512. ボタンを押して欲しい


 二分ほど部屋の外で待っていると、お世辞にも可愛らしいとはいえ上下グレーのダサいスウェットに着替えた愛莉が現れる。

 腕を身体に巻き付け随分と恥ずかしそうだ。ダサいの自覚しているならもっとマシなの着ろよと一言言いたいところだが。



「お、お待たせ……」

「だっさ」

「こういうのしか無いのよっ……! いいから早く! 二人ともお風呂上がっちゃうでしょ……!」


 腕を引っ張られ強引に招き入れられる。そのままベッドまで押し込まれ、彼女はチョコンと居心地悪そうに腰を下ろした。


 なんだ、座れってか。別に長居する気はまったく無かったのだが。ただちょっかいかけるだけのつもりだったのにこれは望外だ。



「なんや改まって」

「あっ、アンタが入りたがったんでしょ!? なんかこう、感想とか無いわけ!?」


 感想と言われても、几帳面な愛莉らしく掃除の行き届いた綺麗な部屋だな、くらいしか言えないのだけれど。余計な想像膨らませて勝手に状況悪化させてるのお前だから。早く気付け。



「まぁ、愛莉らしい部屋やな」

「……そ、そう……っ」

「んだよ、せっかく褒めたんだからもっと嬉しそうな顔しろや」

「私が怒られるの絶対に違くない?」


 なにがご不満なのかは分からないが、ただ座っているだけというのもなんだし話でもしてみよう。


 会話の選択肢が広すぎてコントローラー一つでは選び切れないが、何かしらボタンを押して欲しいことだけは知っている。



「取りあえず、春には有希と真琴が正式に入部して……これで八人やな。大会に出れるギリギリの人数や」

「そうね……まだ足りないくらいだけど」

「なんやその不満げな顔は」

「別にそうじゃないけどっ……」


 どうやらこの選択肢はバッドルートだったらしい。二人の名を挙げた途端、愛莉は露骨に唇を尖らせ不満を露わにする。

 なにが気に食わないというのだ。さっきまでの合格パーティーではあんなに楽しそうにしていたというのに。



「……アンタ、気付いてる?」

「え、なにが」

「……こうやって二人きりで話すの、結構久々でしょ……? だからっ……」


 一言絞り出すにも辛そうな愛莉。煮え切らない物言いとは裏腹に、水気の残るひんやりとした右手を上から重ねチラチラとこちらの様子を窺う。


 ……え、なにこの汐らしい態度。練習試合の朝以来というか、随分とご無沙汰だなこの感じ。優しく接しないと逆に馬鹿を見るパターンだこれ。



「……妬いてんの?」

「…………ちょっとだけ」

「いやお前……妹とその友達相手に卑屈過ぎやろ」

「だって最近、二人のことばっかりだし……部活のことも良いけど、なんかこう、もうちょっとさ……っ」


 そんなわけないだろ、くらいの強気な返答を期待していたが、どうやら本当に拗ねているらしい。或いは彼女の前でご褒美云々の話を広げてしまったのが良くなかったのか。


 まぁ確かに、年が明けてからことは一度もしていないけれど……琴音の家出騒動の日に抜け駆けしてからデートどころか二人きりの時間も無かったからな。何らかのメーターが降り切れる寸前まで来てしまったのだろうか。



「良し。なら存分に甘えろ」

「かっ、簡単に言わないでよそういうこと……っ! これでも結構我慢してるんだから……!」

「だから別に、我慢しなくてもええ言うたやろ。同じこと何回言わせんねん」

「でもっ……! 私とあの子たちで全然態度違うんだもん……! なんか、そういうのやだ……っ」


 とか言いつつ右腕ゴリゴリにホールドされてるんですけど。言葉と行動の乖離が凄い。まぁある意味愛莉らしさか。分かり辛い。


 愛華さんの証言に違わず、他の連中と比べてもどうしても嫉妬が前面に出て来てしまう彼女。


 俺としては、真琴は本人の希望通り弟のように扱っているし、有希はまだまだ子どもっぽいところが多い。お前らに向けているものは少し違うんだけどな。でも愛莉にはそう映らないようだ。


 仕方ない、感じてしまったのならフォローしてやらないと。別に重荷ではない。なんだったらこういう愛莉の顔を見ていると「もっと雑に扱ってやろうか」とか思っちゃう。性格が悪いのは今更だ、異論は受け付けぬ。



「あらよっと」

「ひゃっ!? ち、ちょっと……!?」

「あー。眠くなって来たわー」


 クソみたいな棒読みを添えて彼女の身体をベッドへ押し倒す。厭らしい意味ではなくて、本当に横にしただけだ。もう添い寝程度じゃ恥ずかしがらん。もっとシンドイ経験はごまんと重ねている。誰かさんたちのせいで。


 これもオープンキャンパスで貰った宿題だ。目の前にあるモノを全身全霊で感じ取って、それが彼女にとっても必要なのだから。文句無いだろ。



「……ばかっ。へんたいっ」

「その変態相手に縋って無防備晒してるのはどこの誰や。エェ?」

「…………余裕ぶんなし」


 ゴロゴロと喉を鳴らして、暗中の抱き枕を探し出すように身体を押し付けて来る。表面上はともかく、意地っ張りモードだけは解除してくれたようだ。そうしたいなら最初からやれ。甘えんぼめ。



「……全然、関係無い話なんだけどさ」

「おう。どした」

「ハルトって……アイツらの両親とか、お母さんと会ったことってあるの?」

「琴音の母親は一回な。でもそんだけ。あぁ、有希のお母さんは結構長い付き合いやな……それがどうかしたのか?」

「さっきさ、ハルトがお母さんと一緒にいるところ見て……なんか、良いなって」


 胸元からひょっこり顔を出しそんなことを宣う。


 言いたいことは半分も伝わっていない。俺が愛華さんと仲良くしていたからなんだというのか。まさか母親にまで嫉妬したとか言い出さないよな? 流石に無いよな?



「前にも話したけどさ……お父さんは出て行っちゃったし、男の兄弟もいないから……もしかしたらお母さんも、ああいうの憧れてたのかなって……」

「男がいる環境ってことか?」

「…………想像しちゃった。この家に私と真琴と、お母さんと、ハルトがいて……そういう関係になったら、どうなんだろうって。ちょっとだけ……」


 あまりにいじらしい顔で真っ当な思考能力も寸前まで溶け掛かるが、口振りからして適当に扱って良い話ではない。


 母親の気持ちを代弁したわけではなく、本当は愛莉自身が考えていることなのだろう。父親などいらない、男の存在などこの家には必要無い。夏休みのあの日、愛莉はそう語っていたが。


 やはり心のどこかで男という概念に憧れていて、存在そのものに飢えている。甘えたがりでどこまでも女の子らしい本来の性格を、見よう見真似の男という皮を被って隠し通している。それが普段の愛莉で、もう一つの彼女を象っている。


 要するに、彼女も欠けている。

 誰もが持ち合わせるべきモノを。


 もはや形骸化してしまった瑞希の家庭環境や、そもそもの前提からして他者とは大きく異なる琴音の場合とも違う。

 自らの意思ではどうにもならないことなのだ。俺と同じように、手持ちの選択肢で足掻こうとすればするほど、事足りなさに気付く一方で。



「真琴だってさ。もうなんの躊躇いもなくアンタのこと「兄さん」とか呼んじゃって……聞くたびにドキドキする。絶対にあり得ないことなんだから……」

「……愛莉……」

「余計なこと期待しちゃうのよ…………アンタがどういう理想を持ってるか、なにを目指しているかくらいもう分かってる。でも……やっぱり、ちょっとズルい。こういうことするのが私だけじゃないって考えたら……っ」


 その通り。俺がいつも言っているほど、俺たちの関係は決して平等ではない。俺が欲しいものすべてを手に入れたとき、彼女は一番欲しいものを自分だけのものに出来ない。愛莉に限った話でもなく。


 アンバランスな関係性はいつまでも続いていく。俺たちが理想を追い求める限り、永遠に解決し得ないこと。


 ちょうど良い落し処があれば良いが、今のところ具体的な解決策は見つかっていない。それが少なくとも愛莉にとっては最も効果的な処方箋なのだろうが。



 いや、でも。

 本当はもう分かってるんだよな。


 どこの誰よりも、ゴールという目に見えた結果を欲しがるお前だ。必要なのはもっともっと、分かりやすい証明。



「なぁ愛莉。お前、自分の名字って気に入ってるか?」

「……へ? なに急に?」

「ええから。真面目な話や」

「…………別に、これといってこだわりとかないけど。まぁそこそこじゃない?」

「なら一つ提案が……」


 口を開いた瞬間、愛莉のスマホからセットしたと思われるタイマーの音が鳴り響く。なんてタイミングの悪さだ。


 まぁ、流石に先走りし過ぎってことか。

 お前にだけ伝えるのも不公平かもな。



「…………なんでもね」

「なっ、なによ? 気になるじゃない」

「ええから忘れろ。その代わり五分延長で」

「ちょっ……なっ、なによぉ……っ!」


 言い訳がましく彼女の身体をギュッと抱き締める。誤魔化すにもやり方があるとは思うが、誰も損しないうちはその場凌ぎとしてまだマシな部類だろう。


 俺もこうしたいし、お前だってお望みなんだろ。だったら良いじゃないか。こんな堅苦しい将来設計なんぞ後伸ばしで。



「次いつ出来るか分かんねえだろ。どうせこれから俺の家もアイツらの溜まり場になっちまうしな……今はお前の時間、テリトリーや。好きなだけ好きにしろ」

「……なんか上手く誤魔化された気がする」

「んだよ。キスの方がお好みか?」

「……やめとく。我慢出来なくなっちゃうから」

「チョロい奴め」

「うっさい、ばか」


 堅く締め付けられた二人の身体は、この先の未来をも絡め取り一瞬ばかりの停滞を招いた。これはこれで心地良いもので抗う気にもならない。


 五分後に二度目のタイマーが鳴ったが、二人の時間はベッドの上で止まったまま。今この瞬間ばかりが満たされていく。

 それを幸せと呼んで良いものか、絶対の自信は無かったけれど。思い込んでいるうちはやはり幸せなのだ。


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