507. 幸せとは


「あくまで私が知っている限りでのご意見なんですけどー。ひろぽんさんどう見ても守るより守られる側の男の子じゃないですかー」

「い、いやいやいやっ……」


 身の丈に合わない話題を逸らそうとしているのかとも思ったが、レイさんの表情は至って真面目そのもの。

 どうやら男の俺では理解し得ない何かがあるらしい。為になるかはともかく、もう少し詳しく聞いてみたい。


 角を右に曲がると、大学の自慢の一つだという小綺麗な礼拝堂が。レイさんの話は更にこう続いた。



「最初は私も思ってたんですよー。うわー頼り甲斐ありそー倉畑さん良い人見付けたなーって。でも色々とお話してみると……」

「……な、なんすか?」

「結構子どもっぽいっていうか、甘えたがりなんだなーって。最近の倉畑さんのお話聞いてると、尚更そう思います。で、今日確信しましたっ」

「は、はぁ……」


 自信たっぷりに鼻を鳴らす。


 俺が甘えたがり……? そんなこと今まで一度も言われたこと無いんだけど……いやまぁ、それは百歩譲って良いとして、さっきの話とどう繋がるんだ?



「怪我云々の話は分からないんですけどー。ひろぽんさんって今まで……ごめんなさい、ちょっと失礼な言い方なんですけどね。誰かのために頑張ったって経験、あんまり無いんじゃないですか?」

「……仰る通りで」


 見事な推察だ。サッカーで成功することだけを考えて来た俺にとって、フットサル部での出来事、関係は他者との繋がりの重要性を意識した初めての場所。



「だからだと思うんですよねー。いきなり大切な人が出来ちゃって、愛情が溢れ返ってるっていうか。転じてって話なんですけどー」

「いやホントその通りかと……」


 思いのほか的確な指摘に首を垂れるばかり。


 最近事あるごとに愛してるとか家族みたいなものとか、堅苦しいフレーズを連発している自覚はある。先ほどの結婚どうこうにしろ。

 高校生の平均がどんなものかは分からないけれど、みんなからしたらこういうところ、やっぱりちょっと重いんだろうな……。



「さっきの続きで言うと…………なんて言うんですかねえ。まぁあれですよ。はかりの上に乗っているのはひろぽんさんだけじゃない、ってことなんですよ」

「……はぁ」

「よく言うじゃないですかー、支え合いが大切だって。たぶん倉畑さんもひろぽんさんのこと養う気満々だと思いますよー?」


 これだけは確実だと目が訴えているようだ。比奈が俺のことを……一人に限らずだが、アイツらもそう考えているのか? そうなのか?


 ただでさえ学校を含めアイツらのヒモみたいな生活を送っているというのに、これ以上世話になれと。男のプライド的にどうなんだそれは。



「ひろぽんさんが思ってる以上に、守りたいより守られたい欲出てると思いますよ? それこそ結婚願望だって倉畑さんの方が強いと思います。倉畑さんああ見えて深みにハマると凄いですからねー。その辺実感あるんじゃないですかー?」

「……ノーコメントで……」

「あはははっ! 分かりやすいっ!」


 すっかり手玉に取られてしまう始末。比奈だけに留まらず熱量は常々感じているつもりだ。なんなら暑苦しいまである。


 一応、納得だけはしておこう。


 俺が想っている気持ちと同じかそれ以上に彼女たちの気持ちも本物だ。俺だけが突っ走っても意味が無い。一人焦り散らかして歩調を乱そうとしているのは俺の方か。



「ふむふむ、なるほどなるほど……大学どころじゃないって話、納得しました。お二人とも未来のことを考え過ぎて、ちょっとこんがらがってるって感じなんですね」

「……そう、かもっすね」

「先のことを考えるのも、もちろん大事だと思いますよ? でもやっぱり、今が幸せで、楽しくないと意味無いじゃないですか。打算や計画性で生きていけるほど人間強い生き物じゃないですからねー」


 晴天の寒空を見上げ深々と頷く。

 続けてレイさんはこのように語った。



「あくまで私の例なんですけどー。辛いことがあった日に、自棄になってしこたまお酒を飲むじゃないですかー。で、ゲロゲロに酔っぱらって「二度と酒なんぞ飲まん!」って固く誓うんですけど。次の日やっぱり飲んじゃうんですよ。どうしてか分かります?」

「……美味しいから、とか?」

「ノーノー! 重要なのはそこじゃないんです! 私の場合、お酒を飲むときは友達みんなとって決めてます。だってそっちの方が楽しいですから! お酒飲んでバカ騒ぎしている間は、何も考えなくて済むからですよ!」


 絵に描いたようなドヤ顔を炸裂させる。

 何も考えない……か。



「そりゃあお酒なんて基本身体に悪いですから、飲まない方が良いんですよ。絶対に。でもその一瞬の楽しさって、やっぱり忘れられないんですよね~。まぁ実際のところ記憶は飛んでいるんですけど……」


「えーっと、つまりですねっ? 先のことばっかり考えて、ブルーになるのは勿体ないってことなんです! 一日一日を最高にハッピーに乗り越えるのが大切なんです! それを死ぬまで続けるってことなんですよ! 幸せとはっ! …………あれ、こんな話でしたっけ?」


 着地点を見失ってしまったレイさん渾身の演説だが、言いたいことはおおよそ伝わった。思いのほか腑に落ちた自分もいる。



(一日一日を……ね)


 当初の目的や悩みから若干外れてはいる気はするが、これもこれで解決策に近い何かは感じる。


 最近の俺は「幸せにしてやりたい」とか「甲斐性を身に付けたい」とか無いものねだりで、目の前にある事実をどうも見落としがちだ。


 そうだ。忘れちゃいけない。こんなロクでもない俺を受け入れて、傍に居てくれる。同じ気持ちを抱いてくれている奴らが、近くに沢山いるというのに。


 出来ないこと、分からないこと、不安なことで支配されるよりも。まず先になによりも、目の前の幸せを全力で、全身使って味わなければ勿体ないよな。



「ではではっ、少し軌道修正するとして……ひろぽんさん。取りあえず当面の悩みを解決する方法としてですね?」


 咳払い一つ。レイさんはこう提案する。


「週に一回、短い時間でも良いので……アルバイトをやってみましょう。いま、何もしてないんですよね?」

「えぇ、まぁ」

「ひろぽんさんが抱えている焦燥感や将来への不安って、自分にいま出来ることがあんまり無いっていう、ある種のコンプレックスから来るものだと思うんですよねー」

「コンプレックス……ですか」


 そんなもの一度だって感じたこと無かったけどな……むしろ大阪にいたときはプライドの塊みたいな人間だったわけだし。


 だが逆に言えば、フットサル部で過ごす日々のなかでそういう感情も強まって来ている気はする。

 愛莉や比奈の家庭力、瑞希とノノの社交性、琴音の高水準な学力。或いは有希と真琴が直面している、現実的な課題とそれを乗り越えるエネルギー。憧れを抱いているのも嘘ではない。


 ここ最近あった「仕事をするイメージが沸かない」とか、その手の話題も似たようなところが起点になっているのだ。レイさんの提案は魅力的に映る。



「接客は……あんまり得意じゃないですよね?」

「一回コンビニで失敗してます」

「あー、そうだったんですねー。ならもう工場の仕分けとか、そういうのでも良いんですよー。探せばいくらでもありますし」

「なるほど……」

「何をするにしても、自分の力でお金を稼いだっていう経験が必要なんだと思います。己の力で生きてるんだっていう実感? って言うんですかねー。そういうのが沢山溜まっていけば悩みも解決されるかとー」


 そうか……高校生の身分でも出来るバイトは色々あるんだな。周りにコンビニバイターと飲食店勤務と遊園地の係員しか居ないから気付かなかった。


 ここに来て一番シックリ来るアドバイスだな。こういうのが欲しかった。なんだろう、馬鹿馬鹿しいまでにスッキリしてしまった。単純だな。



「ありがとうございます、レイさん。なんか、一気に不安無くなりました」

「いえいえー。お役に立てて何よりですよー。あっ、もし良かったらウチで働きます? 受付とか撮影は私がやってるんで、衣装の管理とか……時給、めちゃくちゃ低いですけど」

「あー……検討しておきます……」


 あの店働くのはやや躊躇いが。

 シンプルに居心地の問題。



「お腹空いてます? すぐ近くに食堂あるんで一緒にどうですか?」

「……すみません、今日は遠慮しときます。ご飯作って待ってくれてるんで」

「なんと!? 既に同棲中!?」

「あ、いやっ、今日は偶々……」

「ちょっとちょっと、倉畑さん置いてなんでオープンキャンパスなんか来てるんですかっ! もっと大事にしてあげないとですよ!?」

「案内係がその言い分は如何かと」

「とにかくっ! 急いで帰ってください! さっき言ったじゃないですか! 今がっ! 今が大事なんですッ! さあさあさあっ!!」


 強引に手を引かれ元来た正門へと連れ戻される。せっかくのオープンキャンパスだというのに、これはこれで消化不良な気も。


 背を向けた礼拝堂から、昼過ぎを告げるチャイムが鳴り響いた。恐らくこの時間にいつも鳴っているものと思われるが、今日ばかりは別の意味にも取れてしまいそうでなんともこそばゆい。


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