504. 抜かりは無い


「いいっ? 試験が始まる前に絶対トイレ行きなさいよ。なにも出なくても取りあえず! 周りに誰が居ても自分のことに集中! 分かった!?」

「うるさいなぁ。同じこと何回も言わないでよ」

「とにかく! 普段通りの実力を出すことに集中すること! アンタなら絶対に大丈夫だから!」

「はいはい……」


 集中出来ていないのは間違いなく愛莉の方で、真琴はいつも通りクールに構えている。何度も肩をバシバシと叩かれ本気で嫌そうな顔をしていた。



 あっという間に一週間が過ぎ去り、いよいよ入試当日。


 予報では朝から雪が降るとのことだったが、どうやら曇り空のまま持ち堪えたようだ。しっかり着込んで来ただけあって少し暑さを感じるほど。


 入試期間は学校も休みになるので、朝からフットサル部総出で有希と真琴を正門まで送り届ける。交通機関に乱れも無く皆安心していたが、ノノだけ妙にガッカリしていた。雪遊びすることしか考えてない。



「いつまで震えてんだよ」

「そ、そそそそそそそ、そそそそそんなことななななななななっ」

「無理があるって」


 一方こちらは緊張丸出しの有希さんである。昨晩もあまりよく眠れなかったとか……不安だなぁ。



「有希ちゃん、深呼吸深呼吸っ。大丈夫、今まで頑張って来たんだから、絶対に平気だよ。努力は人を裏切らないっ! ねっ?」

「はっ、はいいぃぃっ……!」


 比奈が優しく彼女の背中を擦っている。誰よりも説得力を持っている比奈の言葉だけあって、少しずつ呼吸も落ち着き始めた。

 有希の場合、初日の推薦がダメでも一般の二次試験が残っているからな。真琴にしても同じことが言えるが……あまりプレッシャーを感じず気楽にやってほしいものだ。



「いやぁ、意外と裏切って来るよ努力って」

「筋肉も偶に裏切りますよね」

「今だけはホンマ黙ってろお前ら」


 コイツらなりに緊張をほぐそうとしているのは分かるが、真琴はともかく有希には通用しない。結局この一週間サポートらしいこと何もしなかったコイツら。一回ちゃんと怒ろう。



「じゃ、ハル。最後になんか一言」

「え。琴音でええやんこういうの」

「いやだって寝てるし」

「気付かんかった……」


 さっきから何も喋らないと思ったらその場で立ち寝してやがる。逆に凄い。ごめんな休日の朝から連れ出して。あとで家来て寝て良いから。



「……まっ、やれるだけやってみろよ。後悔だけは無いようにな……だがしかし、結果だけは出せ。何がなんでも合格しろ」

「逆にプレッシャーなんだケド……」

「そんだけ信頼してるってことや。お前らが本当の後輩になるの、俺もずっと楽しみに待ってたんだからよ」

「…………兄さん……っ」


 少し意表を突かれたように目を見開く真琴。もう兄さん呼びちっとも隠そうとしないな。良いけど別に。

 


「……なんだ。ちゃんと分かってるじゃん」

「ん? おう。バシッと決めて来い」


 この一週間ほどやや冴えない表情をしていたが、ここに来てスッキリとした顔立ちに戻って来たな。良かった良かった。この調子なら問題無さそうだな。



「有希。お前なら出来っから、心配すんな。ご褒美欲しいんだろ?」

「それはっ……でもやっぱりわたし……!」

「ったく、仕方ねえな……」


 最後にもう一つ背中を押してやるとするか。まさか俺みたいな人間がこれほど古典的な手に頼るとは思いもしなかったが、有希に限っては効果覿面の筈だ。



「……消しゴム、ですか?」

「ケーズ外してみな」

「……わあっ! 花火のときの……っ!」


 保存してあった写真をアプリで加工して、コンビニで印刷して極小サイズにしたものである。最後は手作業で切り取ったからクソ時間掛かった。皆まで言わないが。



「カンペと思われたら不味いからな、始まるまでにちゃんと隠しておけよ」

「あっ、ありがとうございます……っ! すっごく、すっごく嬉しいですっ! 大事にします!」

「いやちゃんと使え?」

「終わったらお財布の中に入れちゃいます!」

「かさばらん?」


 斜め上の反応ではあるが、喜んでもらえたようで何より。まぁ消しゴム使うの小論文の時間だけだから、お守りにしちゃ弱いかもしれないが。気に入って貰えたなら良かった。



「頑張ります……絶対に廣瀬さんの、皆さんの後輩になります! なってみせます! 期待して待っていてください!」


 数秒前までの緊張感はどこへやら、人が変わったように鼻息荒く瞳を輝かせる。多少ハイになっていた方がこの手の類は上手く回るものだろう。きっと大丈夫だ。



「ではっ、行って来ます!」

「見送りどーも!」


 丁寧に頭を下げ校舎奥へと消えていく二人。姿が見えなくなるまで手を振り続け、これで役目も終わりとホッと一息。



「いやぁ感慨深いですねえ。ついにノノが正式にセンパイになってしまうとは」

「まだ分からんけどな」

「でも本当、あっという間だね。夏前まであの二人と知り合いでもなかったなんて、ちょっと不思議な気分」


 風で靡いたミルクティーベージュの襟足を抑え、比奈はどこか懐かしそうに微笑む。二人がフットサル部とかかわりを持つようになってまだ半年と少しだというのに、すっかり馴染んでしまったな。


 まぁそんなことを言い出したら、俺たちがフットサル部としてスタートを切ったのも、ノノが加入したのもつい最近のことで。僅かな時間とは対照的に凄まじい密度で日々が過ぎている。



「あぁ、なにそういうこと? 二人の世話ばっかしてるから急に進路とかバイトとか言い出したわけ?」

「……それもあるかもな」

「んなこと考えてる余裕ねーっしょ。バイトうんぬんは知らんけどさ。今までの半年があっという間なら夏の大会までの半年もビュンビュンだぜ?」


 表現として的確はどうかは審議を待つとして、瑞希の言い分ももっともだ。まずは目に見えているものをしっかり捉えなければ。


 全国大会の予選は7月上旬に始まると運営から発表された。二人が入学してフットサル部へ正式に入部して、残された期間は僅か三か月。

 戦力補填を考えれば、あの二人だけでなく新たな新入部員も確保しなければならない。8人でさえ登録メンバーギリギリ。チームも個人も、課題は山盛りだ。



「でも確かに、何も考えないわけにもいかないよねえ。ノノちゃんはまだ時間があるけど……わたしたちはいつの間にか三年生だもんね」

「そうっすねえ。夏休みも大会に出るなら皆さんあんまり勉強も出来ないでしょうし。今のうちに志望校くらいは決めておいた方が良いのかもですね」


 俺に影響を受けたわけでもないだろうが、比奈のなんの気無い呟きにノノも同意する。夏休み中もって、全国まで行く気満々だな。結構なことだけれど。



「で? このあとどうすんの? あたし今日めっちゃヒマなんだけど。てゆーか朝飯食ってねえから腹減った。んでもって寝たい今すぐ。ハルん家で」

「来たいだけやろ」

「それな」


 こうして集まってしまうと何かやりたくなってしまうな。だったらまずは練習しろって話だが。

 考えていなかったわけではないが、今日は入試で学校自体入れないし、近くのフットサルコートも予約が一杯だったのだ。



「偶には大人しく解散でも良いんじゃない? ていうか私、昼からバイトだし」

「じゃ長瀬抜きでハルん家で鍋な」

「うざっ」


 瑞希が音頭を取り勝手に今後の予定を決めてしまうが、残念ながら提案を受け入れることは出来ない。タイミングが良いのか悪いのか、既に予定を入れてしまった。



「悪い。ちょっと行くとこあんだわ。どうしても来たいってんなら鍵渡しとくから、勝手に入って寝てろ」

「えー!? なんそれ! じゃああたしも!」

「寝たいんじゃなかったのかよ」

「それよりハルと一緒が良いっ!」


 右腕に絡みついて駄々を捏ね始めるが、間もなく腹の虫が居心地悪そうに悲鳴を上げた。三大欲求のうち二つが事足りないとなれば彼女もいつも通りにはいかない。



「うぇぇ……お腹空いたぁ……」

「あははっ。じゃあ瑞希ちゃん、取りあえず陽翔くんのおうち行こっか。ご飯も作ってあげるから。琴音ちゃんも寝かせてあげたいし」

「なら夕時には戻るから、俺の分も頼むわ」


 財布を開け鍵を手渡す。こないだ比奈と琴音を上げたとき軽く掃除をしたから、女子を招き入れても特に問題無い環境は整っている筈。


 別に見られて困るものとか持ってないし。あるとしたら比奈から新たに借りたエロ小説くらい。パソコンのパスワードは厳重に保管されている。抜かりは無い。



「りょーかい。ノノちゃんも来るでしょ?」

「そりゃ勿論ご一緒しますけど……こうも簡単に鍵まで渡すって、センパイいよいよっすね」


 何か悟ったような半笑いを浮かべるノノ。これといって反論も無く鼻で笑い飛ばすだけだ。人の作った飯が食いたい。ただそれだけ。



「それで、アンタは何の用事?」

「まぁちょっとな」

「私たちには言えないようなこと?」

「野暮用や、野暮用」


 妙に気になっている愛莉だが、本当にわざわざ言うようなことでもない。知らない女と会う予定が無いことだけでも伝えて良い気はするが。


 スマホを取り出し個人宛てのメッセージを確認する。久しぶりにある人物と連絡を取っていた。それこそ半年ぶりくらいか。



『何時頃来る感じ?』

『昼前には。たぶん』

『駅着いたら連絡してくれ』


 顔、ちゃんと思い出せるかな。

 夏合宿とか遠い思い出すぎてもう。


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