435. とっくに終わってるんだよ


 まだまだ話し足りない榎本への挨拶もそこそこに、財部は俺をユースグラウンドへと連れ出した。コートを一望出来るファン専用の観戦スタンド。


 オフシーズンに入ったトップの関係者とは違い、ユースのコーチ陣やスタッフは年の瀬も頻繁に舞洲へ出入りしているらしい。


 財部も先日行われたユースセレクションの映像を確認していたそうだ。

 他にも時折顔を出す選手たちのトレーニングに付き合ったりしているらしい。



「……懐かしいね。覚えてる? 練習終わりに陽翔をスタンドへ連れ出して……そう、この辺りに座ってさ。一緒に星を眺めて。まぁ、あのときはもっと遅い時間だったけどね」

「あったな。そんなんも」

「…………へぇー、意外。てっきり「作り話するな」とか言われるかと思ってた。覚えてるんだねそういうの」

「そこまで馬鹿じゃねえよ」

「ならもっと真面目に聞いてくれても良かったじゃないか」

「それはそれ、これはこれ」

「ははっ……変わんねえなあ」


 俺を連れ出したときに限らず、財部はよく練習終わりに一人スタンドでボーっと空を眺めていることが多かった。


 普段のキッチリした言動とは対照的な姿に、チームメイトが「なにやってんだ財部さん」と不思議そうに様子を窺っていたのをよく覚えている。


 気温と浜風の影響か、ベンチは冷たく湿っていた。並んで腰を下ろすと、そっくりそのまま当時の光景が蘇ってくるようで。



「…………いや、ちゃうな」

「うん? どうした?」

「なんも変わっとらん思ったけど……アンタも老けたな。そんな髭面ちゃうかったやろ」

「あははっ。ここ最近ストレスの溜まることが多くてね……チームも難しい時期だし、色々と責任取らないといけないことが増えちゃって」

「降格したんだってな。おめでと」

「勘弁してくれよ……功治はトップチームで、ジュリーも陽翔のちょっとあとに退団しちゃったし……隼人も雅也も、啓次郎もちょこちょこU-23に持ってかれて、シーズンほとんど一年生で戦ったんだぜ? 秋季リーグの最後だけ手伝って貰ったけど、厳しかったよ」

「手腕不足や。深刻に受け止めろ」

「いや、ホントその通り」


 申し訳なさそうに頭を引っ掻き苦笑い。偶に出て来る、こういう妙に軽薄に見えるところとか、チャラい出で立ちというか。やはり一年も経たないんじゃ、人間大して変わらないな。



「……いま、監督やっけ」

「そ。今季の途中からね。トップの監督が解任されて江原さんが昇格したから、俺がスライドして……トップの成績は流石に知ってるか」

「引き分け含め10連敗で最下位フィニッシュやろ」

「うん。シーズン終わったらそのまま解任……暫く現場も、セレゾンからも離れるってさ。ちゃんと勉強し直すって」

「ええねん戻って来んで」

「まぁまぁっ……あの人も何だかんだで落ち込んでたんだよ。いや本当に。俺が半分潰したようなモンだって……ジュリーとの一件もあったしさ」

「ネットで叩かれたのが原因やろ。どうせ腹の内は「アイツのせいでクビになった」とか考えとるわ」

「そういうこと言わないの」


 呆れたように笑うが、財部もすべてを信じているわけではないだろう。あの意固地な世代遅れ野郎がそう簡単に改心するわけがない。


 まぁアイツも昔からセレゾンの中枢で関わり続けている人間だし、チームに貢献したいって気持ちも嘘ではないんだろうけれど。とにかくやり方が悪い。



「俺が居なくなった途端にトップもユースも二部落ちとか辞めろよな、ホンマ。シャキッとせえや」

「いや、ホントに何も言い返せないから困るよ……陽翔に限らずさ。功治もジュリーも、隼人も。みんな無意識のうちに、出来る選手に頼りっぱなしになってたんだ。一から鍛え直すいい機会だよ」

「そのまま二部に定着したりな」

「心配ご無用。一年で戻るよ。どっちも」

「どうだか」


 ついつい棘のある言い方にはなってしまうが。

 財部なら。アイツらなら大丈夫だろう。


 アマチュアから三部リーグへ参入するクラブが増えたおかげで、来季からU-23チームは撤廃される。下部の人間は心置きなくユースの大会へ専念できるというわけだ。


 内海や黒川は飛び抜けた存在だし、ほとんどをトップで過ごすのだろうが……大場や片桐も残っているのだから、それほど悪い結果にはならない筈だ。宮本は知らんけど。



「まっ、俺たちの話は良いんだけどさ。亮介から連絡来たよ。向こうで顔合わせたんだって? 省吾と俊介はもう会った?」

「偶然や。偶然。別に会う気もねえよ」

「そう言うなって。数少ない友達だろ」

「数少ないってお前な」


 ナチュラルに抉りやがる。俺が多少まともな性格になって来たからって、根っこは変わらんからな。いやもう事実過ぎて言い返す気にもならないけど。



「南雲はまだええねん。藤村もアイツから距離置いてくれっから。堀はホンマに無理。アイツ練習外でもアニキアニキ言うてずーっと引っ着いて来るん、敵わんわ」

「あはははっ……あー、懐かしいー。そうそう、凄かったよね省吾。ジュニアユースのAチームで一緒にやってた頃なんか、もう陽翔の付き人状態だったもんね」


 おかしそうに腹を抱えて笑う財部。当時の僅かな思い出を掘り返す羽目になり、釣られて俺も笑ってしまった。



 …………そうなんだよな。なにも覚えてないとか言っておいて、案外普通に覚えてるんだわ、これが。何だかんだで、アイツらはちゃんとチームメイトで。


 少なくとも、仲間ではあったんだよな。

 あの時の俺が、受け入れられなかっただけで。


 今現在持ち合わせている価値観と照らし合わせれば、アイツらも立派な友達だったのに。ただひたすらに、俺の心の持ちようの問題だったのだ。



「亮介から聞いたよ。いま、フットサルやってるんだって? 詳しくは俺も知らないんだけど……そっちに転向したってわけでもないんだろ?」

「まぁな。南雲曰く、お遊びの延長だとよ」

「いや、全然それでいいと思うよ。プロ入り以外なにも興味無かったあの頃の陽翔と比べれば……純粋にボールを蹴ることを楽しんでるって、顔見ただけで分かるから。そうでしょ?」

「……ご名答」


 正確には、アイツらとボールを蹴ることを。だけどな。

 このチームと同じように、男だけに囲まれて結果を出すために続けていたら、こうはならなかった。



「……すっごい嬉しいよ。怪我から復帰した直後なんて特にそうだったけど……毎日泣きそうになりながらボール追い掛けてる陽翔見ててさ。もう……なんて声掛けたら良いか、分からなくて」

「…………悪かったな。迷惑掛けて」

「馬鹿、こっちの台詞だって…………本当に、申し訳ないことをしたと思う。あんなことになったのは、俺にも責任がある」

「おい、辞めろって……」


 深く頭を下げる財部に対し、俺は適切な返答を持ち合わせなかった。


 こんなことをされる道理は無い。

 すべては俺自身の決断で、俺に責任がある。



「いや、違う。俺は最後まで、責任を負う勇気を持てなかったんだ。陽翔はずっと、手を指し伸ばしてくれるのを待っていたのに……」


「……結局、指導者という立場以上のことはしてやれなかった。キミの人生に介入する、勇気を持てなかったんだ…………本当に、ごめん。今更こんなこと言われて困るだろうけど……」


「でも、俺が納得出来ないんだ。あの時の俺を許せないんだ……! 本当にごめん……ッ!」



 ここまで来ては梃子でも動かないだろう。必死に頭を下げる財部を、俺はただ黙って見ているだけだった。


 なんというか、それは違う、もう十分だと否定してしまうのも、彼にとっては甘やかしになってしまうんだろうなと、そう思った。ならばもう、気の済むまで謝って貰う方が良い気がして。


 勿論、一向に彼だけが頭を下げるのも違う。

 俺も言わなければならないことがある。



「あれや。アンタの助言を聞き入れねえで、一人で突っ走ったのもホンマのことやし。アンタだけが悪いんじゃねえ。俺も悪かった。とはいえ、だがしかし、実際のところ誰も悪くねえんだよ」

「…………陽翔……っ」

「過去は変えられねえ。俺が今こういう風に生きとるのも、運命みたいなモンや。だから、その…………謝罪は受け入れっから。だから、俺の謝罪も受け入れろ」


 お前の勇気の無さが俺の人生を変えられなかったように。俺もお前のことを、無自覚のうちに傷付けていた。


 苦しみに気付くことが出来なかった。

 今更になって、やっと分かったんだ。



 だから、もう辞めよう。こんな話。


 とっくに終わってるんだよ。

 あとは前を向くだけだろ。



「……悪かった。クソガキやった。アンタの優しさに、愛情に、気付けなかった。ごめんな。財部さん。おし、これでおあいこや。割合は知らんけどな。もう過ぎたことや。忘れんでもええけど、引き摺るのは辞めにしとけ。なっ」


 驚きも露わに目を見開く財部。

 信じられないものを見たような、そんな瞳。



「……なんやその顔。豆鉄砲でも喰らったか」

「…………すっげえなあ。陽翔、ホントに別人だよ。向こうで何があったの? いやホントに…………そんな綺麗な顔で笑えるなら、最初から言ってくれよ。ビックリするだろ……っ!」

「サプライズにしちゃ上出来やろ?」

「…………クッソ、駄目だなぁ……絶対泣かない自信あったんだけど、これキツイよ……嬉し過ぎて笑えて来るって……っ!」

「おう。気の済むまで泣け。駄目な大人め」



 背中を丸め小刻みに震わせる。

 まったく、教え子はどっちなんだか。


 不味い、人のこと言えねえ。ちゃっかり泣いてる癖に気取るな。たかが俺が。



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