440. 俺のベストはいつも


「へー……ユニバのすぐ目の前なんだな」

「この島全体がセレゾンの練習場ってこと?」

「ざっと六割くらいなぁ。あっちのでっかいハコでイベントある日以外は、普段は関係者しかおらへんな。一応バーベキュー場とか公園もあるっちゃあるねんけど、時期でもあらへんと閑散としとるわ。観光地名乗るにはちと弱いし」


 一時間近くの乗り継ぎを経て最寄り駅へ到着した六人。改札を潜り敷地内を興味深そうに見渡す瑞希と愛莉を手招きし、文香が先頭を進む。


 12月の寒々しい海風が身体をすり抜け、夕陽も曇り空に隠れている。肩を小刻みに震わせ、琴音はくしゃみと共に鼻先を両手で抑える。

 比奈がティッシュを取り出し彼女に渡すと、隣を歩いていたノノが何かに気付いたように足を早めグラウンドへと近付いていく。



「あれ? なんか練習してません?」

「んなアホな。トップもユースもとっくにオフシーズンやさかい、誰もおらへんわ。居ったとしても自主練中の選手とかやろな」


 ノノの指摘通り、誰も居ない筈のグラウンドでトレーニングに励む数人の姿を遠巻きに確認することが出来た。

 二人が激しくボールを奪い合い、もう二人はその様子をやや離れた位置から見守っている。


 それにしても、こんな時期にいったい何をしているのかと文香も首を捻った。オフの自主練にしては随分と気合の入ったハードワークだし、内の一人はどうやら私服姿のまま。


 ユースのグラウンドは一般開放されていないから、プレーしているのは自然的にユースの関係者ということになるが……。



「あー、ごめんなさいねー! 今日は一般開放されてないんですよー! あっちの公園とか展望広場なら、一個手前の道を真っすぐ進んでもらって……」


 慌ててクラブハウスから飛び出して来た広報の榎本が、六人の前に立ち塞がる。練習を見に来たセレゾンのサポーターと勘違いしているのか、元来た道を引き返すように促すが。



「あらま、お久しゅうございますな」

「あれ? キミ確か、廣瀬くんのおっかけの……?」

「にゃははっ。よう覚えてらっしゃいますなあ。ウチが出入りせんようなって随分経っとるやろ」

「いやぁ、流石に覚えてるって。ジュニアユースの頃からほぼ毎試合最前列で観てるんだから……声も大きいからすっごい目立ってたし。それで、今日はどうしたの? お友達沢山引き連れて、珍しいね」


 どうやら文香は榎本と面識があるようだ。

 少し困ったように頬を引っ掻く文香。



「いやぁー……もしかしたらはーくん居らへんかなぁって、ちょっと期待しとったんやけどな。当てが外れたみたいや」

「廣瀬くん? ああ、来てたよ、こっち」

「えっ……ほっ、ホンマかっ!?」

「ひょっこり顔出してさ。今の今までクラブハウスでお茶飲んでた。さっき財部に連れられてどっか行っちゃったけど……………あれ? 何してるんだアイツら」


 榎本もグラウンドの喧騒にようやく気付いたようだ。練習日でもないのにトレーニングウェアに身を包みボールを追い掛ける内海と大場。

 同じくミニゲームらしき余興に参加している財部と、私服のままボールを操る見慣れない姿の少年。



「……ハルトだ」

「うん、どう見てもハルだね」


 昨日とは違う格好だが、あの服装で外を出歩く彼を愛莉と瑞希も見たことがある。間違いない、グラウンドに立っているのは、セレゾンユースの二人と財部、そして陽翔だ。


 暫くグラウンドの様子をボーっと眺めていた文香だったが、吸い寄せられるようにスタンドの出入り口へと走り出す。



「あ、ちょっ、世良さん!? どこへ!?」

「はーくんや……ホンマにはーくんや……っ!」

「あぁっ、だから今日は入れないんだって!」


 慌ててノノと榎本が文香の後を追う。

 続けて残る四人もスタンドへ駆け出す。




*    *    *    *




「ハァー、ハァー、ハァーー……ッ!」

「ほら、次っ……陽翔の番だよっ!」

「マジ鬱陶しいなお前……ッ」

「陽翔が諦めないからでしょ……ッ!」


 最後のワンプレーが始まってから、もう10分近く経過している。息も絶え絶えの内海と似たように肩を揺らし、滝粒のような汗を強引に袖で拭う。


 ノンストップで動いているものだから、大場と財部はすっかり疲労困憊。呼吸も荒く芝生へ座り込む。ここ暫く俺と内海の一対一の勝負が続いていた。



 文字通り五分五分の戦いだった。お互い仕掛けてはボールを奪われ、あと一歩で出し抜くというところで再び奪い返される。


 お互い半分は意地になっている。正直に言えばこちらも足がパンパンで、もうまともに作用していなかった。内海も似たようなものだが、俺よりも若干余裕がある様子だ。



「……体力もだいぶ落ちたね。あの頃だったら間違いなく、僕の方が先に音を上げていた。いやぁ嬉しいなぁ……本気の陽翔と真正面から戦って、ついに勝てたんだから……!」

「アホ抜かせ、次に点取った方が勝ちや言うとるやろ……! たかが一対一で調子乗るなダボが……ッ!」

「あははっ……そう来なくっちゃね!」


 暫しのリセットを挟み、芝生を力強く蹴り出す。もうフェイクを挟む余裕も無い。ただスピードと勢いだけで強引に突っ込んでいく。


 が、これは流石に通用しなかった。上手く身体を寄せられ、バランスを崩しそのまま倒れ込む。


 それでもボールだけは手放さない。手だけは使わないよう抱き抱えるようにホールドする。子ども染みた執着を前に、内海は乾いた笑みを溢し俺の目前へ立ち塞がった。



「……陽翔。諦めなよ」

「ぜってえ無理ッ……!」

「もう立ち上がるのもキツイんじゃない?」


 内海の言う通り、とっくのとうに膝は震え視線も定まらぬ酷い有り様であった。まだまだ余裕のある内海とはあまりにも対照的だ。



 なにが五分五分だ。

 強がりの嘘も程々にするべきだろう。


 ここ数回のトライは、明らかに内海は手を抜いている。何度も何度も芝生へ身を投げ出す俺からボールを奪おうとせず、立ち上がるのをずっと待ち続けているのだ。結局、最後はスタミナの差か。


 いや、だから強がりは辞めろ。


 全部含めて、内海には敵わない。

 誰から見ても明らかな、歴然たる事実だ。



「……当たり前だよ。今の僕と陽翔じゃ、鍛え方が違うんだから。一試合13キロ、最後まで走り切れるように鍛えてる。90分じゃない。120分プラス、アディショナルタイムも」

「……12キロじゃなかったのかよ……ッ!」

「あの頃はね。今じゃ平均レベルだよ。誰よりも走らないと、僕みたいな下手クソはやっていけない……代表は凄かったよ。技術もフィジカルも、何一つ敵わない。立ち止まってる暇も無いよ」


 勝てないわけだ。きっと怪我無くプレーを続けていたとしても今の内海には敵わないのだろう。


 意識の差なんて陳腐なものではない。

 動機も、エネルギーも、何もかも。



 悔しいな。


 負けてるよ、全部。完敗だ。

 とっくに負けてるんだよ。


 でも、負けたくねえんだよ。

 認めたくないに、決まってんだろ。



「…………まだ続ける?」

「……っざけんなボケ、当たりメェやろ……何回言わせんねん……俺が……俺が勝つまで続けんだよ……ッ!」

「来ないよ、そんなときは」

「んなもん、やってみな分からんやろがッ!!」



 負けたくない。


 内海だから、どうって話じゃねえんだよ。

 お前に勝とうがどうだってええ。



 あの頃の俺に、負けたくない。

 過去の自分に、負けたくない。


 あんな、クソみたいなプライドと才能と、ちっとの努力で調子こいて、でも誰よりも輝いていて、最高に最高やった。


 あの時の俺に、勝ちてえんだよ――――。



「…………情けは要らねえ。本気で来いよ内海……舐めてんじゃねえぞ。笑ってんじゃねえぞ……ッ! 俺が勝つっつったら、絶対に勝つんだよ……ッ!」

「ははっ。無茶苦茶だね、もう」

「じゃかあしいボケッ!!」


 ちんけなプライドも。

 追想も。後悔も。

 そして、アイツらへの有り余る愛も。


 んなもん、どうだっていい。

 俺は、俺のために。


 今の俺が、いつどんなときよりも。他の誰よりも本気で、最高に輝いていると、証明したいだけ。全部ひっくるめて俺が俺だと、信じたいだけ。



 この一瞬に、すべてを懸けるんだ。


 そうやって生きて来ただろ。なあ。

 思い出せよ。そして、これからも忘れるな。



 俺のベストはいつも、今なんだよ――――!


 


「……っ!? 速ッ……!」



 右脚を蹴り上げスピードに乗る。

 油断していようが何だろうが、関係無い。


 縦へ、縦へ、縦へ。

 誰よりも速く、鋭く、力強く。



「陽翔ッッ!」

「行けるよ、廣瀬くんっ!!」


 左脚を踏み込み、一気に中央へ切り出す。

 フラフラの身体が、今ばかりは軽くて仕方ない。


 不思議だな。ゴールがさっきよりも、ハッキリと見える。そうだ、こうやって来たんだ。俺はいつだって、ゴールだけを目指して、走り続けて来たんだ。


 あの頃の俺に出来たことが。

 いま、出来ないわけねえだろ。



「甘いッ!!」


 振り上げた右脚ごと潰しに掛かろうと、激しく身体を寄せる内海。シュートコースは無い。このままではカットされてしまうだろう。


 そう。ここまでが、俺だった。

 だが、今は。今は違う。



「あっ……ッ!?」


 本気で立ち向かえば、本気が返って来る。

 それすらも、俺は利用する。


 ああ、懐かしいな。単純なキックフェイントなのに、誰も着いて来れない。始めてと同じコートに立ったとき、そう思ったんだ。


 こんなプレー、俺もしてみたいって。

 どんなもんよ。中々悪くないだろ?



「――――俺の、勝ちやッ!!」



 渾身の力を振り絞り、左脚を振り抜く。

 引き伸ばされた最後のブロックも、ついぞ届かない。



 ゴールネットが揺れ動く。


 何千、何万と見て来た光景が。

 いま、初めて俺のモノになった。

 そんな気がする。



「はーくん!!」



 勢いのまま芝生へ倒れる。

 懐かしい声が聞こえた。


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