445. 無茶苦茶言うな


 最後に風呂を済ませ寝支度を整える。どうやら今日こそはリビングで連中と並んで寝なければならないらしい。


 適当に自室を片付けて布団を敷くまでの準備は完了したが、比奈とノノに手を引っ張られ無理やり連行された。


 暫く経っても愛莉と瑞希は不機嫌なままで、電気を消した後に始まったノノを中心とする見所無い会話にも混ざって来ない。

 それでも何だかんだで隣に陣取っている辺り、染み付いている何かがあるようだが。



 明日の練習試合に向けて9時には家を出る予定。夜更かししている場合では無いと、皆揃って日付が変わる頃には寝息を立て始めた。


 昨日も同じことを思ったけど、当たり前のように無防備な寝間着で男一人囲んでグースカ寝やがって。どいつもコイツも危機感が無さ過ぎる。



 温やかなシャンプーの香りがリビングへ充満し、幾度となく鼻先を通り抜けた。

 ちっとも眠気が訪れない。エナジードリンクをがぶ飲みしたってここまで目は醒めないだろう。



(…………やっぱ部屋行くか)


 このままでは徹夜の勢いだ。

 比奈たちには悪いが、大人しく自室へ戻ろう。



「…………だめ」

「……瑞希? 起きてたのか?」


 膝をついて立ち上がろうとすると、右隣で寝ていた瑞希に腕を掴まれる。

 枕に顔を埋め大きな瞳を細く尖らせた彼女。僅かな隙間から覗き見るようこちらの様子を窺う。



「……んだよ。散々無視しやがって」

「そーゆーのじゃねーし」

「ならなんで怒ってんだよ」

「怒ってねーし」


 ありがちな動機を盾に責め立ててはみるが、前述の通り皆揃って不満顔をしていた理由は既に察しがついている。他でもない三人のお墨付きだ。



「いいから、行っちゃダメ」

「……分ぁったよ。ここで寝りゃええんやろ」


 腕を引っ張られ元居た寝床へ納まる。


 話を聞くつもりで向き合うように横へなるのだが、瑞希は枕を顔に押し付けたまま、やはりこちらを直視しようとしない。



 着々と起床時間へ進み続ける秒針の心拍音と、心地よさそうな残り四人の寝息がリビングに響き渡る。

 暖房は、少し効き過ぎているみたいだ。許容し難い圧迫感に苛まれ、布団を足で弾き飛ばし彼女へ背を向ける。



「……こっち見て」

「…………んだよさっきから」

「ちゃんとあたしのこと、見て」


 背中に縮込めた両腕を添え、ピッタリと密着して来る。くっ付いたり離れたり忙しい奴だ。

 いつも通りの瑞希と言えば確かにそうだが、今に限っては少し違うのかもしれない。



「……これで満足か?」

「…………うん」

「ちっとはマシな顔せえよ」

「んなん分かんねーし」


 寝返った先では、迷子の子どものように落ち着きの無い彼女が身体を縮こませ、不満げに頬を膨らませていた。


 馬鹿みたいに汐らしいな。

 こんな顔見たの、誕生日パーティー以来だぞ。


 ……ったく、どんだけ引き摺ってんだよ。






「…………文香のこと、気にしてんのか」

「……たりめーじゃん。なにあれ。超ラブラブだし、なんか、入る余地ねーし。ふつーにウザイ」

「よっぽど噛み合わないってわけじゃねえんだろ? 揃って舞洲まで着いて来てんだから」

「そーだけど……あたしだって分かんねえし」

「ただの幼馴染やって、嫉妬すんなよ」

「…………そう見えないから言ってんじゃん」


 肩の辺りを乱雑にグーで殴り付ける。この手の感情任せなやり取りは珍しくないが、じゃれ合うにしては力が強すぎるだろう。



「あのな。俺やって別に女なら見境無しってわけじゃねえんだよ。クソほども信用に足らんのは一旦置いておいて」

「ホントそれ」

「だから悪かったって…………あれや、その……お前らのことすっ飛ばして、いきなり文香とどうこうなるとか、そういう心配はすんな。もっかい向き合うとこから始め直すんだから」


 背中を押してやっただけのつもりだったのに、いきなり急加速して自分たちまで置き去りにしようとしているように見えてしまったのだろうか。


 だとしたら考え過ぎだ。文香も調子ノリなところこそあれど、頭こんがらがって動き出すまで時間が掛かる奴なんだよ。それはそれでまさにお前ソックリな気がしないでもないけど。



「……比較するモンちゃうけどな。まだ全然足りねえんだよ。お前には、お前らには勝てん。今んところ。それでも納得出来ねえか」

「…………あたしの方が、好き?」

「だからそういうのじゃ……」

「だめ。ちゃんと、ハッキリ言って」


 熱っぽい目線を間近で当てられ、寝てもいないのに金縛りにあった気分だ。見ているだけで吸い込まれそうになるくらい、大きな瞳。



 しかし珍しい。博愛主義とまで行かずとも、瑞希がこうして断定的な答えを求めるのはこれまででもあまり記憶に無い。


 とはいえ誕生日のときも言っていたな。どうしても自分が一番近くに居られるように、無意識のうちに動いてしまう、みたいなこと。奥底に溜め込んだモノはそう簡単には変わらないと。


 …………それだけ不安にさせちまったのか。



「お前の方が、好きだよ。今はな。今は」

「……最後の余計なんだけど」

「うるせえな。お前と喋ってんだから当たり前だろ。愛莉といるときは愛莉が好きだし、比奈も琴音も、ノノだって同じや。文香だって、きっとそうなる。前も言うたやろ。今の俺にはこれしか出来ねえし、言えねえんだよ。我慢しろ」

「…………ハァー。こーゆーときくらい優しいこと言えないのかねー……なーんでこんな奴のこと好きになっちゃったのかなぁ……」

「知らん。それはお前の勝手や」

「……やっぱもっかい〆とかねえとな……」

「掛かってこいや。抵抗しないでやる」

「なにカッコつけてんだよ。うざっ」


 呆れたようにそっぽを向く瑞希。

 流石に優しく無さ過ぎるとは、少し思ったけど。



 スタンスは変わっていない。どうせ俺はフットサル部のなかから一人選べと言われても選べないし、このままのダルい関係を続けていくつもりだ。


 それぞれ全員の求める最適解を提示出来ない俺が一方的には悪いことなんて、とっくに分かっている。


 今は、今はと後回しにして、いつか曖昧になって纏まっていくなんて、楽観的で無理難題な理想論を並べ立てているだけだ。

 でも、そんな関係でも良いと、お前は言ってくれただろ。



(…………まぁ、とは言えな……)


 こういう態度を取ってしまうということは、それさえも信じられなくなるほどの不安に苛まれている証明か。


 だとしたら、これも俺が原因だ。

 もう少しハッキリと伝えないとな。



「……どこにも行かねえから、安心しろ」

「…………ハル……っ」

「このまま大阪残りっぱなしとか、んな馬鹿なこと考えてねえし、冗談でも言わん。瑞希が望む限り、俺はお前の傍にいるから。なっ」

「…………絶対に?」

「おう。墓場まで着いてってやる」

「……またそーゆーこと簡単に言うし」


 言葉尻こそ諦めにも似た色を孕んでいたが、ようやく落ち着いてくれたみたいだ。両腕を回し胸元に顔を埋め、ガッチリと抱き締めて来る。


 触れ合う心音のみに留まらず、絶対に離さないという強い意志を見せつけるようで。思わず口元も緩み、同じくらい強く抱き締め返す。



 力加減を間違えたら、ポッキリと折れてしまいそうなほど細い。


 こんなに小さな身体でいつも元気に飛び回って。

 そりゃあ溢れ出すモノも、沢山あるよな。



「ずっと一緒だよ。ハル」

「……おー。末永くな」

「たまにで良いから。あたしのことだけ、ちゃんと見て。考えて…………みんなにあげてる分、全部あたしにぶつけて。壊れちゃうくらい、いっぱい」

「責任は取らねえぞ」

「うん。あたしも知らん。そんときはそんときだし。あのなハル。あたし、メッチャ重いよ。ハルの方が潰れちゃうかも」

「お前に潰されんなら文句ねえよ」

「……なら、いーけど」

「重いのはお互い様や」

「物理的に重いのは長瀬だけどな」

「おい、辞めろ。すぐ後ろに居んだぞ」

「にゅふふっ。どーせ聞こえてねーっしょ」


 悪戯に微笑みくすぐったそうに身体を揺する。


 あぁ、良かった。いつもの瑞希だ。俺がよく知っている、本当は偽りの瑞希。そして彼女自身が何よりも憧れている、これもまた本物の姿。


 どっちのお前も、全力で受け止めてやるから。

 不肖ながらその役目、俺が担わせて頂こう。



 なんもかんも事足りねえのは分かってるよ。

 まだまだ途中なんだから。俺たちの未来は。


 もっともっと、失望してくれよ。

 そしたら、俺も頑張れるからさ。 



「…………おやすみっ、ハル」

「ん。おやすみ」

「寝てるときにおっぱい揉むなよ」

「やらねえよ、アホ」

「でも、絶対離さないでね」

「無茶苦茶言うな」


 互いに噴き出してから、流れるままに吐息を重ねた。柔らかな温もりに包まれ次第に意識は遠のいて行く。


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