431. Farewell
「あぁ、お菓子とジュース買って来たから、あとで好きに摘まみなさい。雑誌もほら、色んな種類を買って来た。長い入院生活だからな、暇潰しは幾らあっても足りないだろ。それと、治療費のことも気にしなくていいからな」
病院内の売店で購入したと思わしき品々をビニール袋から取り出し、テキパキと備え付けの冷蔵庫へ入れていく
テーブルに置かれた見慣れない雑誌のタイトルには、一瞬たりとも興味を惹かれなかった。滲み出る不快感を隠すことも出来ず、その背中をジッと睨み付ける。
『まるで台本書きのような流暢さだ』
『予め台詞を覚えて来たのか?』
そんな言葉と煮え滾る唾の飛散を喉先まで拵え、ギリギリのところで飲み込んだ。溜まりに溜まった焦燥が、やがて嫌悪へと移り変わって行くことに気付いた。
お菓子もジュースも、ジュニアユースに昇格してから3年半、たったの一度だって口にしていない。
興味が無いわけではなかった。それでも脂質やカロリー、糖分の多いものは徹底して遠ざけ、節制を続けて来た。
知らなかったでは済まされないのだ。
単なる脚の怪我。退屈な入院生活という固定観念だけで、安易な労りを押し付けて来る彼らの無神経さに、酷く苛付いた。
だがそんな些細な要素も、俺たちの関係性を浮き上がらせる上でのほんの一部分でしかない。
実のところ、ほんの少しだけ期待していた。こうして家族三人揃って顔を合わせるのは数ヶ月ぶりのこと。
怪我の功名と言えば大袈裟だが、久しぶりに設けられた家族だけの時間が、自身に何かしらの変化や心の潤いを与えてくれるのではないか。
呼吸にも満たぬ小さな吐息で消え失せてしまった灯火が、もう一度燃え上がるような。そんなキッカケにも似た何かをもたらすのではないかと、心の内で、どうしても期待してしまったのだ。
(…………そうじゃねえだろ……ッ)
パイプ椅子に腰を下ろした二人から、望んでいた言葉はついぞ出て来なかった。次に与えるべき施しが何であるべきか、酷く苦心しているようだった。
ただ一つ望んでいたモノが。苦しみに悶える15歳の息子へ掛けるべき、たった一言が。
どんなときでも欠かしてはいけない何かが。
彼らには、分からない。言えない。理解出来ない。
頑張ってリハビリすれば、必ずまたサッカーが出来るようになる。復帰したら試合も観に行く。今までは仕事で忙しかったけれど、これからは近くでサポートしてあげたい。応援している。
嘘でも良かった。その場凌ぎの戯言でも、気持ちの籠っていない台本通りの棒読みでも、一向に構わなかった。
偽物でも、同情でも。
何でもよかった。
愛が欲しかった。
愛されている実感が、欲しかった。
ただ、それだけで良かったのに。
「……まぁ、その、なんだ」
父親は重い口を開く。
しかしそれは、俺の望んだモノでは無く。
「もう十分やっただろう。よく頑張ったな」
何かが割れる音がした。ずっとギリギリのところで耐え続けて来たモノが、たったその一言で簡単に壊れたことを、自ずと理解した。
「俺も前十字靭帯って、初めて知ったんだけどな。かなり深刻な怪我なんだろ? それもまたスポーツが出来るかも分からないくらいの。もう一度復帰したいというなら俺たちは止めないが……同じところを怪我をしたら、歩けなくなる可能性もあるらしいじゃないか」
馬鹿なことを言うな。
リハビリすればすぐに治る。
俺の将来を、勝手に決め付けるな。
「リスクを負って続けることでもないと思うんだ。サッカーは全然詳しくないんだけどな。ほら、ワールドカップだっけ? ニュースでお前がゴール決めてるところも観たよ。大活躍だったみたいじゃないか。上司にも散々褒めちぎられてな。父親として鼻が高いよ」
俺の人生を。
人の頑張りをなんだと思っている。
ニュースで観た?
一度だって試合も観に来てくれなかったのに。
鼻が高い? 褒められた? 息子が大舞台で活躍したことも、アンタには自分にとっての付加価値でしかないのか?
外野から指摘されなければ気付くこともない、その程度の認識だったのか? 俺のやること成すことに、一ミリも興味が無いのか? それとも意図的にそうしているのか?
「それだけ結果を残したんだから、十分満足しただろ。仮にサッカーを辞めても、誰もお前を見放したりはしない。勉強もしっかりやっているみたいだし……あぁ、英語も話せるんだろ? そういう関係の仕事を目指すのも悪くないんじゃないか?」
俺がやりたいことには、関心は無いのか?
話せるんだろ、じゃねえよ。
どれだけ努力して来たかも知らないで。
違う道もある? 結局アンタらは、自分たちが関知しない、出来ない領域に俺を置いておきたいだけなんだろ?
お前なら自分一人の力でなんでも出来るって、そう思い込んでいるんだろ?
周りが俺を見放さなくても。
お前らは、とっくに俺を見放していた。
これ以上、期待させないで欲しい。
俺のことなんか、興味無いんだろ?
だったら、ハッキリとそう言えよ。
愛してないって、言えよ。
「そうね。無理にサッカーを続ける必要は無いんじゃない? これからの人生、まだまだ長いんだし。アンタの学力ならもっとレベルの高い高校にも編入出来るだろうから……ほらこれ、近くの高校のパンフレット、もらって来たから。暇潰しにはちょうどいいでしょ?」
いらない。そんなもの、いらない。
お前らの施しなんて、必要無い。
そうか。アンタも同じか。
辞めて欲しいんだな。
サッカーも、今の高校も。
結局そうなるんだよな。
どうしたって金は掛かるもんな。
良いご身分だよ。俺がサッカーに打ち込んでいるうちは、余計なことを考えなくて済むもんな。他に熱中できるものを早く見つけさせて、さっさと距離を置きたいんだろ。
本当はこうやって、見舞いに来るのも面倒なんだろ。分かってる。分かってるよ。アンタはいつもそうやって、俺に気遣う振りをして、周りに申し訳なさそうな顔をして。
実際のところ、なんとも思っていないんだよ。助けられて、気を遣われて当然だと思ってるんだろ。
妥協して、妥協して、妥協して。
親であることから、ずっと逃げて来たんだろ。
そうなんだろ。答えろよ。
そうでなかったら。
俺は、お前のなんなんだよ。
怖いのか。俺が。
たかが息子が、そんなに恐ろしいか。
なにを考えているのか、分からないのか?
まるで他人のようだと、そう感じているのか?
奇遇だな。
俺も同じことを思っている。
お前らが、怖くて怖くて、仕方ないんだよ。
でも、しょうがないだろ。
それを望んだのは俺自身で。
他でもない、アンタらなんだよ。
「…………さてと。俺たちが居ると、友達も入って来にくいだろうし……この辺りまでにしておくよ。悪いな、俺も仕事を抜け出して来たんだ。あまり時間が取れなくて」
「何か欲しいものがあったら、連絡して。すぐには行けないと思うけど、なるべく早く持ってくるから」
また、そうやって逃げるんだな。
なら、いいよ。もう。
なにも期待しねえよ。
自分にも。お前らにも。仲間にも。
サッカーも。全部、同じ。
涙なんて、流すものか。
まるで値しない、無意味な感情だ。
悲しみに暮れる必要は無い。
ボールの一つ蹴れない俺に。
肉親からも愛を与えられない俺に。
すべてを失った俺に。
価値なんて、無い。
なにも見えない。
僅かに差し込んでいた光さえ。
もう、見えない。
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