510. 覚悟だけは
「愛莉がどこまで話してるか分からないけど……ウチが母子家庭なのは知ってる?」
「……それは、はい」
夏休みに愛莉が話してくれた。3歳かそこらの頃に父親が家を出ていって、それ以来三人で生活をしているという長瀬家。
真琴曰く、愛華さんはあまり身体が強くないのにもかかわらず日夜働きに出ており、愛莉もアルバイトの収入を家に入れているとのこと。
わざわざ深掘りするような話ではないし、彼女も父親の記憶はまったく無いと話していたから、敢えてそのことについて聞き出すつもりは無かったが……。
「愛莉が3歳。真琴は1歳になったばかりの頃……あの人の浮気が発覚して、離婚の手続きもしないで家を出ていっちゃったの」
「……手続きをしていない?」
「そう。だから正式には離婚してないの、私とあの人。ちゃんと手続きを踏めば名字を変えられないこともないんだけど」
知る由もない彼女たち一家を取り巻く複雑な環境。最低限の手続きも済ませずに出て行ってしまったとは、なんともいい加減で責任感の無い男だ。
本来部外者に過ぎない俺へ教えることではないような気もするが……愛華さんは躊躇いもなく話を続ける。
「浮気相手は私の大学の同級生。わたしとあの人と、その浮気相手。他にも何人かのグループで、いつも一緒にいてね」
「それって……」
「ええ、今の貴方たちと一緒。それもあの人以外みんな女の子で、所謂ハーレムってやつかしら? でも、女の子同士ではそんなに仲が良くなくて……あの人の気を惹くために喧嘩も取り合いもしょっちゅう。喧嘩ばっかりってところ以外は一緒ね?」
微笑む愛華さんだが、空元気の感は否めない。まさかそんな過去があったとは……それも今の俺たちとほぼ似たような状況だなんて。
「でも……その人は結果的に、愛華さんを選んだんですよね?」
「んーん。大学を出てすぐに愛莉を産むことになったから……分かりやすく言うと、デキ婚ってやつ。私なんて全然、本命でもなんでも無かったのよ」
「…………そう、なんですか」
「他に女の子たちから酷いことも沢山言われたわ……結婚するために色々細工したんだろって。実際はあの人が後先なにも考えず先走ったからなんだけど。まぁ誰も信じないわよね、そんなこと」
飄々と語る愛華さん。もう気にも留めていないと言わんばかりだが、意図的な何かを感じるばかりで腹の虫が収まる筈もない。
纏めると、愛莉と真琴の父親は愛華さん以外の女性とも関係を持っていて……子どもが出来たことを理由に仕方なく結婚した、ということか。
それでいて過去の女性が忘れられず、まだ小さかった二人を残して身勝手にも家を出ていってしまった。
しかも正式な手続きさえ経ず、結果的に見捨てた女性と子どもたちへ未だに自分の名字を名乗らせている?
あり得ない。こんな馬鹿げた話があるか。
父親云々というレベルではない。
社会人、いや、人間としての品性を疑う。
大切な我が子さえその男には重荷でしか、邪魔な存在でしかなかったということだ。どこかで聞いたような話で尚更気分が悪い。
血の繋がりなどロクに信頼出来なかった俺には、あまりにも重く圧し掛かる耳の痛い話だった。
「こういうこと言うと、ちょっとプレッシャーかもしれないんだけどね?」
「……はい」
「貴方のことは信頼しているけれど……私からすると、どうしてもあの人の幻影がチラつくの。だからお願い。あの子の母親として、一人の女性として言わせて。あの子を悲しませるようなことは…………絶対にしないで。私の二の舞だけは踏ませたくないから。こんな思いをするのは私一人だけで十分だから。ねっ?」
穏やかに微笑む愛華さんだが、そう軽々しく纏めて良い話ではないだろう。信頼しているとか、嘘も良いところだ。ただ娘の想い人だからという理由で俺へフィルターを掛けているに過ぎない。
なるほど。おおよそ理解した。愛莉と真琴を取り巻く環境、そして愛華さんの抱く複雑な思い。
だが敢えて言わせて貰おう。
あまり舐めないでほしい。
俺をそんな男と一緒にするな。
「って、ごめんなさい。こんなのいきなり初対面でするような話じゃないわよね」
「悪いんですけど、オレ、誰か一人選ぶとか、そういうのは興味無いんで」
「……え?」
「血の繋がりとか、クソほども信じてないんすよ。結局は人と人との対話なんです。んな甘っちょろいモンに縋るほど弱い人間じゃないんで」
想い人の母親に対してエライ言い草だが、こればかりは譲れなかった。俺には俺が信じる、絶対に外せないプライドがある。
俺と両親の関係にしたって同じことだ。まずは一人間としてのコミュニケーションから始めて、ようやく実を結び始めた。アイツらにしたって変わらない。俺たちはまだ道半ばで藻掻いている。
だからこそ、絶対に譲れない。
俺は、俺たちは。
必ず幸せになる自信がある。
根拠は無い。まだ探している。
でも、言い切らせてほしい。
「子どもの戯言にしか聞こえないかもしれないですけど。でも本気です。どんな形であれ、俺は一生愛莉の傍にいるつもりです。真琴だって、きっとそうなります」
「……他の子たちは?」
「そりゃ一緒ですよ。幸いアイツらもアイツらで普通に仲良しなんで。仮に喧嘩でもしたら俺が叩き直します。とにかく、何があろうと手放す気は無いんで」
「…………そう……」
「守りたいとか、守られたいとか、そういうのを考えるのも辞めました。俺が愛莉を……アイツらを想う気持ちは、きっとアイツらも同じだと思うんで。少なくともその男みたいに責任の無いことは絶対にしないって、誓います。なにもかも平等に行くかは、まだちょっと分かりませんけど。でも覚悟だけはとっくに出来てるんで」
呆気にとられた様子の愛華さんだったが、中身の薄っぺらい大言壮語な演説を前に穏やかな笑みを取り戻す。
会っていきなりこんなことまで話すつもりは無かったが、余計な気苦労を増やすくらいなら先にぶち上げておいた方が良い。もし愛華さんに試されていたのだとしたら、表情から察するに悪くはない選択だった筈だ。
「……あの子、嫉妬深いわよ?」
「よく知ってます……大丈夫です、嫉妬する暇も無いくらい大切にする自信はあります。その手の類に関してはオレ、底なし沼なんで」
「……そう。なら安心ね」
寒風が足元から競り上げ、ブラウンのロングヘア―が彼女とよく似たように揺れ動いた。見れば見るほど愛莉そっくりで、それこそ彼女を前に一世一代のコトを済ませてしまったような気分にもなる。
「俺自身の幸せのために、アイツらが必要なんです。アイツらもそう想ってくれてるって、信じてますから。だから心配しないでください」
口に出せば出すほど言葉の軽薄さに嫌気も差す。だが、言わなければ分からないこと。伝えなければ足りないモノが世の中には多過ぎる。身を持って実感したばかりだ。復習にはちょうど良い頃合いだろう。
心底嬉しそうに笑顔を滲ませる彼女を眺めていれば、この程度の小さな勇気も、弱弱しい一歩も。決して無駄ではないと、そう思える。
「愛華さん。俺からもお願いがあります」
「……なあに?」
「さっきも言いましたけど……形はどうであれ、今後のアイツらの人生に俺は引っ付いて回るんで。その覚悟だけはしといてください」
「お義母さんって呼ばれる覚悟ってこと?」
「…………まぁ、そうかもっすね」
「ふふふふっ……! うん、分かった。じゃあこれからは陽翔くんも私の息子ってことで、一つ手打ちね…………あら、良いタイミングかしら」
買い物袋を下げた愛莉と比奈がスーパーから出て来た。やはり二人で運ぶにはちょっと重たすぎる量だ。
「お母さん? なんでハルトと……」
「偶々玄関でバッタリ会っちゃったのよ~。あ、もしかして噂の比奈ちゃん? はじめまして~愛莉と真琴のママで~す」
「わあ~! はじめまして~♪ わたしの噂ってなんですか~?」
「んー? それはもう色々と……」
「えー気になる~教えてくださいよ~!」
先ほどのやり取りなどすっかり忘れてしまったかのように、愛華さんは比奈を捕まえお喋りに花を咲かせる。比奈も比奈で凄まじい対応力だ。絵面がママ友のそれ。
娘への挨拶もそこそこに肩を並べて荷物を分け合い帰路を先んじる。取り残された俺と愛莉、二人の背中を後方から呆れ顔で追い掛ける。
「……なに話してたの?」
「まぁ、色々と」
「なんか変なこと言ってなかった? ホントお喋りで余計なことばっかり話すなんだから……あんまり真に受けないでよ」
「そうか? ええお母さんじゃねえか」
「……やっぱ変なこと言われたでしょ」
「別に。なんも」
「怪しい……」
実の母を捕まえて何の心配をしているのというのか。惚気云々に関しては自覚があるからもはや今更だぞ。
「ほら。半分持つから」
「ん、あんがと……わざわざそのために?」
「馬鹿言え。散歩や、散歩」
「……じゃあ、そういうことにしとくけど」
「なに照れとんねん。相変わらずチョロいな」
「ちっ、チョロいとか言うなっ!」
赤面する彼女を置いて先を急ぐと、置いてかれまいと慌てて駆け足で後を追う愛莉。言葉と行動がまるで一致していない。まぁいつも通りの愛莉か。
親子って本当に似るんだな。気が利いているのか、それともわざわざ比奈だけ遠ざけたのか。どっちが主な理由かは、取りあえず聞かないでおくけど。
「絵面が若夫婦やな。なんか」
「だからっ、そういうこと言うな!」
「んだよ、嫌なのか?」
「…………ノーコメント!!」
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