498. おめでた
年が空けてから学校が再開するまでの間、ほぼ毎日上大塚駅までの往復20キロ近い距離をランニングしている。
山嵜の最寄りまで県道が一本通っているから、迷うことも無くスムーズに行き来出来るのがお気に入り。
道中、愛莉のバイト先のコンビニに寄ってちょっかいという名の休憩を取るまでがだいたいのお約束である。
まだまだ正月気分とはいえゆっくり過ごしては身体も鈍ってしまう。愛莉、瑞希との特訓を行った翌日も当然の日課として継続しているわけだ。
せっかくの機会だからとご馳走になった愛莉の手料理があまりに美味しくてつい食べ過ぎてしまい、カロリーを消費しておきたいという側面も否定はしないでおく。
「なんで誘ってくれなかったの?」
「元々今日の約束やったし別にええかなって」
「あっ、今の発言ポイント低いかも」
「んなもん集めてどうすんだよ」
「10ポイントでわたしをプレゼントしまーす」
「大安売りにも程があんだろ」
1点集めるのが大変なんだよ~。と適当扱きながらケラケラ笑う比奈。薄手のトレーニングウェアに身を包み、少し後ろにピッタリくっ付いている。
上大塚までほぼ毎日走っていることをSNSの会話でそれとなく伝えたら、自分も付き合いたいと彼女から言い出したのだ。大阪遠征で改めて体力不足を自覚したようで、早速お供をお願いする流れとなった。
流石にペースは合わせているが、コース終盤へ差し掛かってもまだまだ笑顔が続く辺り彼女らしいというか。ただのランニングなんてシンドイだけだろうに。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……まっ、待ってくださいっ……っ!!」
「琴音ちゃーん、ふぁいとー!」
「無理すんなよー」
「ううぅっ……っ!」
5メートルほど離れたところで、すっかり息を切らした彼女が俺たちを呼び掛ける。比奈とのお喋りに夢中でほったらかしにしてしまった。悪気は無い。
比奈あるところに琴音あり、という古い中国のことわざでもあるように、なら私も参加しますと当然の如く着いて来た琴音であった。
スタミナの無さに掛けてはフットサル部随一の彼女、走り始めて数分でフラフラになってしまい、顔を真っ赤にして俺たちを追い掛けている。
中学の頃に使っていたという赤茶色いジャージの下で、ご自慢の双丘がこれでもかというほどバルンバルンに揺れている。真面目なトレーニングでも性的アピールは欠かさない。
当人絶対自覚してないと思うけど。
振り返るだけでも勇気がいる。
「琴音ー、あとちょっとやぞー」
「がんばってーっ!」
この信号を左に曲がって少し進むとゴール地点なのだが……いよいよ限界が近いのか足取りは既に覚束ない。ちょっと無理させ過ぎたか。
「仕方ない。奥の手を使おう」
「あれ? 琴音ちゃんのやつと一緒?」
「アメ村で買った。在庫処分でクソ安かってん」
「陽翔くんまで気に入っちゃったの?」
「お前はお前で拒絶し過ぎやろ」
懐からは取り出すは琴音がいつも学生カバンにぶら下げている、ドゲザねこのちょっと大きめなキーホルダーだ。いざというときのために用意しておいた。いざとは。
「琴音ー、こっち見ろー」
「はぁっ、はぁっ…………ふぇ? あ、あれはっ……まさかそんなはずは……私のドゲザねこ……っ!?」
後ろ走りをしながらドゲザねこを乱暴に振り回す。突然前方に現れた愛しのキャラクターに、今にも死に掛けだった琴音の瞳に光が宿る。
「お前が立ち止まった瞬間、コイツを握り潰す……いや、海に放り投げる! 嫌なら最後まで走り抜けっ!」
「そっ、そんな殺生な……ッ! ゆっ、許しませんっ! いくら陽翔さんと言えど、それだけは絶対に許しませんよ!」
「なら追い付いてみろッ!」
「…………本当にそれだけはっ、だめですからあああーーーーっっ!!」
何としてでも愛猫を取り返そうと、一気にギアを上げこちらへ駆け寄って来る。無論、追い付かせるつもりは無い。このままゴール地点までおびき寄せるまでだ。
そもそもお前のやつじゃないんだけど。俺の私物なんだけど。ネタバレ後の対応は非常に困難を極めるけれど。まぁヤル気出してくれればなんでもええわ。
「ご丁寧にラッピングしてアメリカ西海岸まで届けてやるよッ! 良かったな琴音! ついにドゲザねこが海を超える瞬間やッ!」
「絶対に許しませんっっ!!」
「えー……琴音ちゃん……」
呆れた様子で乾いた笑みを浮かべる比奈を置き去りに、残り1キロ海岸公園までのデッドヒートが繰り広げられるのであった……。
* * * *
「ハァ、ハァ、ハァっ、ヒィ、ヒィっ……ほあぁ……ッ!」
「ラマーズ法か。おめでたやな」
「ふっ、ふざけないでくださいっ! 早くドゲザねこを返し……ヒィーっ、ヒィっ……かふっ……ッ!」
ゴールへ到着し息も集中も切れてしまったのか、汚れも気にせず砂浜へドテンと転がり込む琴音。天高く掲げた愛猫を取り返そうとグッと腕を伸ばすも、あと一歩届かなかった。いやまぁ俺のだけど。
「こんなときばっかり張り切っちゃうんだから……陽翔くんもほどほどにね?」
「そう言われても、琴音をイジメるのが趣味みたいなもんやしな。お互い」
「それは確かにねぇ~」
「否定しとけや一応」
遅れて比奈もゴールイン。汗でベタベタになったウェアの胸元を引っ張りクスクスと笑う。前かがみで服を伸ばすな。誘うな。隙を窺うな。
「何だかんだで体力も付いて来たな」
「あははっ、そうかな? でもみんなと比べたらまだまだだよ、特にノノちゃんなんて……」
「アイツと比較するだけ無駄やって」
聞くところによれば、フットサル部の活動やバイトの無い休日は自宅の久里浜を基点に県南エリアを一日掛けて黙々と走っているらしい。
気が付いたらフルマラソンの距離を悠々と超えていた日もあるそうだ。シンプルに走ること自体が好きなのだろう。あの底無しのスタミナも納得だ……。
「テクニックじゃみんなには敵わないから、せめて同じかそれ以上走れるようにならないとねっ」
「基礎体力は十分あると思うけど……まぁせやな、比奈はもっとペース配分に気を遣った方が良いかもな」
「あー、夏の大会でも言われたなぁ」
比奈の特徴は普段の生活でも現れるように、攻守における気の利いたサポートとポジショニングの妙。そしてここぞという場面で違いを作る一歩目の勇気。
が、先の大阪遠征では今一つその良さが出て来なかった。初めての本格的なフットサルの試合で、相手のプレースピードに少々面食らってしまったのが原因だ。
とはいえパス回しには問題無く参加していたし、まったく対応出来なかったというわけでもないのだが……彼女ももうワンランク上へ行く時期か。
「実際の運動量以上に疲れを感じるときあるやろ。心理的な負担が働いている証拠や、ボールを取られたらどうしようとか、失点の起点になったらとか」
「うーん……陽翔くんたちがサポートに来てるときはそうでもないけど、一人で持ってるときにプレッシャー受けると、少しドキドキしちゃうかも」
「相手一人出し抜いただけで疲労の感じ方も変わって来るモンや。少し実戦でやってみるか……とはいえボールが無いことにはな」
「あそこに落ちてるの、違うかな?」
「え。あ、ホンマや」
数メートル先にサッカーボールと思わしき球体がポツンと転がっている。誰かの忘れ物のようだ。近付いて確認してみると、空気は抜けているが蹴れないこともない。4号球か、まぁ練習なら構わない。都合の良いもんで。
「琴音ちゃんは? 起こす?」
「まだ出産中やろ。ほっとけ」
「ウミガメさん?」
「ち、違いますっ……ッ」
とか言いながら未だに砂浜へ寝そべったまま起き上がれない虚弱な琴音さんであった。ジャージの中まで砂塗れだな……仕方ない、あとでシャワーでも貸してやろう。
冷たい潮風に包まれ、即席のレクチャーが始まる。願わくば比奈の順番が終わるまでに彼女も回復して欲しいところ。
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