436. 心が躍るもの


 それから、どれくらいの時間が経っただろう。


 結局、山嵜へ編入してからアイツらと出逢って、フットサル部へ入部したほとんどの経緯まで、すべて財部に話してしまった。勿論、ここ最近の男女沙汰に纏わる話は除いてだけど。


 思い出話をベラベラと語り尽くす性質でも無いのに、不思議と口が止まらなかった。やっぱり心のどこかでずっと、他人以上の信頼を財部へ感じていたんだろうな。こんなことさえ、今更気付かされる。



「……じゃあ、今は友達も沢山いて、楽しくやってるってわけだ。ホント侮れないよなぁ、友達のパワーって……あの無愛想で意固地な陽翔がここまで変わっちゃうんだからさ」

「根っこは変わってねえよ。ただ、他に頼れるモンを見つけたっつう、そんだけや。別に大したことあらへん」

「だから凄いんだって。功治とか雅也とか、亮介ともそれなりに仲は良さそうだったけど……陽翔からは関わろうとして来なかっただろ? 俺相手にだってあんな態度だったのに。尊敬するよ。他でもない、あの陽翔の心の扉を開いたんだから。ぜひ話を聞いてみたいね」


 感心したように深く頷く財部。


 ちなみに、その相手が全員女であることもまだ伝えていない。流石にそこまでは言えなかった。

 いや、キツイって。絆された原因が結局のところは性差と異性への愛慕だなんて。ハズ過ぎ。



「で、明日が練習試合だっけ」

「そっ。暇なら観に来るか?」

「うーん、ちょっとまだ忙しいからなぁ……いやでも、せっかくの機会だしお邪魔しようかな。陽翔がどんな風に高校生活送ってるのか興味あるし」

「別に言うほどやで」

「いやいや。やっぱりさ、あの時の陽翔にも必要だったのはそういう普通の青春っていうか、学生らしさだったと思うんだよね。陽翔もサッカーから離れたことで、少しずつサッカー抜きの自分が分かるようになって来たんじゃない?」

「……まぁ、それはそうかもな」


 要するに、それが一番大きいのだ。実力や外面の印象ではなく、俺の内面を見てくれたアイツらのおかげで、サッカーしか出来なかった自分自身のことを、ちょっとずつ認められるようになった。


 勿論この財部にしたって、内海も大場も南雲も、俺のことを一個人としてしっかり見てくれてはいたのだと思う。

 けれど、どうしてもサッカーという一つのフィルターを通してしまうと、俺自身の心がそれを受け入れられなくて。


 結果的に、距離と時間がすべてを解決してくれたのだ。こうやって今、過去の苦しい記憶も笑い飛ばせてしまうのなら……なにも間違っていたことは無い。すべては道筋通り、転がり続けただけ。



「それと……単純に今の陽翔がどれくらいのレベルかっていうのも興味あるかな。流石に当時とは比べられないけどね」

「辞めとけって。失望するだけやぞ」

「別に品定めするわけじゃないよ。一サッカー人として、俺も陽翔のプレーが好きだったんだ。それをもう一度拝める絶好の機会なんだから。逃したくは無いね」

「……あんま期待すんなよ」

「いや。期待しとく。悪いけど」

「うっざ、なんなんお前」


 こればっかりはやや気後れしてしまう。

 あの頃の俺と、今の俺では比較にもならない。


 夏休みに琴音とジムへ出かけて以降、定期的に自主練や筋トレも重ねてはいるが……それこそプロ入りを控えた当時の練習量と比べれば、質も量も段違いだ。間違いなくレベルは落ちている。


 だが財部も、何もおべっかを使っているというわけでもないらしい。ジーンズで隠された両脚をジロジロと眺め、興味深そうに頷く。



「確かに前よりは細くなってるけど……でもまだまだアスリートの身体だよ。今でも鍛えてはいるんでしょ?」

「……多少な、多少」

「まぁ陽翔も年代の平均よりか背も高いし、ガッチリした体格だけど……ぶっちゃけ、今からでも通用すると思うんだよね」

「はぁ? 目ェ腐っとるんかお前。んなわけあらへんやろ。一年近いブランクやぞ?」

「どれだけ時間が経っても、技術は衰えないさ。それに耐えられるだけのフィジカルがあれば、十分やれるって…………うん、駄目だ。我慢できない。ボール取って来る」

「ちょ、おま、それはええって」

「いや無理。やっぱり明日の試合観に行けそうにないから、ここで見せて貰う。ちょっと待ってて」

「……えー」


 スタンドの柵を乗り越えて、そのまま機材の管理されている大倉庫へ走り去って行く財部。


 いや、幾らなんでもそれはどうなんだよユース監督として。俺との仲とはいえ、勝手にボール使ってグラウンド立たせるのは職権乱用も良いところだろ。



「ほら、降りて来なって! スニーカーなら大して芝生も傷付けないからさ! 管理人には俺から謝っておくから!」

「…………ったく、しゃあねえな」


 まったくもって運動する恰好じゃないんだけど。

 仕方ない。謝りついでに、少し付き合うか。


 同様に柵を飛び越え芝生を踏み締める。


 あぁ、嫌だ嫌だ。こうも分かりやすく心が躍るものかね。たかが9か月ぶりのピッチで、どんだけ興奮してるんだよ。馬鹿か。



「よっと」


 転がって来たボールを掬い上げリフティングを開始。トレーニングシューズと比べたらだいぶ蹴りにくいけど、まぁ許容範囲か。


 インフロントで数回、続けて腿、右肩、頭、左肩と流れるように移動させていく。最後の最後でバランスを崩して、半ば誤魔化すような形で財部へパスを突き返した。



「……いや、相変わらず上手いな」

「これくらいワケねえだろ」

「少なくとも雅也よりは上手いから、安心して」

「まだリフティングも出来ねえのかよアイツ」

「ストライカーには不要な技術だろ?」

「かもしれん」


 軽口を叩き合う間にも、財部は左脚を回し自在にボールを操る。元プロ選手とだけあって、流石に上手い。


 そういえば財部も、怪我が原因で現役を引退したんだよな。選抜クラスのコーチとして知り合った頃は、引退してまだ数年しか経っていなくて。

 あの時もミニゲームに乱入してはガキ相手に無双噛まして、ヘラヘラ笑ってやがったわ。懐かしいな。案外覚えているものだ。



「指導側回るには早かったんじゃねえの」

「いやいやっ……もう全力では走れないからね。完治はしてるけど、今でも無理は厳禁さ。というか、怖くて身体が動かないんだよ。そんな状態でプロを続ける勇気も無かったし……」


 歯切れの悪い声で苦笑を漏らす。


 当時の財部も、きっと似たような悩みを抱えていたんだろう。サッカーそのものに罪は無いが、以前のプレーレベルへ戻れない以上は永遠に付いて回る問題。

 周囲の視線が気になるのではない。自分自身への期待を裏切ってしまう、失望してしまうことが、何よりも恐ろしくて。



「……だから、これで良いんだよ。みんながドンドン成長して……そのままトップに昇格出来なくても、サッカーを続けていくことが俺にとっての幸せだからさ」

「…………ならええけどな」

「陽翔も同じでしょ? 今こうやってボールを蹴れるようになったんだから……自分にとっての新しい価値基準を見つけて、もう一度向き合えるようになれた」

「せやな」

「意外とさ、単純なんだよね。人間の作りって。ずっと引っ掛かっていたモノも、少し斜めにズラしてみただけでスルリと抜けちゃうんだよ」


 まるで答え合わせだ。俺が半年間の間に手に入れたものを、すべて肯定してくれているようで。


 本当に、馬鹿で間抜けでどうしようもなく視野の狭い、可愛げのないクソガキだったんだよ。必要なことは、全部このピッチに詰まっていたというのに。


 心の隅まで理解してくれる大人が、こんなにすぐ近くに居たというのに。どうして受け入れられなかったんだろうな。



「…………戻るつもりは、あるの?」

「……何に?」

「サッカー。別にもう、何が何でもプロになりたいってわけでもないんだろ? 今からでも準備すれば、大学サッカーだって間に合うだろうし……全然遅くないと思うよ」

「んなわけ……」


 そこまで言い掛けて、口が動かなくなった。鋭いパスが飛んで来て、さっさと突き返せば良かったものを。トラップも疎かにボールと芝生を交互に見つめる。


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