443. 絶対に忘れへんから

「……友達?」

「おう。嫌なら別にええけど」

「そ、そうやなくてっ……な、なんでっ……? だって今更ウチのことなんて……っ!」

「今だから、やろ。文香」


 酷く怯えた様子で肩を震わせる彼女を、少し上から覗き込む。とことん泣き面が似合わない女だ。お前如きが悲劇のヒロイン気取ったところで様になるか。



「……お前の言う通りや。全部一緒なんだよ。この街にはクソみたいな思い出しかあらへん。お前が隣におった時間も、黒歴史みたい なモンや。それはもう否定出来ねえ」

「なら、どうしてっ……!」

「過去は過去や。もう変えられねえ。でも続いてるんだよ。残念ながら。忘れるとか出来へんねん。どうしてか分かるか…………俺やって後悔してんだよ」


 ハッと目を見開き、溜め込んでいた涙をついぞ溢れ返させる。いったい何年分、何回分の悲しみが込められているのか、理解には及ばないが。


 分かるわけねえだろ。

 ずっと目を背けて来たのだから。


 だいたい、まだ泣くには早い。

 俺だって我慢していないとは言い切れない。



 こんなしようもない俺を愛してくれた。信じてくれた。大切な存在だと言い切った、財部や内海と同じように。お前も、そう思ってく れていたんだろ。


 勘違いしてたんだよ。俺にはサッカーしか無いと思って、自分自身のことなんて誰も興味無いって、勝手に決め付けて。

 それこそが廣瀨陽翔という人間の一番の強みで、唯一にして最大の弱点で。ボールーつ隔てなければ、俺は何者でも無い。そう信じ込んでいた。



 ところがそうではない。どうやら俺はサッカーはおろか極論フットサルさえも。そんなもの無くたって、誰かを愛し、愛されることが出来た。出来てしまった。


 何よりも、自分自身を認めることが出来た。本当はずっと憧れていた、けれど隠し続けていた、だまし続けていたモノに、ようやく素 直になることが出来たんだ。



 あの頃からずっと。ずっとそうだった。

 俺はこの街を。チームメイトを。


 そして、文香。お前を。

 信じてみたかった。

 愛したかったんだよ。ただ、それだけなんだよ。 



「やり直したところで、どうにもならへんねん。アルバムの写真何枚か入れ替えたところで時系列は瞹昧になっても、終わった出来事には変わらん。俺がしょうもないガキやったことだけは、もう動かねえんだよ」


「許すとか許さないとか、そんな次元の話、いつまでもしてたってしゃあないねん。過去は過去のまま今に繋がっちまったんだよ。 こっからどうするか、全部俺ら次第や」


「だからもっかい作るしかねえ。マイナスからのスタートでも、なんでもええ。むしろそれしか無いねん。ほったらかしで好感度ゼロになっちまったから、同じデータで続きから始めるだけや」


「クッソ怠いし、面倒やけど……俺がそうしたいんだよ。この街と、セレゾンと、サッカーと…………文香、お前と。頭からちゃう、続きからもっかい始めんねん。それが俺なりの、お前と、この街との向き合い方や。遠回りでええ……俺が俺を認めて、やっと前に進めんだよ」


 謝るものか。

 簡単に頭下げて堪るか。


 んなもん必要最低限で良いんだよ。

 俺は俺。今も昔も、これからも。


 変わってしまったまま。

 変わらないモノを抱えながら。

 クソみたいな過去と一緒に、生き続けるんだ。



 はあ。駄目だ。話し方が下手や。才能が無い。

 これじゃ言いたいことの半分も伝わらねえって。



「アカンな。正直言うわ。お前、クソ可愛いねん」

「ふぇいっ!?」

「いや、ベッピンなん分かっとったけどな。ただ認めるのが痛やっただけや。でもこうやって目の前で顔合わせっと……うん、エラ イ大人っぽくなったな」

「きっ、急になんやっ!? ホメホメの実でも食うたんかっ!? それともあれかっ、ホンマに改造されてクローン人間でもなってもう たんか!?」

「そういうことにしとけ」


 大慌てで顔を真つ赤にする文香。ブラウンの長髪に指を通すと、顎下をくすぐられた大型犬のようにうっとりと目を細め胸元へうずくまる。


 散々無碍に扱って来た分のお返しには程遠いが、これくらいの施しは与えてやりたい。まあ確かに、ホメホメの実は食ったかもな。腹一杯になるほど詰め込まれたんだよ。誰かさんたちに。



「ううっ なんやねんもおーっ…!」

「おら。もっと困れ」

「いじわるせんといてやあ……っ!」


 そんなつもりは毛頭無い。

 やりたいからやっているだけだ。 


 で、お前もこういう俺がお望みなんだろう。罪滅ぼしでも穴埋めではない。 今現段階で持ち合わせているモノを、お前に全力でぶつけたい。それだけだ。



「非常に残念なことに、お前のお気に入りの幼馴染、廣瀬陽翔はとっくに死んでしまったわけよ。一応、前世の記憶は残っとるけどな。 お前への好感度が爆伸びした状態で。あれや、強くてニューゲームってやつ。知らんけど」

「…………ホンマ敵わんわ……っ」

「無理して付き合わなくても良いんだぜ。こんなんお前の理屈ぜんぶ抜きで喋っとるからな。屑男のワガママを上手いこと躱すのもええ女の証明や」

「…………分かっとる癖に。あほ」


 色の着いた水滴がゆっくりと滴り落ちていく。なんだ、お前。少し化粧しているのか。大人っぽくも見えるわけだ。



「……ウチは、ずっと覚えとった。忘れられるわけあらへん。幼馴染とか、友達とか、カレカノとか、どうでもええねん。ただずっとはーくんの傍におりたかってん、ホンマそれだけやねん……っ」

「…………ありがとな。文香」

「アッカン、ホンマあかんわ……なにいきなし優しなっとるん、こんなんヤクザのやり口やわ。キッタナイ大人なりよって、反吐が出るわ」

「ならさっさと離れろよ」

「…………ぜったいイヤ」


 背中へ腕を回し、軋むほどの力強さでギュッと抱き締められる。どうやら勘違いのようだ。まだまだ甘え足りない、あの頃のお前のままだよ。



「……これがウチの答えや。もう二度と離さへん。はーくんがどう思おうが、んなもん知らん。とっくに絆されとるんや。嫌言うても離れへんからな。覚悟しとき」

「年明けには帰るで」

「距離の話ちゃうねん。かといってはーくんの気持ちも、どうでもええねん。全部ウチの問題や。ウチも忘れたりせえへん。自分に正直になれへんかったあの頃のアホな自分を、絶対に忘れへんから」

「…………なら、ええんちゃうの」

「やり直しちゃうねん。リスタートや。それがウチなりの、前の向き方や。やっぱりウチの人生に、はーくんは絶対必要やねん。はーくんにもウチが必要やって、ウチじゃなきゃアカンって、絶対言わせたる。5歳の頃から変わらん夢や。中々ロマンテイツクやろ?」

「まっ、悪かねえな」


 お手本のような上目遣いを決められ、これ以上気の利いた言葉も思い浮かばなかった。互いに微笑み合い、夕陽に彩られた二つの影が綺麗に重なる。



「…………え、待って?」

「あ。どした」

「……ウチが言うのもなんやけど、ムード良すぎん? これ完全に恋人同士のアレやん。キスでもしとくか? はーくんのためにまだ取ってあるで?」

「おう。別にええけど」

「…………いや、辞めとくわ。流石に駆け足過ぎるちゅうか……あの、視線ヤバすぎて怖なってきた」


 どことなく強張った表情に釣られ後ろへ振り返ると。


 いやなんだよお前ら。

 見守るっつうか監視やろもはや。



「どうぞお気になさらず〜……」

「続ければいーんじゃなーい……?」

「わたしたち、お邪魔虫だもんねえ?」

「私は何も見ていません……」

「ノノはま〜ったく気にしませんよぉ……?」


 こっわ。なにそのレイプ目。

 ハイライトどこやったお前ら。



「にゃははははっ……まっ、まああれや、幼馴染特有のスキンシップゆうやつやっ! なあ、はーくん!?」

「えっ、急にどした」

「さぁ〜てお腹もペッコペコやしそろそろ帰らあかんなあ〜! 今日は久々にお好み焼きパーティーやなぁ~クリスマスには持ってこいやなあ〜!」


 軽々とステップを踏みその場から離れる文香。誤魔化し方ってモンがあるだろ。いや分かるけど。あんな間近で圧力掛けられたらこうもなるけど。


 あとクリスマスにお好み焼き作るの日本中探してても世良家だけだから。懐かしいな、あれも小学校低学年の頃とかか。死ぬほど不味い手料理食わされたな。ヤなこと思い出させんなよ。



「せっかくやし俺ん家で食ってけよ。よう知らんけど、コイツらとも仲良なったんやろ。その辺の経緯含めて全部教えろ。この状況だけは未だに理解が及ばん」

「そうしたいのは山々やけどなあ〜……これ以上お邪魔すると明日の試合にも影響あるしなあ〜。ライバルに塩送るのも程々にせなアカンわあ」

「はあ?」


 確かに明日は他校交えての練習試合の予定だが。なんでそんなことをお前が知っているんだ。いやまあコイツらが喋ったのかもしらんけど。ライバル云々のくだりがよく分からない。



「まっ、明日もは一くんには会えるしなっ!今日はこの美しい思い出を胸に刻んだままサヨナラするのが一番やなっ! そ一ゆ一ことに しとくわっ!」

「いや、意味分からん」

「また明日な、は一くん! 逃げよう思ったって無駄やからなっ! 今日のところは戦略的撤退やっ! ほなバイナラ〜っ!」

「あ、ちょ、おい文香つ!」


 脱兎の如く猛ダッシュでプロムナードを突き進み、遠く彼方まで消えていく。数秒もしないうちに姿は見えなくなった。


 ええ。なんなんお前。


 さっきまでの感動的な雰囲気どこ行った。気分屋なのは知ってるけど、これはちょっと違うだろ。明らかに何かから逃げ出しただろ。



「……まぁ、嗾けたのは私たちだけどさ」

「思うところはありますなぁ」


 右肩を愛莉、左肩を瑞希にガッチリと掴まれ身動きが取れなくなる。いつの間にそこまで接近したんだよ。気配消すな怖いって。



「……え、なに? 意図が分からん」

「う一ん、なんて言うのかなあ。結局のところ悪いのは陽翔くんなんだけど……わたしたちもちょっと、油断し過ぎちゃったんだよね え」


 意志主張が纏まっていないのは彼女たちとて同じなのか、少し困ったような顔をして比奈が眩く。そのせいでますます意味分からんのだけれど。



「あのですね、センパイ。確かにセンパイの居ないところで、世良さんとは色々ありましたよ。そりゃもう色々と。その点についてはノノたちも理解しています。ただ納得行っていないのは……」

「…………のは?」

「限度があると言っているんです」

「はっ?」


 同じく歯切れの悪いノノ。

 琴音の不機嫌な声色が続く。


 え、なに? 怒ってるの?

 しかも全員? なんで?



「間近で見せ付けられるとこっちもキツイのよ。まぁ、アンタならああ言うと思ってたけど……絶対にこうなるって、分かってたけど! でも、ムカつくっ!」


 力任せに肩を握り潰す。

 あの、愛莉さん。痛い。握力強すぎる。


 え? なに?

 もしかしてお前ら。



「…………妬いてんの?」



 軽はずみな気持ちで言い放った、次の瞬間。

 四方八方から殴る蹴るの大応酬が始まった。



 罵声を挙げ暴虐の限りを尽くす彼女たちと、女々しい悲鳴を轟かせ逃げ惑う男。


 舞洲の美しい海が、青春のーページには数え難い惨状をせせら笑うかの如く、穏やかに波を立てていた。


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