の存在は意外と有難かったりして。まぁ女だったんだけど。
「自分だけってなら……まぁ、嫌じゃないケド」
「は? なんて?」
「なっ、なんでもないっ……!」
居心地悪そうにそっぽを向く。
喋るならちゃんと喋って欲しい。姉共々。
今現在になってもその兆候は若干引き摺っているようで、他の連中とは微妙に違う接しやすさというか、そういうものを彼女には感じているのかもしれない。
本来ならこの役割は内海とか大場とか南雲に担っていた筈なんだけどな……アイツらは友達というよりチームメイトだし、チームメイトよりも先にライバルでもあって。つくづくタイミングが良いのか悪いのか分からん数奇な人生だ。
「ごめんな、せっかくのええ服汚しちまって。ほら、立てるか」
「……どうせ暫く着ないし、気にしな……いたっ!」
起き上がらせようと腕を差し出すと、左足のつま先辺りに鈍い痛みを覚えたようで。顔を引き攣らせ手を離してしまう。
まさかじゃれあっている間にどこか傷めてしまったのか? たとしたら一方的に俺のせいなんだけど…………いや、そういうわけでもなさそうだな。
「いったた……」
「靴擦れか?」
「まぁちょっと……」
「悪い、気付いてやれなくて。大丈夫か?」
「良いよ気にしないで……試合観てるときからずっと気になってたから今更だし」
確かに合流したときからずっと歩きにくそうにしていたな……慣れないブーツのせいかと思っていたが、これは悪いことをしてしまった。
「……兄さん?」
「ちょっと待ってろ」
すぐ近くに水道があって助かった。
空のペットボトルに水を汲んで戻って来る。
「ちょっ、良いってそういうの!」
「アホ。ほっといたら長引いちまうだろうが。仮にもアスリートやろ……ジッとしてろよ。動いたら殺す」
抵抗する隙さえ与えずブーツも靴下も取っ払う。あぁ、結構腫れてるな。こんなのメチャクチャ痛かっただろうに……強がりもほどほどにしろ、まったく。
「ううっ……!」
「我慢しろ」
血の出ている箇所を水で洗い流し、ハンドタオルで少し強めに抑え付ける。血が止まるまで何度も何度も繰り返し、ようやく収まったところで絆創膏。
琴音がゴレイロの練習でしょっちゅう掠り傷を作るものだから、常に応急処置が出来るよう財布に忍ばせておいたのだ。意外なところで役に立った。
そんな俺を見て瑞希はいつの日か「財布にアレと絆創膏が入ってる奴はデキる男。いや逆にデキない」とか言っていた。意味は分からない。分かっても触れない。
「うしっ、こんなもんやろ……動かせるか? まだ痛むならもう少しここで……」
「だ、大丈夫。結構痛み引いたし、普通に歩けるよこれくらいなら……よっと」
腕を引いて起き上がらせる。まだ歩きにくそうではあるが、先ほどよりはだいぶマシな顔をしていた。余計な怪我負わせちまったな……申し訳ねえ。
「ホンマごめん、気ィ遣えなくて」
「いっ、良いってだから……ていうか、ここまでやってくれてそれは無いって」
「いやしかし、本来なら必要の無い怪我と処置なわけでな……」
「とにかく、気にしてないから! そんな急に大人しくなられてもこっちが困るよ! 頭上げて!」
やり場の無い困惑を紛らわせようと頬を引っ掻く。困ったときに頬を掻くの、癖になってるんだな。なんとなく察してはいたけれど。ともあれ許して貰えたなら一安心だ。俺は個人的に暫く落ち込むけど。勝手に。
「……ホントに怒ったりとかしてないから。さっきのアレは……まぁハズかったけど。でも、別に良いよ。兄さんだし。もう諦めた」
「お、おん」
「ちょっと寒くなってきたし、そろそろ帰ろう。風も強くなっ……わわっ!?」
災難はまだまだ続いた。隙間を縫うように突風が吹き荒れ、今度は被っていた小洒落たベレー帽が飛ばされてしまったのだ。
軽い素材で作られているのか、フラフラと浮遊を続け海沿いのプロムナードの方角へ…………あっ。
「あー……一番高かったのにあれ……」
見事に海面へ着弾。
真琴はガックリと肩を落とす。
流れが遅いおかげでそれほど遠くまでは行っていないが、流石にあれを取り戻すのは厳しいか……?
「…………兄さん? 何する気?」
「確認。一応」
柵は非常に低く、簡単に跨いで乗り越えることが出来る。なるほど、それほど底は深くなさそうだな。これならもしかしたら。
「ちょっ、待って待って! 良いよそこまでしなくて! 風邪引いちゃうよ!」
「ここまでやらなさっきの分と差し引きマイナスやろ……おらよっと!」
「あぁっ、ちょっと!」
コートを真琴へ放り投げ、足から着水。流石に一月ど真ん中の海とあって水温は非常に低く、その瞬間から激しい鳥肌と寒気に襲われる。
ダメだ、気にしている場合じゃない。だいたい、少し歩けば十分に届く距離だ。この程度のリスク負わないで男やってられるか。
「おっし!」
着水する際にひっくり返らなかったおかげで、内側は若干湿っているが致命傷には至っていないようだ。底も浅く泳ぐまでもない。ジャブジャブと水を掻き分け柵まで戻って来る…………このジーンズは暫く履けないな。まぁ仕方ない。
「ほらよ。乾かせばすぐ使えるで」
「あっ、ありがと……でも、そこまでしなくたって良かったのに……っ」
「ええって。気にすんな」
「でっ、でも……!」
「こんなときでもねえと新しい帽子なん買わへんやろ。大事にし……クしゅんっ!」
「ああもうっ、言わんこっちゃない!」
膝から下がさっきからガクガク震えっぱなしだ……下半身ほぼ浸かってしまったから致し方ないところだが、流石にちょっと暖まりたい……。
「はい、ティッシュ」
「すまん、助かる……ひっクしゅ!」
「結構可愛いくしゃみするんだね……」
「やめろ。気にしてんだよ」
あー寒い、寒すぎる……クソ、この状態で歩き回らねえといけねえのかよ。取りあえず適当にどっかの店で安いのでも探さねえと……嗚呼、無理。死ぬ。凍え死ぬ。
「……ごめん、自分なんかのために……」
「何回謝んだよ。謝罪大会なら半年前にとっくに終わっとるわ。次言ったら殴るぞ」
「それは知らない……じゃあ言わないケドさ」
怪我をしたのは俺が無理させたからで、帽子の件は誰も悪くない。真琴が謝る道理は一つも無いのだ。すべて差し引いたところで、男と女が二人で出歩いている以上最低限の責務。当たり前のことで。
だが真琴は何か気に食わない様子で、複雑な面持ちで受け取ったベレー帽をギュッと掴む。唇を波踊らせ、やっとの思いで口を開いた。
「……やっぱり兄さんにとってはさ……」
「……うん?」
「弟じゃなくて……女の子なんだね……」
「いや、別に弟が靴擦れしても処置くらいするし帽子も取りに行くけど……」
「……じゃあ、自分だけ? そう思ってるの」
「はっ?」
「だっ、だから……ッ!」
思いつめた諸々を振り払うようにガバッと顔を上げ、潤んだ瞳を真っすぐぶつけて来る。今にも泣き出してしまいそうなくらいに歪んだ表情は、どこをどう曲解しても弟らしさは無くて、ただひたすらに女の子で。
「自分でもよく分かんないんだよ……っ」
「……真琴?」
「兄さんの弟になりたいのもホントだけど……最悪、妹でも良いって思ってたけど……でもっ、なんか違う、違うんだよ……こんなに優しくされて、どうにかなってるんだよ……ッ! 分かるっ? ねぇっ、分かってくれる!?」
「ちょっ、急にどうし……」
ベレー帽ごと抱え込み、か細い両腕を畳んで胸元へ飛び込んで来る。
嫌でも様々なモノを思い出させる光景で、思わず唾を飲み込んだ。
真琴、お前……。
「さっきから胸がバクバクしてて、爆発しちゃいそうで……変なんだよ……おかしいんだ……っ! ねぇ、この気持ち……なんて言うのっ!? 教えてよっ、ねえ兄さんっ!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます