429. Boyhood 3-13
『クロカワを下げたのか』
『先ほどの接触で傷めたみたいですね』
『残念だが経過を見よう……前線で身体を張る選手は怪我が付き物だが、恵まれた体格に釣り合うだけの力強さを身に着けて貰わなければならない』
後半開始を目前に控え、スタジアムのオーロラビジョンには選手の交代を告げるアナウンスが映し出される。
甲斐との接触で膝を痛めた黒川に代わり、ジュリーが投入されるようだ。早くもピッチ中を駆け回りホイッスルが待ち切れない様子の彼をVIP席から見下ろし、トラショーラスは顎髭に手を添える。
『ついにジュリアーノも公式戦デビューですね』
『個人で打開する能力はトップの人間にも引けを取らない……左に入ったか。ウツミも右サイドの方がプレーしやすいだろう。タカラベの提言だろうな』
『雨で芝生も滑りやすくなっていますから、前線の三人のスピードが活きやすい状況にはなっていますね。そして、これをヒロセが操ると』
『ああ。彼ほどのプレーヤーなら、当然ピッチコンディションを考慮した機能的な働きを見せるだろう』
主審の笛が鳴り後半が始まる。
徐々に雨脚の増して来た滑りやすいピッチを、公式球が縦横無尽に走り回る。トラショーラスも、そして通訳も確信していた。彼にとってユースのユニフォームを着てプレーする、最後の40分だ。
この素晴らしい連携とアタッキングスタイルを気楽に眺められるのは、もう暫く経ってからの話だろう。陽翔だけではない。内海も、大場も、ジュリーも。
そう遠くない未来、自らの手の下で一つ隣の球技場を駆け回る姿を思い描き、トラショーラスは満足そうに目を細め試合へと没頭した。
* * * *
「宮本ッ! しっかり中切ってッ!」
「分かっとるわッ!」
自陣へロングボールが供給され、相手FWと空中で激しく競り合う宮本。内海のコーチングに不機嫌な面持ちで声を飛ばすが、確実にヘディングで押し返す。
しかしハッキリとしたクリアまでには至らず、セカンドボールはガンズの攻撃陣へと渡ってしまった。ピッチ中央、バイタルエリアからセレゾン守備陣の攻略に掛かる。
「クッソ……俺ばっか狙いやがって!」
本来はボランチの選手である宮本。守備に特徴を持つが、何かと高いポジショニングを取りたがる傾向にある。
ウイングが上がり切ったサイドのスペースを埋める役割を見越し、財部の提言で今日は右サイドバックとして出場していた。
前半こそ押せ押せの展開も手伝いソツなくプレーしていた宮本だが、後半開始、やや押し込まれる展開になると脆さが露呈し始める。
背丈の割にヘディングが上手くない宮本は、ロングボールの供給役である甲斐のターゲットになっていた。ハーフタイムで頭を冷やしたのか、的確に守備陣の穴を見抜こうとしている。
「おおっ、ナイスブロック!」
「いいぞ長田っ!」
ゴール裏から飛び交う称賛の声。ミドルシュートの構えに対し、ボランチの長田が身を呈してブロックに入り危機を脱した。スライディングと共にピッチから水飛沫が上がる。
大雑把なクリアボールとなったが、これにいち早く反応したジュリーが巧みなトラップで収め、ディフェンスを一人躱し敵陣へドリブルで駆け上がる。
前掛かりになっていたガンズ守備陣は後手に回る。ロングカウンター、追加点のビッグチャンス。
「カトウくん! そのまま!」
「……
大場の声に応え左サイドを疾走。相手ディフェンスの全力ダッシュでも追い付けない、恐るべきドリブルスピードだ。
一気にペナルティーエリアへ侵入。飛び込んで来たディフェンスをワンフェイクで簡単に躱し、インサイドで巻き上げるようなコントロールショット。
「
これはキーパーが一歩上回り、必死のセービングでどうにか弾き出す。ゴール前に詰め過ぎていた大場はセカンドボールに反応出来ない。
「陽翔っ!!」
だがこれも遅れて飛び込んで来た陽翔が素早く回収。甲斐の寄せに遭う直前で、右サイドの内海へ斜め前方へのスルーパス。
ややアフター気味のタックルになり、流石の陽翔もピッチへ倒れ込む。ゴールまで僅か10メートルの距離、サポートは受けられないと踏み内海は勝負に出る。
縦へのフェイクを織り交ぜ、左足アウトサイドで切り返す。ディフェンスの股を抜ける強烈なシュートがニアポストを襲った。
これもキーパーが間一髪ブロックするが、今度こそ零れ球に反応した大場。小さな身体を投げ出し、水飛沫と共にボールへ突っ込む。
「ファール! ファールだって審判ッ!」
「どこ見てんだよクソ野郎!!」
「忖度するなーッ!!」
四度目の歓喜は訪れなかった。
ゴール裏から飛び交う罵声。
ディフェンスの激しいチャージに潰され、大場はシュートを撃てなかった。二人が交錯する間にキーパーがボールを掻き出し、サイドラインを割る。
「いってて……あーもう、絶対決まったと思ったのにー! ごめん内海くん、手ェ貸して!」
「しょうがないよ、完全に潰されてたし。まだまだチャンスはあるって。よっこいしょ!」
内海の手を借りて立ち上がる大場。
敵陣深くでの攻撃がまだまだ続く。
ゴールへの執着を微塵も隠さないジュリーは、素早いリスタートを求め反対サイドで大声を上げパスを要求している。
が、その前にホイッスル。
主審が試合を止めた。
「……あれ、陽翔?」
「廣瀬くん、大丈夫?」
原因は、未だにピッチから起き上がれない陽翔だった。
甲斐のアフターチャージを受けてからそのままのようだ。二人は陽翔のもとへ駆け寄り容態を確認する。
「……んの野郎、後ろから削りやがって……」
「陽翔、大丈夫? 立てる?」
「……あれくらい一人で決めろ、ボケ」
「あ、良かった。いつも通りの廣瀬くんだね」
やや右足を引き摺ってはいたがどうにか立ち上がる陽翔。二人は肩を並べホッと息を着いた。
主審から警告を受け、次は退場処分だと厳しく注意される甲斐。素直に謝罪を述べるが、表情は優れないまま。
「ちょっと滑りやすくてな……悪気は無いんや」
「好きにせえ。退場して困るのはお前らだけや」
軽く言葉を掛け合い、試合が再開される。宮本のスローインでピッチへ戻り、一度攻撃を組み立て直そうと最終ラインまでボールが降りた。
「……左膝、だいぶ庇いながら走ってますね……今後のこともありますし、大事を取って下げた方が良いのでは?」
「これだけキレのあるカウンターを見せられた直後となれば名残惜しいが……まぁ、仕方ない。次のアウトプレーで交代だ。都築、準備しろ!」
江原の指示を受けウォーミングアップから戻る二年の都築。作戦ボードを取りにベンチへ戻る江原を横目に、気付けば大降りの雨ですっかり水浸しになったピッチを遠巻きに眺める財部。
彼にしても気持ちは同じだ。陽翔を中軸とした前線四人によるカウンターは、長らく対立関係だった江原さえも納得させる完成度の高い代物。
相変わらず攻め急ぎが顕著な今のガンズなら、易々と跳ね返すことが出来るだろう。次の試合へ勢いを付けるためにも、ゴールは幾ら取ったって良い。
(本人はああ言っていたけど……)
ハーフタイムで陽翔のコンディションを気遣った財部だったが、特に問題は無いと軽くあしらわれてしまった。
事実、先ほどの接触までは運動量こそ多くは無いものの、いつも通りのようにも見えた。
だが財部は気付いていた。
前半から明らかに動きが重い。
負傷交代した黒川と同じく、甲斐の激しいタックルで何度かピッチへ倒れ込んでいた。三点目を奪った直後から、プレースピードが格段に落ちている。
(まさか……いや、そんなわけ……)
不安要素があるとすれば、陽翔はこれまでのキャリアで怪我らしい怪我を負ったことが無い。あっても軽い捻挫や打撲程度のもの。
中学の頃から継続的に鍛え上げられた強靭なフィジカルも、廣瀬陽翔というプレーヤーの大きな強みでもある。
それ故、仮に怪我を負っていたとしても。
彼は気付かないのではないだろうか。
まだまだ出来ると自分の価値観で判断し、痛みを堪えてでもプレーを続けているのだとしたら。
センターサークル内で立ち止まり、左膝を頻りに擦る陽翔。滑りやすい芝生の影響で、疲労も蓄積しているのか。
「――――陽翔、一旦外に出て……!」
財部の声が飛ぶが、僅かに遅かった。
自陣でボールを奪ったセレゾンユース。セカンドボールが陽翔の足元へ繋がり、再びカウンターのチャンスを迎える。
「陽翔っ、サイドフリーッ!」
「そのまま縦でも良いよっ!」
『
内海、大場、ジュリーの三人が次々にボールを要求するが、陽翔は彼らへ目もくれずドリブルで突き進む。
滑りやすい芝生を利用し、つま先で軽く突っ突いて対峙する相手ディフェンスの脇を通す。一人スルーパスとも呼ばれる強引な突破。どよめきと歓声が木霊するスタジアム。
残るディフェンダーは三枚。
陽翔を含めればセレゾンの方が人数は多い。
ここまで来れば、三人も流石に理解しないわけにはいかなかった。陽翔の本質はパサーでも、ドリブラーでもない。左脚一本で試合を決める、ゴールへの常軌を逸した執着心。
ゴールまで残り40メートル。
大場に着いていたディフェンダーが堪らず飛び出したが、小気味良いステップから一気にギアを上げ、スピードで振り切った。
ピッチ中央を切り裂く大胆なドリブル突破。
スタジアムのボルテージは最高潮へ達する。
残り30メートル。内海とジュリーに着いていたマーカーも慌てて中へ絞るが、もう遅い。
20メートル。
飛び出して来たキーパーとの一対一を残すばかり。頭上を越えるループシュートも視野に入れていたが、ここまで気持ち良く突破出来たならと、陽翔は最後の一人も躱し切るつもりだった。
対峙するキーパーを嘲笑うかのように、右足インサイドで鋭く切り返す。
もはや障害は無い。
無人のゴールへ、黙々と流し込むのみ。
ただ、それだけだった。
誰もが決定的となる四点目。
陽翔のハットトリックを確信した。
「――――――――あっ」
僅か一瞬の静寂。
唯一、彼を追い掛け続けていたガンズ大阪ユース、甲斐純也の強烈なスライディングが、今にもボールへ触れようとしていた彼の左脚を、後方から激しく貫いた。
濡れる芝生でスピードと強度を増した鋭利な一撃は、陽翔の身体を宙へ舞い上がらせる。転々と転がり続け、タッチラインを割るボール。
背中から打ち付けられるようにピッチへ放り投げ出された身体。
そして、ホイッスル。
スタジアムを取り巻く、嵐のような怒号と悲鳴。
「テメェッ、やりやがったなッ!!」
「退場だッ!!」
「摘まみ出せッ!!」
「おい早く止めろ!!」
「担架だッ! 早く担架をっ!!」
「落ち着けジュリー! 手を出すなっ!!」
スタンドからとも、ベンチサイドからとも聞き分けにくい絶叫がピッチを飛び交う。主審は素早く二枚目のイエローカードに続いて、レッドカードを提示した。
怒りを抑え切れないジュリーをはじめセレゾンの選手たちが甲斐へ詰め寄るが、ガンズイレブンやコーチスタッフまでもがピッチへ飛び出し、揉み合いが始まる。
「陽翔ッ!!」
「廣瀬くんッ!!」
「陽翔っ!! 大丈夫かッ!?」
息を切らし陽翔のもとへ駆け寄る内海と大場。
すぐさま財部も現れ、ピッチへ蹲る陽翔を取り囲む。
脳天を揺さぶるような激しい痛みを堪えながら。
陽翔はどこか遠い目で、空を眺めていた。
雨が止まない。
まるで神様さえも、涙を流しているようで。
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