433. もっかい始めたるわ


「まぁ、あくまでノノの個人的な見解なんで、あんまり真に受けて貰うのも困っちゃうんですけど」


 愛莉が一通り思いの丈をブチ撒けると、やや気後れした様子でノノもそれに続いた。それでも表情は軽やかなもので、達観にも似通う落ち着きを払っている。



「今日一日、センパイと色んなところを見て回りましたけど……確かに辛そうな顔はしてましたけどね。でも言うほどですよ。多少の後悔はやっぱりあると思いますけど、ちゃんと折り合いは付けてるって、そういう顔してました」


「というか間違いなく、これは自信を持って言いますが、ノノのおかげです。ノノの溢れんばかりのバイタリティーと革命的ポジティブシンキングが、センパイにも大きく作用しています。要するに、その程度のことで立ち直れちゃうくらいの、今となっちゃ些細な問題なんですよ。センパイにとっては」


 普段の何ら変わりない軽薄な口振りも、彼女なりの気遣いであることを四人も理解していた。


 彼女が陽翔へ与えたモノは、あまりにも大きい。それと同時に、彼女もまた陽翔に救われ、愛を享受し合う、堅い信頼で結ばれた関係だと、誰もが認めていたからこそ。


 誰も口を挟まない。その必要も無い。

 彼女にしか出来ない、言えないことがある。



「そういうノノになれたのは、ノノが理想としているノノになれたのは、皆さんのお力添えも勿論ですが……やっぱり一番は、センパイのおかげなんです。センパイが沢山持ってる、持て余している愛情を必死に掴んで、離さないようにしなきゃって、いっつも思います」


「同情じゃないですよ。ノノも同じくらい寂しかったんですから。要するにウサギです。ノノとセンパイは。寂しいと死んじゃうんです。大好きな人が隣に居ないと、気が狂って死んでしまう軟な生き物なのです」


「でも、弱いだけではありません。幸せになろうとする努力だけは欠かさない、強いウサギなのです。弱さを抱え続けながらも、強くあろうとする、新種のウサギです」


「辛かったことも、苦しかった過去も、そのまま持ち続けて良いと思うんです。結局まぁ、愛莉センパイと同じようなこと言っちゃいますけど……」


「……世良さんも、変わらないとダメです。過去は過去、今は今で、キチンと区別しないといけません。勿論、忘れる必要もありません!」


「引け目を感じるのは大いに結構、しかし、それを理由にしてはいけないのです! 全部ひっくるめて、もう一度、センパイの幼馴染をやり直すだけなのですよ! よし、決まった……!」


 場の空気などサラサラ読む気も無いのか。キラリと白い歯を見せびらかし、豪快なサムズアップを決める。



 貴方も相変わらずですね。

 呆れてため息を広げる琴音。


 だが大いに賛同すべき素晴らしい演説だった。鉄仮面の奥から滲むような微笑を溢し、彼女も続く。



「……どれだけ歪な形であろうと、家族は家族です。血の繋がりはどう足掻いても否定出来ません。当人同士で解決しない限り、付いて回る問題です。これに関しては、私が言えた口ではありませんが」


「……決して不可能ではないということを、同時に私が、身を持って証言します。私とて、すべてが円満に進んでいるわけではありません。それでも改善する努力を重ねないことには、どうしようもありません」


「…………別の角度からアプローチすることも出来ます。優劣は付けられませんが、私も陽翔さんと、似たような問題を抱えていました。信じられるのは自分自身と、一人の友人だけ。たったその二つさえ、あの頃の私には、信ずるに値しない存在だったのだと思います」


 変わった。変えられてしまった。

 でも、変わらないモノがある。


 彼女が今こうして、この場に立ち続けていることが何よりの証明だった。それもすべて、弱い自分を受け入れ、それでも尚、自身の力で運命に立ち向かおうとした結果。


 躓いても良い。道に迷っても良い。彼女が心から彼らを信じたように。あのときと同じように、いつだって自分を信じ支えてくれるから。



「実に単純で、シンプルな話です。自分自身に、正直になること。なにを求め、なにを望んでいるか。心の内底に住まうもう一人の自分へ、問い掛けるのです」


「そうすれば、自ずと答えは見えてきます。理由なんて必要ありません。ロジカルに考えても、心は追い付かないのです」


「私はただ、あの人の近くに、傍に居たいんです。皆さんと一緒に、溺れたいのです。深みに嵌まりたいのです。ただ…………好きな人に、好きだと伝え続けたい、それだけです」


「結果的にこの私でさえ絆されてしまったのですから。流れに身を任せるまま、なんとなく、気の向くままに動いて、生きてみては如何ですか。どうせあの人は、貴方のことも大事にしてしまいます。愛してしまいます。埋め合わせではありません。彼が自らの意思で、いま、望んでいるものです」


「関係をやり直すなんて、上からなことは言いません。わだかまりを、許し切れない自分を、過去を抱えたまま、どうぞご自由にしてみては」



 つまり、くすみんの言う通りなのだよ!


 踊るように飛び跳ねた彼女は、そのまま文香の身体を抱き締めにこやかに笑い掛ける。


 今しか出来ないことを、今この瞬間、やりたいようにやるだけだ。そんな当たり前の情動が、彼女を彼女たらしめ、ようやく実を結び始めている。



「悩んでるフリするの、辞めたほうがいーよ。まだハルのこと好きなんでしょ? じゃー、それで十分じゃん。もっかい友達になって、関係やり直して、ちゃんと好きだって伝えたいんでしょ?」


「ならもう決まりじゃん。だってハルだよ。あたしの知ってるハルは、そーゆーのしっかり真面目に考えて、応えてくれっから。安心しろって!」


 彼女にしても、複雑な過去と受け入れ難い現実を今もなお抱え続けていた。心に巣食うトラウマは、肝心なところでいつも彼女の邪魔をする。



「まー長瀬の言った通りでさ。なんのために大阪帰って来たんだって、そーゆー話なんよな。全部がぜんぶ、許せたってわけじゃないと思うけど。でも、ハルも嫌なんだよ。前に進みたいって、そう思ってる」


「自分の一番見られたくない、知られたくないところも、あたしたちに教えてくれたんだよ。だったらさ……次はこっちが気張らないと。つまりな。ハルの心の扉はあたしたちがとっくに開けちまったから、あとは飛び込むだけってわけ。ゆーて超簡単だよっ。笑えるくらい、簡単だから」


「泣いてる暇があるなら、適当に笑っときゃいーんだよ。謝りたいなら、ごめんって言えばいいんだよ! 好きなら好きだって伝えろって、ホントそれだけだからっ!」


 それでも、彼は言ってくれた。自分たちなりの、自分たちにしか出来ない家族を作ろうと。


 すべては過去からの延長線上。

 今日この瞬間まで続いている。


 隠さなくていい。偽らなくてもいい。曝け出し続けることで、赦し赦されていく。そうすることで、彼女も自分という人間を認めることが出来た。



「昔はどうだったとか、一ミリも興味ねーから! あたしは、今のハルが好きなんだよっ! おらっ、悔しいだろっ! ハルもあたしのこと超大好きなん、すげーだろっ! 悔しかったら拳でテーコーしてみろっ! なー、ひーにゃん!」

「えぇー。ここでパスするんだー」

「もうなに言いたいか分からん! 任せたっ!」

「こういうのわたしの役割じゃないんだよねえ」


 困ったように頬を引っ掻きくすぐり笑う。



 彼女にして曰く、自分はまとめ役でもリーダーでもないのに、何かと頼られる。そして大方応えてしまう自分があまり好きではないらしい。


 もっとも、案外心地良くて悪くない立ち位置なのだと思い始めていた。相反する二通りの姿も本当の自分で、それを受け入れることが出来たのは、他でもない彼女たちと、彼のおかげだった。



「……そうだね。文香ちゃんの気持ちは、わたしたちには分からない。分かるところもあるけど、やっぱり積み重ねて来た時間が違うから。でもこれだけはハッキリ言える。陽翔くんのなかの止まっていた時計は、もう、動き出してる」


「新しい時計に、作り替えたんだよ。違うモノを買って来たんじゃなくて……ちゃんと修理して、もう一度使い始めたの」


「まだまだ出来ないこと、分からないこと、沢山あるかもしれないけど……今の陽翔くんは、自分の足で、自分のペースで、あのときよりもゆっくりかもしれないけど……もう一度動き出したの。それだけは、認めてあげて欲しい、かな」


「だから文香ちゃんとの思い出や、この街での辛い記憶だって、きっと忘れないし、これからもずっと抱えていくの。忘れたりしないよ。だってあの頃の経験が、今の陽翔くんを作っているんだから。勿論、秒針は勝手に動いたりしない。長い針だけじゃ、時間は進まないから」


「わたしだって、ずっと自信が無くて塞ぎ込んでた。でも、出来たんだよ。今の陽翔くんにはわたしが必要なんだって、本気でそう思えるようになったの。同じくらい、わたしも陽翔くんのことを想ってるから。それだけだよ」


「…………文香ちゃんじゃなきゃ、出来ないことがあるよ。陽翔くんのご両親もそう。わたしたちじゃなきゃ出来なかったことがあるように、必ず」



 見開かれた瞳から、文香ははらはらと涙を零れ落とす。薄暗いリビングへ充満する慈愛が、気付かぬうちに開かれていた傷口を優しく包み込み、溶け落ちていく様を見るようだった。


 比奈は彼女の両手をギュッと掴み、子どもをあやすように人懐こく微笑み掛ける。

 


「一緒に行こう。陽翔くんのこと、迎えに行こうよ。大丈夫、わたしたちが着いてるから。ねっ?」

「…………ホンマにもう、なんなん。寄ってたかって……アンタも恐ろしいわ。こんなん嫌でも、そう言うしかなくなってまうやろ……!」

「あはは。性格の悪さには定評があるんだよねえ」

「……ええよ。なら付き合ったるわ。もしウチが思うような結果にならんかったら、本気で恨むで。一生モンの呪い掛けたるわ」

「平気へいき。わたしもとっくに、陽翔くんに呪われてるし、いっぱい呪ってるから。もちろん、恋の呪いだけどね?」

「……ふんっ。余裕噛ませるのも今の内や」


 袖口で涙を拭き払い、無理やりに笑顔を作る文香。五人も似たように顔を見合わせ笑い合った。



「……ウチが案内するわ。一人で出掛けてしもうたんやろ? この期に及んではーくんが行く場所なん、あそこしか無いわ」


 スクっと立ち上がり、大きく息を吐いて呼吸を整える。


 使い古されて傷の目立つ、誰かとお揃いの腕時計が。

 ゆっくりと。しかし確実に、時を刻んでいた。



「ちと遠出になるで。かまへんな。行くで、舞洲。ぜんぶ終わらせて、もっかい始めたるわ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る