432. 舐め過ぎ


「…………手術も成功して、リハビリも順調やったんや。12月の頭には走れるようになって、年明けからユースの練習にも復帰したんよ。怪我した直後は、ホンマにサッカー辞めるつもりやったらしいからな。その財部さんと、同期の内海くんが必死に説得して」


「ウチも何遍も追い返されたけどな。やっぱり楽しそうにサッカーしとるはーくんが好きやったし……こんなことになったからこそ、ウチが近くで支えてあげなアカンって、そう思っとった」


「…………でも、アカンかった。前と同じレベルにまでは、どうしても戻らなかったんよ。例の監督さんも、成績も上がらんと解任されてもうて。はーくんのプロデビューの話もいつの間にか立ち消えになってな」


「……正直、復帰してからのはーくんは……もう目も当てられへんかったわ。今まで出来ていたことがなんも出来へんと……イライラを周りに当たり散らかして、それで文句言うて来たチームメイトに殴り掛かったりもして。一ヶ月も経たんうちに、練習にも来うへんようになってしもうた」


「ホンマは謹慎処分やったって話やけど、詳しいことはウチにも分からへん。それで結局……三月の頭にはユースを辞めてしもうた……」


 大方の経緯を並べ終えると、文香の目に涙が溜まりそれが床へポロポロと零れ落ちていることに、5人もようやく気付いた。


 はじめて聞かされた、彼の壮絶な過去。

 どれだけ考えを巡らせようにも、口は動かない。



「なんとか気持ちに折り合いを付けて、勇気を振り絞って、話をしに行こう思て…………遅かったわ。通ってた高校を辞めて、一人で関東に引っ越したって、ママさんから聞かされて……」


「……ウチも間違えたんや。ウチが頑張れって、応援してるって言えば言うほど、はーくんは辛そうな顔して…………言葉じゃ足りひんのや。傍に居てあげることが一番大事やって、分かっとった筈なんに……これ以上嫌われたくないって、そんなアホな理由で、自分から距離を置いたんや……!」


「…………嫌われて当然なんや。はーくんのこと、全部分かってるフリして……一番辛いときに、傍に居てあげられへんかった……! ウチがしてしもうたことは、結局他の誰かと同じ……はーくんの両親と同じ……勝手に期待して、勝手に裏切られた気になって……! 全部っ、ぜんぶ同じなんや……ッ!」


 抱き抱えたアルバムの表紙が涙で滲んでいく。膝から崩れ落ちる彼女の姿を、五人はただ見守ることしか出来なかった。



 これだけの愛慕と後悔を認める少女の存在を、何故陽翔は今日日に至るまで口を閉ざして来たのか。5人も気付かないわけにはいかない。


 理路整然と真意を並び連ねたところで、すべてを解決することも、傷を癒すことも出来ない。

 その身に降り掛かったありとあらゆる挫折と失望が、この街に。彼曰くのリビングに集約されている。



 過去は過去。すべて終わったこと。この街で過ごした15年間は、もはや覆すことは出来ない。答えが潜んでいようとも、意味の無いことだ。


 アルバムに収められた写真を見返す必要は無い。一冊一区切りにしたまま、あの物置部屋に置きっぱなしにして来た。


 決してもう一度開こうとは思わない。

 開くことも、出来ない。



「…………なら、逢いに行かなきゃ。陽翔くんの気持ちはともかく……今のままじゃ、文香ちゃんだって辛い思い出を抱えたまま生きていくことになっちゃうよ。そんなの……ダメだよ。絶対に……っ」

「……どんな顔して逢いに行けばええんや? なんて言えばええねん……幾ら謝ったって、そんなん関係無いんや……ウチがどうこうしたところで、はーくんの傷は癒えるんか? 許されるんか? んなわけあらへんやろっ!? 」


 たどたどしくも口を開いた比奈を、文香は荒い呼吸を片添にキッと睨み付ける。


 なにも知らない癖に、勝手なことを言うな。

 そんな情念が透けて見えるようで。


  

「忘れなアカンねんッ! ウチの存在も、この街のすべても、はーくんの傷を掘り返すだけやッ! そんなことっ、今更許されるわけあらへんやろっ!!」


 声を荒げる文香。


 どこか見覚えがある光景だった。彼女たちにも当て嵌まるようであるし、更に言えば、やはり同じような理由で塞ぎ込んでいた、彼の姿を思い出した。



「許してるわよ。とっくのとうに、ハルトは」


 穏やかな声色で愛莉は呟いた。全員の注目が集まるなか、彼女は静かに息を吸い込み淡々と言葉を連ねる。



「アンタの言ってることも分かるし、間違っているとも思わない。でもアイツはそこまで軟じゃないし、馬鹿でも無いわ。舐め過ぎよ、ハルトのこと」

「……たかが半年程度の付き合いで、何が……!」

「分かるわよ。なんでも。確かに私たちは、この街で起こったことも、子どもの頃のハルトのことも、なにも知らないけど…………でも、今のハルトのことは、アンタよりずっと知ってる。勝手に決め付けて、全部終わった気になってるのは……アンタの方じゃないの!?」


 迫り来る力強いと眼差しと言葉尻に、文香は唖然とした様子で目を見開く。残る四人も呆気に取られたまま、次の言葉を待った。



「私たちと出逢った頃のハルトは……アンタが話してくれたような、そういう奴だったわ。でも、今は違う。変わってないものもあれば、変わったことも沢山ある……少なくとも昔の辛かったことなんて、アイツはもう気にしていないわ。わざわざ私たちを大阪へ連れて来たくらいなんだから」


「丸ごと受け入れようとしているのよ。私たちのことも、自分自身のことも、ここで起こったことも……アンタのことだってそうよ。家族から蔑ろにされた? 友達が居なかった? サッカーの神様に裏切られた……? それがなんだってのよ……っ!」


「ハルトは自分の意思で、変わろうとしたのっ! 知らなかったことを、本気で知ろうとしたのっ! 出来なかったことを、出来るようになったのよっ! 私のことを……私たちのことを、好きだって、愛してるって、言ってくれたのッ! 他でもないハルトがっ! あの無愛想で皮肉屋のアイツがッ、本気でっ! 本気で言ってくれたのよっ!! 私たちを、信じてくれたのよっ!!」


「私だって信じてるっ! これからきっと、何回も何回も喧嘩したり、嫌いになったり、裏切られたりだってするっ! でもそんなことは理由にならないのッ! だって、好きだから! 愛してるからっ! 一度離れたり、壊れたりしたって……絶対に覆せない、抗えない何かが私たちのなかにあるって、本気で信じてるのっ!」



 両肩をグッと掴み取り、訴えかけるよう文香の身体を揺する。溢れ出た涙が混ざり合い、薄暗いリビングへ弾け飛んだ。

 


「たかがその程度の仲違いで、悲劇のヒロイン気取ってる場合じゃないでしょっ!? アンタだって知ってるでしょ! 諦めの悪い馬鹿みたいな奴なの、寂しがりで、泣き虫な奴なのよっ! 忘れてるわけない、覚えてない筈が無いっ!」


「あのときは出来なかった……掴めなかったものを、必死で取り返してる最中なのッ! そのなかに、アンタが入ってないわけないでしょっ! 辛い思い出も、どうしようもない現実も、今のハルトもっ! 全部、ぜんぶひっくるめて、自分のものにしようとしているのっ!」


「許してくれるのを待ってる場合じゃないのよっ! 信じて貰えるために……大事な存在だって言って貰うためにっ、私がっ! 私たちが動かないでどうするのよっ! アンタが笑ってないで、アイツが笑えるわけないでしょうがッッ!!」


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