472. Boyhood 0-1


 スクールの練習が終わって家へ帰ると、リビングから二人の怒鳴り声が聞こえた。また喧嘩をしているらしい。


 リビングへ顔を出して一言「ただいま」と声を掛けると、二人は一瞬だけ視線を寄越し「お帰り」すらも伝えず、言い争いを続けた。



「大事な会議の途中だったのに、俺のところにまで電話が掛かって来たんだぞ! おかげで大恥だ!」

「仕方ないじゃない、私だって簡単に抜け出せるほど暇じゃないんだから! だいたい、次に呼び出されたら貴方が学校へ行くって前に話したでしょう!」

「こっちにも都合があるんだよ、無茶なことを言うんじゃない! それもアイツが喧嘩沙汰なんて起こさなければ……お前の監督がなってないからこうなるんだ!」

「そうやっていつも責任押し付けて、貴方は何もしないじゃない! 私の事情だって少しは考えなさいよ!」


 逃げるように二階の部屋へ飛び込んで、土埃で汚れた練習着のまま布団へ倒れ込む。毛布を耳にギュッと押し当てると、やがて二人の声は聞こえなくなった。



 昼休みにクラスメイトと喧嘩して、担任の内田は親に来てもらうと言っていたけれど、それが決して叶わないことであると知っていた。事実、アイツらはついぞ学校へ顔を出さなかった。


 そのまま一人で電車に乗って、堺のスクールに行って、一人で電車に乗って帰る。いつもと変わらない、同じような一日でしかなかった。



 互いに仕事が忙しくて滅多に自宅で揃わない癖に、顔を合わせる度に二人は言い争いをしている。喧嘩の種はいつも俺のことだ。


 お前が面倒を見ろ。そっちこそ気を遣え。繰り返される押し問答。結局なあなあになって、俺の扱いは変わらない。



 二人が小学校へ顔を出したのは、入学式のときだけだ。それも式が終わったらすぐに仕事へ戻ってそれきり。


 思い返せばアイツらは、幼稚園の頃も一度だって送迎をしてくれたことがない。いつもばあちゃんかじいちゃんの役目で、二人の身体が悪くなってからは文香の両親が代わってくれた。



 3年前。年末にばあちゃんが死んだ。入学式の少し前に、じいちゃんも後を追うように天国へ旅立った。


 ずっと一緒に居る。ばあちゃんは約束を守ってくれなかった。だからせめて、ばあちゃんとの約束だけは守ろうと思っていた。

 ありがとう。大好き。この二つを忘れない。そうすればあの二人も、俺のことをもっと見てくれるようになる。ありがとうと大好きが、返って来る。

 

 それだけがばあちゃんとの絆を。

 約束を繋ぎ止める唯一の方法だと信じていた。



(嘘やん、ぜんぶ)



 見上げた天井には、お小遣いで買ったサッカー雑誌の付録だったロベルト・バッジョのポスター。


 買ってすぐに天井へ貼り付けようとしたけど、脚立を使っても届かなくてアイツにお願いして。でも全然やってくれなくて。

 身長が伸びて、文香の家から大きめの脚立を借りて。ようやく天井まで手が届くようになって、なんとか張ることが出来た。


 なんてことないのだ。

 やろうと思えばすぐにでも出来たこと。

 でも、頼ってみたかった。


 そうすれば、こんな些細なことでも「ありがとう」って、口に出して伝えられるって。それくらいしか思い浮かばなかったけれど、精一杯考えた結果。



 もっと簡単な方法があるんだと思う。でもあの二人は、たったそれだけのこともしてくれない。


 ありがとうって言いたいのに。

 大好きだって、伝えたいのに。


 だって仕方ないことなんだ。

 俺はあの二人に感謝するようなことが一つも無い。


 大好きだって、胸を張って言える、理由が無い。



 分かんねえな。やっぱり。

 なあ、ばあちゃん。教えてよ。


 俺が悪いのかな。

 俺の心が綺麗じゃないから、いけないのかな。



 切れ掛けの電球がプツプツと着いたり消えたり。とっくに替え時は過ぎている。電球の取り換え方は、俺には分からない。分かっても背が届かない。脚立は文香に返してしまった。


 きっとこんなことさえも、二人は気付かない。気付くはずがない。でかでかと貼られたポスターの存在を、あの二人は知らない。



 目を閉じると、世界が真っ暗になる。

 どうせ代わり映えしない世界だ。

 最初から暗い方が、よっぽどマシかもしれない。




*     *     *     *




 審判の鳴らしたホイッスルと同時に、グラウンドを囲う応援団から歓声が巻き起こった。みんな涙を流しながら抱き合って、自分のことのように喜んでいる。


 一列に並んで頭を下げて、相手チームのベンチに一礼して。財部らコーチたちの待つ元へと戻る。


 撤収作業もそこそこに大声で捲し立てて、みんな馬鹿みたいに騒いでいる。すぐにチームメイトの両親や関係者も駆け寄ってきて。



 また、優勝だ。

 何度目か数えるのも面倒になって来た。


 市大会に府大会、全国大会。招待試合にセレゾン主催の大会。いったい幾つの大会に参加して、何回優勝するのだろう。


 今日は同じ地区の少年団クラブが主催する大会だった。すぐ近くの小学校、とはいっても芝生の悪くないグラウンドではあるが、大会規模も相手の実力もいつもに増して低レベル。


 普段は遠方での試合が多いこともあってか、チームメイトの父兄がほぼほぼ勢揃い。ちょっとしたパーティーのようだ。



(アホくさ)


 いい加減慣れないものだろうか。そもそも今日の試合、ゴールを決めたのは俺だ。ぜんぶ俺だ。一番喜ぶべきは俺で、お前らはそのおこぼれを拾うだけ。いつも、いつも同じだ。



「陽翔っ、表彰式30分後だって!」

「え……あー、うん」

「なんや廣瀬、つまらん顔しよって。ダブルハットトリックなん決めよって得点王も確定やろ? どうせMVPも!」

「あはは……本当に、流石陽翔だよね。いっつも陽翔には助けられっぱなしだよ」


 興奮気味の内海と南雲。相変わらずうるさい二人だ。この試合に限らずほとんど活躍してないってのに、お気楽な奴らめ。



「……陽翔? どうしたの?」

「…………別に。なんも」

「なーんや湿気た顔しよって! もっとこう、うわぁぁー! って感じで喜びいや! 一人で全部やっといてスカしてんちゃうわ!」

「まぁまぁ亮介」


 選抜クラスなんて名折れも良いところだ。俺より上手い奴らが沢山いるなんて、やっぱりこれも嘘だった。ミスしてもヘラヘラ笑っているだけの下手くそばかり。


 なにが流石だ。なにが助けられっぱなしだ。

 当たり前みたいに言いやがって。


 俺が重ねてきた努力は、お前たちと比べられるようなものじゃない。お前たちが遊んでいる間、プロになることだけを考えて努力して来たんだ。



 いや、違う。こんなの努力のうちにも入らない。俺はロベルト・バッジョになりたいんだ。まだまだ理想には程遠い。

 もっと、もっと上手く。強くならなければならない。今日だけでいったい幾つのミスを重ねたんだ。こんな調子じゃ、世界一サッカー選手なんてなれっこない。


 俺は、俺になれない。

 許せない。認められない。


 誰も証明してくれないのなら、自ら声高々に主張するほかないのだ。俺が一番で、最高で、完璧な存在なのだと。


 こんな俺は、俺を愛せない。

 好きになれない。



「あっ、お母さん……! お父さんも!」

「功治! 優勝おめでとう!」

「大活躍だったな! ほら、ちょっと時間あるみたいだから、写真を撮ろう!」

「えぇ! いいよそういうの! 表彰式が終わってからでいいでしょ!」

「馬鹿言うなっ! メダルとトロフィーを持った写真も、優勝した瞬間の写真もどっちも撮るんだよ!亮介くんも一緒に写ろう!」

「ええっ、ワイもでっか!?」

「もう、仕方ないなあ! 亮介、ほらこっちこっち!」


 両親の構えるカメラに満面の笑みで収まる内海と南雲。まったく、まだ活動時間中だというのに。財部も呑気に本部とお喋りしやがって。誰か止めろ。マナーがなってない。



「陽翔! 一緒に写ろうよ!」

「…………アホくさ。勝手にやってろ」

「ちょっと、陽翔!」

「ええやんええやん、廣瀬写真嫌いなんやから! 功治、堀ちゃんとトーソンも呼ぼうや!」



 こんなに人がいるのに、俺だけ一人ぼっちか。

 構いやしない。もう慣れっこだ。

 

 ボーっとしている場合じゃない。さっさとクールダウンを終わらせよう。表彰式が終わったらすぐに解散だ。早く帰っていつもの土手で今日の復習をしないと。



「…………どうせ誰も見てねえんだよ」


 つまらない意地を張るのは辞めよう。

 いつだって不足しているのは俺自身だ。

 期待するだけ無駄なのだから。



 次の試合はいつだったっけ。

 再来週の土曜日か。まぁ来ないだろうな。

 

 もう連絡するのも辞めにしよう。

 その日まで顔も合わさない。

 メールもきっと返って来ない。


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