446. ジェットコースター並みの情緒
(アッツいな……)
有言実行などと綺麗な言葉で片付けるにはあまりにも惜しい。クリスマス早朝においては最悪の類に入る、絶望的な蒸し暑さを手立てに目を覚ました。
最たる原因であり唯一の根源。昨晩から一度たりとも俺の傍を離れなかった様子の、今なお幸せそうに規則正しく寝息を立てる金澤瑞希を差し置いて他に居ない。
「んむぅっ……はるぅ……っ♪」
「あいあい、ここにいますよっと」
どうやら途中で寝間着を脱いでしまったようで、薄手の黒いインナー越しに女性特有の柔らかな肉付きがダイレクトに伝わって来る。
一昨日も悪酔いの果てにほぼ上裸で爆睡していたし、脱ぎ癖でもあるのだろうか。無い胸は無い胸でも当てられたら分かるんだよ。ちっとは気を遣え。
どうにか瑞希を引っぺがし布団から抜け出す。時計の針は6時過ぎ。他の連中はまだ寝ている。
「……あれ」
と思ったら隣で寝ていた筈の愛莉が見当たらない。アイツも寝起きは相当に悪い筈だが、慣れない寝床で冴えてしまったのだろうか。
昨日のノノみたいに洗面所辺りにでも居るのかとあちこち探し回ってみるが、彼女の姿は無かった。 勝手に俺の部屋へ入るような性格でも無いだろうし、どこへ消えたのか。
(…………無いな)
もしやと思い玄関まで出向いてみると、愛莉の靴が無くなっている。出掛けてしまったようだ。とはいえ右も左も分からない大阪の地で、一体なんの用事があるのか。
が、次の瞬間には考察の必要性も無くなった。向こうから持ち込んで、同じく玄関へ放置していたフットサルボールも見当たらない。
となれば、あそこしか無いか。
家に来たときも気にしていたしな。
「迷子になってんじゃねえだろうな、ったく」
たかが数百メートルの距離だ。
天然の愛莉でもそこまで愚かでは無かろう。
ただ理由付けをしたいだけだった。練習試合に向け高い意識を持って朝練へ励んでいるのか。俺と顔を合わせるのが気まずいのか。
どちらでも良いけれど。彼女を顔を見ないことに俺の一日は始まらない。 それだけは間違いないから、面倒な着替えも苦にはならなかった。
* * * *
「おはようさん」
「あっ……お、おはよっ……」
苔で汚れた階段を上り土手へ降りると、すぐ真下で軽快なリフティングを披露する彼女を見つけた。見慣れないジャージだ。中学時代に使っていたものだろうか。
俺が現れたことに気が付くと、愛莉はあからさまに気まずそうな顔でボールを抱え込み、バネを仕掛けた人形のようにギクシャクとした動きで背を丸め身構える。
「朝練やんなら誘えよ」
「ちょっと一人で蹴りたかったの」
「嘘こけ。俺と喋りたくねえからやろ」
「……分かってるならわざわざ来ないでよ」
不機嫌に鼻を鳴らしそっぽを向く。
……なるほど。瑞希が瑞希ならお前もそんな調子か。ジェットコースター並みの情緒だな。絶叫系苦手な癖しやがって、面倒な奴だ。
「文香のこと気にしてんのか?」
「…………それもあるけど」
「あ? まだあんのかよ」
「……昨日の、全部聞いてたから」
「はっ?」
「みんな寝てるからって堂々とイチャイチャするの、マジでウザいんだけど……アンタたちのせいで全然寝られなかったの……!」
なんだ。瑞希との会話を聞いていたのか。
で、狸寝入りキメて一人で苛々していたと。
……ちょっと困ったな。本来ならああいうのは瑞希だけじゃなくて全員に言うべきだし、何より愛莉だ。ただでさえ風邪で寝込んだ一件から感情のコントロール利かなくなってるしコイツ……。
「悪かったって」
「知らないっ……」
ボールを抱えその場に座り込む。凄いな。ボール挟んでも見劣りしないボリューム、まさしく第三のおっぱい。
いや、そんなことはどうでも良くて。なんて分かりやすい拗ねっぷりだ。これはこれで可愛いけど。
「ホンマ悪かった。文香のことも昨日のうちに話しておくべきやったわ。ほら、機嫌直せって」
「……なんで上から目線なワケ?」
「別にそういうわけじゃ……」
ますます卑屈になってボールへ更に圧力を掛ける。こういう喋り方しか出来ないのはとっくに知ってるだろ。いい加減慣れろ。
「……二人きりやろ。場所は場所やけどな。前も言うたやろ、二人のときは我慢せんでええって……悪口でも暴力でもなんでもええから」
隣へ座りボールで隠された表情を窺う。
中々にズルい手段を用いている自覚はあった。
「……分かってるけどさ。アンタがそういう奴なのは。世良さんのことも、瑞希にああいうこと言うのも……でも、嫌なの。ムカつくの……!」
「だから今や言うとるやろ」
「……んんっ!」
ボールを手放し立ち上がると、彼女は物欲しそうに唇を尖らせ遠慮がちに両腕を広げる。
なんだ。巨乳アピールでもしているのか。半年前からよう知っとるぞ…………なんて、程々にしておこう。なにを求めているかくらいは分かる。
本当に、場所が場所なんだけど。
散歩中の老人とか通り掛かるなよ。絶対に。
「……汗臭くない?」
「全然。むしろええ匂いやけど」
「ば、ばかっ……!」
もう何度目か数えるのも億劫な愛莉とのハグ。安堵と焦燥が交互に入り混じる、筆舌に尽くしがたい奇妙な感覚が心内を満たしていく。
比較すること自体ナンセンスではあるが、やはり他の面々とは何かが違う。瑞希の細い身体はまさに女の子そのものって感じだし、琴音はひたすらに抱き枕。比奈相手だと異常に興奮する。ノノは分からない。今度改めて試してみよう。
少し筋肉質でハリのある愛莉の身体は、無駄に立っ端がある俺の凹凸と程よく合致しているというか。ともかく心地が良い。正味実態は分からん。
「……まだ続けんの」
「あと一分」
「長げえな」
「いいから、黙って付き合って」
「朝練は?」
「…………別に、そんなヤル気でもないし」
「ならなんで外出たんだよ」
「……ハルトなら来てくれるかなって」
鎚るような上目遣いに、思わずグラついた。こんなときばっか素直になりやがって。癩だ。
「でも、ちょっと失敗したかも」
「え。なにが」
「あっ……な、なんでもないっ……!」
真っ赤になった顔を胸元へ埋める。
別にハグくらい寝たままでも出来たもんな。なんなら今すぐにでも家へ戻りたいんだろ。愛莉の癖にあざとい真似しやがる。
血圧高まり過ぎてこっちがパンクしそうだ。ちょっとは俺の心配もしろ。さも当然の如く胸押し付けやがって、ハッ倒すぞ。
「……どこにも行ったりしねえから。心配するだけ無駄や。よしんば俺が山嵜を離れたり、いつかこっちに帰って来たとしても、無理やりにでも連れてってやるよ。絶対に」
「……こーゆーこと真面目に言うしさ……っ」
「んだよ。文句あっか」
「…………無いけど。全然無いけど、でも、ちょっと信用出来ない。言葉だけじゃなくて、ちゃんと証明して。あんまりフラフラするの、禁止」
「はいはい」
人目を憚って、ほんの少し触れ合うだけの軽い口づけ。それだけでも愛莉は満足そうにえくぼを垂らした。ヘラヘラすんな、美人が台無しだ。
「お前らにも責任あんだからな。チョロ過ぎんだよ。勘違いもするわ」
「……そんなの知らないわよ。こっちは半年掛けてじっくり仕込まれてるんだから」
「人聞き悪いこと言うなや」
「事実なんだから仕方ないでしよ。これでもプライドだけは高かったのに、アンタのせいなんだから……責任取りなさいよ」
取りあえずいつものペースには戻ったか。はあ、朝から疲れる。面倒な奴等に好かれたモンだよ。輪に掛けて面倒な俺が言うのもなんだけど。
それどころか、こんなやり取りさえ喜んでいる始末。お前らのせいでこうなっちまったんだよ。逆に責任取れ。
「ちょっとだけボール蹴っとく?」
「思ってもねえこと言うな。暫く抱き枕やってろ」
「……じゃあ、離さないであげるっ」
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