441. 全部ひっくるめて、今日
雲間から夕焼けが差し込み、ライトグリーンの天然芝を黄金色に染め上げている。背中越しに伝う感触は柔らかい羽毛布団に包まれているようで嫌に心地良い。
すぐ隣、似たような形の影がつま先へ伸びる情景を横目に宿した。どうやら内海も疲れ果てて倒れ込んでしまったらしい。
互いに肩を揺れ動かし大袈裟に呼吸を重ねる。風に吹かれる伸び過ぎた黒髪は、収穫を待ち侘びる秋穂のよう。随分と長くほったらかしにしたものだと、自嘲にも走りたくなった。
「あれは無理。絶対に右で撃つと思ったもん」
「俺がいつ右脚なん使った? えエ?」
「だよねっ……昔っからシュートもパスも、最後は左なんだよ。でも騙される。絶対に左だって分かってるのに、みんな騙されるんだよ。面白いよね」
夕陽があまりにも眩し過ぎて、堪らず目を細める。お互い笑っているのか、悔しがっているのか。どちらも正解で、不正解だ。カモフラージュにはこの上無い。
最後の最後でようやく思い出すことが出来た。両脚とも自信はあるが、使うのは左だけだ。偶には右でも撃つけど、すべては完璧な一発のための布石に過ぎない。
懐かしいな。サッカー部戦のときも似たような理由で最後まで躊躇っていたんだっけ。理由は少しだけ違うけど、結果的には似たようなものか。
「……やっぱり凄いよ、陽翔。こんなに楽しくサッカー出来たの、久しぶ'りかも。なんかこう、他に感想とか出て来ないよね」
「ハッ。そりや良かったな」
「もう着いて行くので精一杯なんだよ……偶々リーグ序盤に怪我人が出て、本当に穴埋めみたいな形でトップデビューしてさ。なんとか結果だけは残せたけど……」
今やセレゾン大阪どころか、日本サッカー界の至宝とまで呼ばれるようになった内海。夏にはA代表デビューまでして、順風満帆にも見えるキャリア。
まあ、一応知ってはいた。秋から段々と出場機会も減っていって、シーズンが終わる頃にはユースへ再合流している。 壁にブチ当たったと言えるほど大したものでも無いと思うが。
「トップもそうだし、A代表も……同じ人間とは思えないほど上手い人ばっかでさ。一番下手クソなのにプレッシャー掛けられまくって。毎日マスコミに追い回されて。超怖いんだよ」
「人気商売やからな。しゃ一ないわ」
「ユースの頃から追い掛けられてた陽翔の気持ちが、ちょっとだけ分かったよ。調子に乗る暇も無いっていうか、重圧で死にたくなる」
「んなもん適当にはぐらかせばええねん」
「出来ないから困ってるんだよ……」
馬鹿マジメで神経質な性格の内海だ。俺の真似をするわけにもいかなかったのだろう。やらんでええけどな。俺の場合ソツなくこなしたんじゃなくて、雑に扱っていただけや。
「……正直、辞めたくなるっていうか、逃げたくもなるよね。ユースで雅也たちと一緒になると、ちょっとだけ気は楽になるけど……純粋にサッカーが楽しめないっていうか」
「甘ったれてんじゃねえよ」
「いやホント、その通りだけどさ……陽翔の存在が良い意味での重しだったんだよ。僕の前を走り続けていた陽翔が突然居なくなって……代わりになろうって、何度も思ったけどさ。でも無理なんだよ。陽翔の隣に居れば、あれだけ鮮明に見えた現在地とか、すぐ先の未来とか……急に恐ろしく見えて。全部フワフワして来てさ。あ一、やっぱ陽翔が居ないとダメだな一って……」
そんなこと急に言われても。
お前がいつ、俺を目標にしたってんだよ。
「…………連絡くらいしろよ。急に辞めるとか、酷すぎるって。誰も引っ越し先とか知らないし、いま何してるのかとか全然分かんない し」
「……それはまぁ、悪かったわ」
「陽翔は僕たちのこと、なんでもない存在だと思ってたかもしれないけど……みんなはそうじゃないんだよ。陽翔が思ってる以上に、色 んなところに影響を与えてた。今だってそうだよ。一番身近で、誰よりも先を走っていた陽翔が居なくなったんだから」
少し決まりの悪そうな顔をして、首を捻り視線を寄越す。
お世辞や同情の類では無いことは、言葉以上に今日これまでのプレーが物語っていた。素直に認めるのも痛だが。
「僕と雅也だけじゃない。黒川も、宮本も。英斗もそうだよ。仲間でもライバルでも、なんだっていいんだ。陽翔がそこに居るってことが僕たちの当たり前で、何よりも大事なことだった」
「嘘こけや。特に宮本は」
「ホントだって……せっかく陽翔より先にトップデビューしたのに、面と向かって馬鹿にも出来ないって怒ってたよ」
「それはそれでウザいな」
「ちょっとだけね」
元々会う予定は無かったわけで、今更アイツらを呼んで同窓会気分に浸るつもりも無いけれど。
そう言われると少し会いたくなってくるような気がしないでも……いやでも宮本はホンマにええわ。どうせまた喧嘩が始まるだけだ。
「…………なんか、ごめんね。陽翔のためにみたいな感じでずっと言ってたけど……しこりが残っていたのは僕の方なんだよ。あの頃の陽翔と今の陽翔はもう別人なのにさ。勝手に期待したまま、裏切られた気になって…………今日だって一発ブン殴ろうと思って来たんだから」
「衝動的にじゃなかったのかよ」
「それもあるけど。半分ずつくらいね。でも顔見たらどうでも良くなった。僕も変な気分なんだよ……上手く言えないけどさ。こういう陽翔が見たかったのに、結局僕が求めているのは一年前の陽翔なんだなぁって」
「なにが言いたいのかサッパリ分からん」
「うん。僕も分かんない」
お互い馬鹿にし合あうように笑いこける。
まったく、無愛想と口下手が顔付き合わせても何も生まれないから困るんだ。極稀に、信じられないくらい嚙み合ったりするから 面白いけどな。
「……でもなんていうかさ。すっごい、ちょうど良いところに居るんだよね。今の陽翔。あの頃の陽翔もこれくらい話しやすかったら良かったのに」
「棘が取れちまったモンでな」
「うん。でも牙は抜けてないって、そんな気がする…………はぁ一、複雑だなぁ。今の陽翔ならあの時よりもっと、一緒にプレーしてて絶対に楽しいのに。もう叶わないんだね」
「先のことは分からん。俺がサッカーに戻るか、お前がフットサルに転向するかのどっちかやな」
「復帰する予定あるの?」
「無い。今んところ」
「じゃあ待ってる。未来のことは分からないから」
「カッコ付けんな。いま俺が言うたやろが」
拳を突き出し力任せに重ね合わせる。
悪いな内海。今の俺にはここまでだ。
俺が大事にしたいモノを。大切にして来たモノを。これからも抱え続けて、気の向くままに進むだけだ。
ただ、内海。お前とは少しだけフィールドが違うだけで。根本的なところは。目指す場所は、俺と変わらないだろ。
「取りあえず、残り半年はフットサルや」
「……陽翔?」
「気晴らしに軽い球蹴るのも悪かねえけどな。断じてサッカーの……あの頃の代わりなんかじゃねえんだよ。今の俺が、そうしたい、それしかねえっつってんだわ」
「…………そっか」
「これで引退や、サッカーは。でも忘れたわけじゃねえ。全部ひっくるめて、今日の俺になってんだよ。使えるモンは使って、俺らしく あるだけや」
「サヨナラじゃなくて、また今度なって?」
「だいたいそんな感じ。知らんけど」
「……明日、観に行くよ。練習試合なんでしよ」
「好きにせえ」
一件落着、ってな。
ここまで来るのに随分と遠回りしたわ。望んでそうなったと思えば、全部笑い話で済むから。そういうことにしておくか。
「陽翔。まだ一仕事残ってるんじゃない?」
財部が歩み寄って来て、そのままスタンドへと視線を向ける。オフシーズンで誰も入れない筈なのに、見慣れた顔が揃い踏みだ。
…………いや、分かってるけどな。一人多いんだよ。またユニバのときと同じで幻聴か何かだと思っていたけれど、流石に気付いている。
なんで一緒に居るんだよ。怖い。
「ヘー。あれがフットサル部の子たち? 女の子が多い……っていうか、みんな女の子だよね? 本当にハーレム形成してるの廣瀨く ん?」
「人聞き悪いこと言うな」
惚け顔で大場が尋ねるが、内海や財部にしても似たような表情をしていた。
だから言いたくなかったんだよ。揶揄われるの分かっとんねん。そしてそれが事実だから尚更困る。
「よし、俺らの出番はここまでってことで……功治、雅也! 撤収! クールダウン付き合うから、クラブ八ウスへダッシュ!」
意地汚い笑顔を残し二人を引き連れていく財部。これが嫌だったんだよ。仮にも関西人だろ全員。空気読んでどうする。今だけ許してやるから一絡みして来い。南雲をリスペクトしろ。
「土産話、期待してるから、陽翔!」
茶化すだけ茶化しやがって。
何よりも大事だったんだろ。 もっと丁重に扱えや。
「…………はぁ。ちょっと待ってろ。いま行くから」
こんなところで再会するつもりも。
二度と会う予定も無かったんだけど。
仕方ない。これも試練の一つか。
次から次へと忙しい里帰りだ。
「……で、なんでコイツらと居るねん。文香」
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