422. Boyhood 3-6


「その、なんて言えばいいんでしょう。つまりですね……僕も別に、陽翔のことを無理に気に掛ける必要は無いと思うんですが、あの……もう少し、近くで見守ってあげても良いのかなって。そう思っているんです」

「…………はぁ……」

「この間、陽翔と少し話をしまして。やっぱり、ご両親と会話が少ないことを彼も気にしていたんです。まぁ、直接そういうことを言ったわけではないんですが……」

「……なら問題無いのでは?」


 変わりの無い声色に、なにも馬鹿正直に伝えるべきではなかったと財部は唇を噛んだ。これでは平行線を辿る一方だ。



「ですから…………はい、分かりました。では、包み隠さず正直にお伝えします。あくまで、僕個人の見解ですが……」


 大きく息を吐き前を見据える財部。

 水を一口だけ含み、彼は切り出した。



「ハッキリ言って、プロ入りを目前に控えた今の段階で、初めてクラブハウスへ訪れて、初めて練習風景を見て、試合もまだ観たことが無い…………これって、ちょっとどうかと思うんです」


「確かに陽翔はしっかりした子です。言われなくても自分で課題を見つけて、自分なりに努力が出来る、そういう子です。でも……」


「……最近の彼は、ちょっと荒れているんです。色々と理由はありますが……ワールドカップを終えた頃から、悪い方向に変化が起きています」


「クラブとしては、彼のプロ契約は既定路線となっていますが……一番近くで彼を見て来た僕から言わせれば、正直、今の精神状態でトップに昇格させるのは得策では無い。自主練も明らかにオーバーワークだし……試合中も、以前に増して不遜な物言いが増えていると、そう感じています」


「…………選手のメンタルを成長させるのも、我々指導者の役目です。しかし、そういった外部からの矯正でどうにかなるような問題でも無いんじゃないかと、僕は思っているんです」


「……改めて、お母様の意見を聞きたいんです。ほんの少し、知っていることだけでも構いません。これからの陽翔のために……もうちょっとだけ、近くで彼の話を聞いてやってほしいんです」



 熱の籠った力説がラウンジに響く。

 だが、陽翔の母親は困惑する一方。



「……………そう言われましても。私には、あの子のことは何も分かりません。チームでのことは、すべて皆さんにお任せしていますから」

「だから、それだけでは不十分だと言っているんです。僕の力不足であることは百も承知ですが……お母様にも、お父様にももっと、陽翔のことを……」

「勘弁してください。分からないものは、分かりません…………私には、私たちには、そんな権利がありません……!」


 初めて見せた母親の強気な語尾。

 財部は思わず口をつぐんだ。



「…………権利が、無い……?」

「……分からないんですよ。ずっと……」



 冷めた視線で窓の外を眺める。

 母親は重い口を開いた。



「……元々、子どもは望んでいなかったんです。互いに仕事で忙しい身の上ですから……一時の気の迷いと言い切るのは、あまりにも失礼ですけど。でも、そういう状況で生まれて来た子なんです」


「親になる覚悟が出来る前に、あの子が生まれました。主人なんて出産のときは長期の出張中で、二か月経ってようやく顔を見に帰って来たくらいですから。名前すら決められなくて、私の母親に頼んで付けて貰ったんです」


「生まれてすぐの頃は、勿論自分が面倒を見てましたよ。でも、どうしても仕事が忙しくて……私の親に預けることが多かったんです。勘違いもしますよ。子育てってこんなに楽なものなんだって」


「私はただ、あの子の人生に責任を取ることを恐れ続けて…………仕事に打ち込んでいる間は、あの子のことを考えなくて済む……そんなことばっかり、考えていました。逃げて逃げて、逃げ続けて来たんです」


「両親が亡くなって、いざあの子と腰を据えて向き合うようになっても……もう遅かったんですよ。貴方も良くご存じでしょう。子どもの頃から凄くしっかりした子なんです。私や主人があれこれ口を挟まなくても、自分でなんでもやろうとする子ですから」


「……サッカーに興味を持ち始めたと知って、正直、安心してしまいました。サッカーに打ち込んでいる間は、あの子も、私たちも。家のことを考えなくても良い…………また、逃げ出したんですよ」



 自嘲に満ちた薄笑い。

 過去の過ちを懺悔する姿に酷似していた。


 その関係は、今も続いている筈なのに。


 

「感情表現に乏しいところばっかり、私や主人に似るものですから……あの子が何を考えているのか、何を望んでいるのか、全然分からないんです…………理解しようとも思いませんでした」


「だって仕方ないじゃないですか……そんなところに土足で踏み込めるほど、私はあの子に愛情を注げなかったんですから」


「……今更なにをどう改善しろと言われても、私にはピンと来ません。主人も同じです。私たちの間には、血の繋がり無いんです……!」



 もう話すことは無い。

 彼について、話せることは無い。 

 言葉以上のモノを残し、母親は席を立った。



「あの子のことは、すべてお任せします。16歳になればプロ契約になって、金銭的にも自立出来ると思います。身の回りのこともとっくに自分でこなしていますから、問題無いでしょう」

「……ちょっと……待ってくださいよ……ッ!」


 怒りに震え拳を震わせる財部。

 紙コップが倒れ、テーブルに水が零れた。



「ここまで分かってるなら……理解しているなら……その言葉だけは言っちゃいけないんじゃないですか……!? 貴方がやろうとしているのは、今までと同じ、逃げることそのものでしょうっ!」


 声を荒げる財部。

 母親は気まずそうに視線を背ける。



「確かに陽翔は、サッカー選手としてはもう一流ですっ! 必ずプロで成功する! でも、心は……心はまだ高校生……15歳の子どもなんです! 未熟なんですっ! 親の愛情を必要としているんですッ!」


「陽翔はいま、見たこと無いくらい不安定な状態なんですっ! 陽翔を支えられるのは、貴方たち両親しかいない! もう分かってるでしょう!?」


「貴方たちが15年間出来なかった、親という役割を! 今だからこそ、しっかりこなすべきじゃないんですか!? 罪滅ぼしでも、同情でもなんでもいい! これから少しずつ、溝を埋めていかなきゃいけないんじゃないですか!?」


「形だけの親なんて、意味が無いんですよッ! 遠ざけるだけ遠ざけて、いざ将来の道が決まったら、いよいよ放り投げてそのままですかっ!? それは違う、絶対に間違ってますッ!」


「覚悟が出来てないならッ! いまッ! 今この瞬間から、覚悟してくださいよッ! 責任なんて取らなくても良いッ! 陽翔の母親だと、父親だと胸を張って言える、その覚悟だけはッ!!」



 息を切らし肩を激しく揺り動かす財部を前に、母親の酷く狼狽していた。


 周囲の注目も集まるなか、顔を真っ青に染め上げ、落ち着かない様子で視線をあちこちに飛ばしている。



「……陽翔を連れて来ます。お父様も、ここに呼んでください。今すぐにでも話し合うべきだ……!」

「やっ、止めてください、そんなの……!」

「陽翔のためなんですっ! 瀬戸際なんですよッ、陽翔も、貴方たちも! 俺だって幾らでも付き合いますッ! これ以上逃げ続けて、何になるんですかっ!」


 財部は陽翔をクラブハウスへ連れて来ようと、一階へ繋がる階段へと駆け出す。だが次の瞬間、母親の悲痛な叫び声がラウンジに響き渡った。



「もういいんです! 止めてください!!」

「…………はっ……?」

「ここまで来て、今更どうしろって言うんですか! あの子の人生に、私たちはもう必要無いんですっ! 無駄なんですッ! どうしようもないんですッ!」



 気が動転しているのか。口をぽっかりと開き首を小刻みに振ると、手元のバッグを乱雑に搔き集め、財部のすぐ真横を通り階段を駆け抜ける。


 そんな母親の姿を、財部は唖然とした様子で眺めていた。もはや足止めするほどの気力も、彼には残っていなかった。



「…………おかしいだろ、こんなの……ッ」



 力の無い呟きがラウンジを通り抜ける。


 零れた水がテーブルを伝い床へ染みていく。溢れ返ったものは、誰の手に施されることも無ければ、元へ戻ることも無かった。


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