499. 凛々しくあれ


「例えばこうやって……少し雑なバックパスが来たとする。図らずも身体は外向き、相手がサイドライン側から近寄って来た。この場面をどう抜け出すか?」


 サイドラインを仮定しギリギリのところへパスを出す。右足でトラップした比奈は背中を向けクルリと外回りで反転する。



「中に持ち出すのは危ない……よね?」

「いや、それ自体は構わん。取られたら失点には直結するけどな、大事なのは身体の向き。いかに次のプレーへ繋がりやすいところへボールを置くかや」


 夏からフィクソのポジション、パスの供給役として徹底的に育てて来た比奈。足元の技術も見る見るうちに向上し、先の遠征でもしっかりと役目を果たしたが。


 これからは数少ないフィールドプレーヤーとして、一人だけでも攻守で違いを生み出せるような存在を目指さなければならない。

 周囲を旋回している俺と瑞希へボールを預けるだけではなく自ら局面を打開するパスを出せるようになれば、より「怖い」プレーヤーになることが出来るだろう。



「いつだっけな……首を振って状況を確認するのが大事って話したやろ?」

「うんうん、覚えてるよ」

「その応用や。ただ周りが見えているだけじゃ意味が無い、見えているスペースへどれだけスムーズに展開できるか……パス出してみな、こっちに外し気味で。そう。で、そのまま取りに来い」


 砂浜を駆ける空気の抜けた4号球。半身のまま右の足裏でスピードを殺すと、内側へ反転、左の足裏で引いてからアウトサイドで中へ持ち出す。



「これが今の比奈に必要なボールの動かし方……何が違うか分かるか?」

「後ろを向かないようにするってこと?」

「ご名答。さっきの受け方やとゴレイロ……琴音にパスする以外の選択肢が無くなるやろ。俺か瑞希が下がって受けに来てもラインが下がっちまう」

「うんうん」

「ネガティブなパスの受け方はリズムに悪影響を与える……相手からすれば、一気に押し上げて高い位置でボールを奪い切るチャンスや」

「なるほどー……なるべく前を向いて、余裕のある状態を保ち続けるんだね」

「その通り」


 基礎の基礎から教え込んでいるだけあって比奈の足元の技術は中々のモノだが、こうしたチャレンジングなボールの動かし方にはまだ抵抗がある模様。

 チームとしてポゼッションの安定化を図るために、敢えてセーフティーなプレーを心掛けるよう仕込んで来た節はあるが……これも少しずつ変えていかないとな。


 オフザボールの動き出しは始め立ての頃から目を見張るものがある彼女。あの気の利いたポジショニングをボールを持っているときでも発揮出来たら、いよいよ怖いもの無しだ。



「ほら、やってみな。琴音の寝転んでるところがサイドラインで、こっち側、中に向かってボールを持ち出す動きや」

「おっけー」


 パスを受けると、言われた通り俺へ背中を向けず素早く腰を引いてボールを持ち変える。ファーストタッチはやや大きくなったがそれほど問題は無い、及第点だ。



「そうそう、そんな感じ。こうすれば逆サイドにいる奴がすぐ目に入るだろ?」

「確かに……そしたらこのままパスを出して、前に走る! だねっ?」

「カンペキ」


 流石は秀才、理屈が分かれば身に染み込むのも早い。似たようなパターンの練習を繰り返すと、動きに明らかな改善が見られるようになった。


 あとはボールタッチの精度とスピードを向上すれば、実戦でも十分に通用するレベルまで到達するだろう。この辺りは日々のチーム練習で経験を溜めていけば。



「やっぱり陽翔くん教えるの上手いよねえ」

「そうか? 愛莉と瑞希も似たようなモンやろ」

「あははっ。ほら、二人とも感覚派っていうか……元々の経験の違いもあると思うけど、すごく難しい技を「まずこれをやってから」って感じで進めるから……」


 申し訳なさそうな苦笑いと共に掌を合わせる。あぁ、その言い分だと納得。アイツらなまじテクニックがあるものだから、出来ない奴の気持ちが分からないんだよな。いるいるそういう奴。


 そんな俺も人のことを言えた口では無いのだが……比奈や琴音に初歩から教えていくことで、微妙な塩梅が分かって来たというか。多少は成長しているということだ、こんな俺でも。



「さてと…………琴音、そろそろ起きろ」

「…………あと5分ほど……」

「なげえよ」


 未だに地べたへ這いつくばっている虚弱な琴音さんである。なんで昨日今日でお前が一番ネタキャラ化してんだよ。腐っても琴音だろ、凛々しくあれ。



「散々砂塗れになっとるし、ちょうどええわ。お前も特訓してやる。起きなくてええからこっち向け」

「……はい、なんですか」


 ゴロンと反転し回復体位を取る琴音。

 なにリラックスしてんだよ。怠けるな。



「お前の弱点教えてやるよ」

「弱点……ですか? 確かに皆さんと比べれば、体力も足元の技術も惨憺たるものですが……」

「それも否定はしねえけどな。ゴレイロとしてもっと大切なことや」


 ウチのチームはそもそも攻めている時間が長いので、ゴレイロのプレー機会はどうしても少なくなる。それ故明確な課題は見つかりにくいが……先の遠征では分かりやすく結果として出ていたな。



「これも普段のメニューで対応出来ないところだからな、おざなりになるのも仕方ないところやけど……」

「いったいどんなものなのですか?」

「セカンドボールへの対応や。一度シュートを撃たれて、反応して……その後の立て直しに時間が掛かってるんだよ」


 日々の練習ではフィールドプレーヤーに混ざる機会を除き、面々のシュート練習の相手となることが多い琴音。


 愛莉の強烈なシュートを毎日のように受け当然セービング技術は向上している一方、零れ球へ対応する練習はほとんど行っていない。これもメニュー自体を改善していく必要があるだろう。



「青学館戦の失点シーン思い出してみろ。どっちも続けざまにシュート撃たれて、ちゃんとポジション取れなかっただろ?」

「……そうですね。連続でシュートを撃たれると、どこに立って良いものか迷ってしまいます。以前教えていただいたシューターとゴールマウスを……」

「三角形で結んでその中間に立つってアレやろ。あれはええねん、いっつも守れてるから。それよりもまず、二次攻撃への備えが足りねえって話や」


 俺とてゴレイロ含めキーパーは専門ではないため、もっと知識を身に付けなければいけないな。ただでさえ琴音の個人練習は蔑ろにされがちだし。


 付け焼き刃ではあるが、セレゾンのキーパーがやっていたあのトレーニングが今の琴音にも役立つはずだ。



「座ったままでええ。ボール投げるから、キャッチしてすぐ投げ返せ。ほれっ」

「おっと……!」


 体育座りのまま身体を左右へ振らすようボールを投げ入れる。正確なキャッチと負荷の掛かる体重移動を繰り返すことで、技術だけでなく体力の強化も行える合理的なメニューだ。


 最初の数回はソツなくこなしていた琴音だったが、あれだけ無茶をした後とだけあってすぐに息を切らしてしまい、段々とペースが追い付かなくなる。


 後ろで比奈がボールを拾ってすぐ投げ返すため、休憩の時間も与えられない。20回ほど繰り返したところで一旦ストップ。



「はァっ、はぁっ、はぁーっ……!」

「中々疲れんだろ? 走らなくていい分、ここぞって場面で気張らないといけねえからな。キーパーの練習って本当はフィールドより辛いんだぜ」

「そっ、そのようですねッ……!」

「これだけで実感されても困るけどな」

「よしよーし」


 息絶え絶えの背中を比奈が優しく擦る。なんだろう、琴音にハードな練習させると俺がイジメてるみたいに見えて嫌だな……普段の弄りとは違う、こう、罪悪感が。


 だが彼女だけ甘やかすわけにはいかない。これから幾多の強豪と相見えるなかで、ウチが劣勢に立たされる試合も出て来るだろう。最後尾の琴音が身体を張って守らなければならない場面も増える筈だ。


 よほど適性のある男子部員でも増えない限り、今後もゴレイロのレギュラーは琴音が務める。彼女のレベルアップは優勝のためにも必要なのだ。



「まっ、散々走ったあとやし今日はこの辺にしておくか……おら、風呂貸してやるから。クールダウンしてさっさと移動するぞ」

「あっ、あと30分ほどいただきたく……っ!」

「甘ったれんな、仮にも運動部やろ」

「よーし、じゃあこのドゲザねこを海に向かってー!」

「比奈ぁぁっ!?」


 キーホルダー片手に振りかぶった比奈を何とか止めようと大慌てで腕を伸ばすが、やはり体力は底を突いていたようで。


 そのままドテンと顔から砂浜へダイブ。

 パッタリ動かなくなる頼りない守護神であった。



「もうっ、限界です…………ガクっ」

「わー。琴音ちゃーん」

「んな棒読みで……」


 どうやらおんぶで家まで運び込むことになりそうだ……仕方ない、一つ役得ということで手を打とう。あの背中へ伝う柔らかい感触だけでもお釣りは来る。


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